2024年 4月14日の説教要約 「勝利のローマ伝道」

2024年 4月14日の説教要約

  「勝利のローマ伝道」      中道善次牧師

使徒言行録 28章1~10節と30~31節≫

 

パラダイムシフトについて:

パラダイムというのは、ある物の見方、考え方。それがシフトする(変わる)。

大きなことで言うなら、天動説から地動説に変わったこと。

私が学んだ神学校では、走高跳のスタイルでした。前から、横から、後ろからと、今までの常識を覆すようなスタイルの変化。

違う言葉で言うなら、物事をさかさまの方角から見ることである。そしてそれが神のなさったことであるなら、それを柔らかい心で受け入れること。

それをパウロはローマの信徒への手紙で告げている。

ローマ8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

万事という言葉があるが、それは、パウロが直面した迫害が含まれていた。そして、どうしてこのような目にあうのだろう。そのように思える出来事である。しかし、それが自分にとって良かった。益となった。善となった、祝福となった。そのように言う。

詩編の記者も、「苦しみに遭ったことは私にとって幸いでした。それによってあなたの掟を知ったからです。」(119:71、協会共同訳)と述べる。

この聖書の言葉を愛したのは、瞬きの詩人といわれる水野源三氏。脳性麻痺で生まれ、動かすことが出来るのは眼だけ。その瞬きで、詩を書いた。

この人はどうして、人を批判せず、感謝できるのだろう。

この人はどうして不平を言わず、喜んでいられるのだろう。

この人はどうして落ち込まず、幸せそうな顔をしているのだろう。

神がおられるので、ある出来事を違う角度から見ることが出来るようになったからである。

神を信じるということは、そのような目を持つこと。

 

1、囚人としてのローマ到着

  使徒言行録の次に配列されているのはローマの信徒への手紙。

そのローマ1:9と10で、パウロがローマ行きを願っての祈りの言葉が記されている。

口語訳聖書では、9節10節と区別が出来ないので、9、10と番号を重ね、一つの文章とした。それは、ギリシア語の文章のつながりが複雑で、文法が難しい文だから。

口語訳では、「いつかは御旨に適って、道が開かれ」とある。

そこには、どうにかして、何とかして、さらに何としても、どんな事があっても、どんな手段であっても、成し遂げたいのだ、行きたいのだという、粘り強い、しつこい、願いがあらわされている。

パウロのローマ行きの願いは、囚人として、裁判を受けに行くという形でかなえられた。裁判という形ではあるが、ローマ皇帝の前に立って弁明することが出きた。そのローマ皇帝とはネロであった。

 パウロは、ローマに着いたときの感激を、感動を、使徒28:14で、「こうして、私たちはローマに到着した」と書いている。口語訳では「ついに」という言葉で訳されている。

 何とかして、どうにかして、というパウロの信仰が、ここに現実になった。

 囚人なのですが、ローマについた。これは祝福であり、喜ばしいことだ。 これがパウロパラダイムシフト。

 

2、マルタ島での勝利

使徒言行録28章1~10節には、難破した船が到着したマルタ島での出来事が記されている。

マルタ島での出来事は、マルコ16:18の復活の記事にある信じる者にともなう「しるし」の証言であった。

彼らは泳いで島にたどり着いたのでずぶぬれであった。この時の季節は12月であった。

寒さに凍えていた彼らにとって、島の人々の親切は、彼らの体を温めるだけでなく、心をも温めてくれた。

だがそこでトラブルが起こった。パウロがくべた枯れ枝の中に一匹の毒蛇がいた。

毒蛇にかまれたパウロを島の人々は見ていました。まもなく体がはれ上がって苦しむだろうと。

しかしパウロは、蛇の毒にやられることはなかった。

マルコ 16:18 手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも、決して害を受けず、

毒を飲んでも害を受けず、語ったあとで、病人に手を置けば治るとある。これは癒しの信仰である。

パウロは、自分が害を受けなかっただけでなく、マルタ島の長官ププリウスの父親の熱病と下痢を、手を置いて祈り癒した。それを見て島の人々がやって来て、みな、癒してもらった。

癒しの信仰を持つ。癒しを信じて祈る。それがイエスの復活を信じることである。

 

3、勝利のローマ伝道

2テモテ2:9には、「しかし神の言葉はつながれていない」とある。獄中でのパウロの体験である。

使徒言行録28章でパウロがローマで家を借りた。これは獄中と言っても、軟禁状態と言えるものであった。

パウロは、自分のお金で家を借りて住んだとあります。ローマ帝国では、牢に入るとは、雨露しのげて、三度の食事を国が提供するという政府のシステムはなかった。食事も着替えも毛布も全部自分たちで調達しなければならない。当然、パウロ一人でそれは無理なので、パウロの友人や弟子たちが、必要なものをそろえた。

パウロの軟禁は、ローマ兵が見張っておりましたが、比較的、緩やかであった。

ローマで軟禁されていた家には、来る人たち誰でも妨げられることなく、自由に迎え入れて福音を語ることが出来た。

村上宣道先生の使徒の働きの注解書によると、ローマでの軟禁状態は、迫害もなく福音を伝えることが出来た。このようなことは、今までどこに行ってもなかった。勝利のローマ伝道だと告げるのです。

軟禁状態にあるパウロの姿、それを勝利だという。ここにもパラダイムシフトが見られるのです。

ローマの獄中、そこでパウロは勝利の伝道をしたのです。

迫害がなかっただけでなくフィリピの手紙を読むと、獄中にありながらも楽観的なパウロの姿が描かれている。

それがフィリピ1:12~18に記されている。パウロが捕らえられ、自由に伝道が出来なくなったとき、次のようなことが起こった。パウロ派、そして反対派閥、ともに、福音宣教に励んだ。特にパウロに反対する派閥は、このときこそ、自分たちの勢力拡大と頑張った。それをパウロは、動機がどのようであっても福音が伝えられているのならそれでいいではないか。そのように述べて喜んだ。

物事を違う角度から見ないとこの言葉は言えない。パラダイムシフトがここにも見られる。

それだけでなく、カイザルの家の者にも救われる人が出た。自分を見張っているローマ兵、ローマ皇帝のそば近く仕える兵隊の中にも救われる人が起こされた。

パウロは自らの体験を通して、神の言葉はつながれていないと語ったのです。

「神の宣教」という言葉がある。それは神自らが宣教されるという意味。私たちががんばって伝道する以上に、神自ら宣教される。

神の言葉はつながれていない。

2024年4月7日の説教要約 「その道筋をまっすぐにせよ」

2024年4月7日の説教要約

   「その道筋をまっすぐにせよ」    中道由子牧師

              

《そこで、ヨハネは皆に向かって言った。『わたしはあなたたちに水でバプテスマを授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。》(ルカによる福音書3章16節)

 

1、悔い改めの実

 ローマ皇帝テベリオが治めていた時代、バプテスマのヨハネは登場してきます。

彼は神の導きにより、人々に悔い改めのバプテスマを授けていました。

彼はイスラエルの人を何と呼んでいるかー7節「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。」と、強烈ですね。

「自分たちは選ばれた民だと思っているかもしれないが、その選民思想はもう一度見直しされなければならない、だから悔い改めなさい。」ということです。

アブラハムの子孫である自分たちは神の民である、特別選ばれた民である、という自負に安住しているのでは、到底天国に入れないと言ったのです。

悔い改めには、罪を犯したという後悔だけでなく、自分を罰する苦しみが伴います。

それはただ自分が哀れで泣くのではなく、罪を犯した自分を憎くて泣くのです。

悔い改めは、失われた神様の栄光に思いを集中させ、罪の鎖を断ち切る力をもっています。

バプテスマのヨハネは「先生、わたしたちはどうすればよいですか」という群衆に、11節「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ。」、

また、徴税人に、13節「規定以上の物は取り立てるな。」、兵士たちに、14節「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ。」と忠告します。

口先だけではない、実生活が変えられることなのです。

私たちは確かによい行いではなく、罪あるありのままで主の救いに預かりますが、信仰によって救われた者は、そのままでいることはあり得ない。私たちは、良き行いのために造られたことを覚え、実生活が変えられていく、それが悔い改めの実であります。

 

2、アイデンティティの認識

  バプテスマのヨハネの説教を聞いた民衆は、かねてから救い主の到来を待ち望んでいたので、もしかしたらこのヨハネがキリストなのではないかと考えるようになりました。

そうした民衆の思いを知ったヨハネは、自分は救い主ではないと宣言し、民衆の目をやがて来る救い主イエスに向けさせようとしました。

 やがて来る救い主イエスは、ヨハネのような水のバプテスマではなく、聖霊と火のバプテスマを授けるお方です、と。

「火のバプテスマ」というのは、罪に対しては、神の裁きがあるということなのです。

その裁きを主イエスは負ってくださるお方であり、聖霊なる神は焼き尽くしてくださるお方であります。主イエスの昇天後十日目に起こった聖霊降臨の日から、弟子たちは大きな力を与えられ、信仰を強められて、大胆にキリストの証人として、このキリスト以外に救いがないことを宣教し始めるのです。

バプテスマのヨハネは、ここでメシアの先駆けとしての自分の位置を守ります。

多くの人がヨハネを見て、メシアではないかと期待しましたが、ヨハネは自分の限界を明らかにしているのです。バプテスマのヨハネは、主イエスを認め、自分を否定します。

与えられた立場や賜物を越えて働きをしようとするなら、高慢の罪が入ってきます。

しかし、成功を渇望する世の中で、自分を否定し、真実を明らかにすることは大きな勇気がいることです。バプテスマのヨハネは、真実でないことははっきりと言える勇気を持った人でした。

彼はヘロデ王の罪の生活を指摘したため捕らえられ、牢で斬殺されます。

彼は、メシアである主イエスが活動される前に人々の心に備えを与えた人でした。

バプテスマのヨハネが、彼の分においてその使命を全うしたように、私たちもまた私たちの分を果たす生き方をさせていただきたい。

 

3、神の愛する子登場

 ある日、バプテスマのヨハネが人々に悔い改めのバプテスマを授けていると、主イエスガリラヤからヨルダン川に出て来て、ご自分からバプテスマのヨハネの所に来られました。

何のために来られたか?ヨハネからバプテスマを受けるためでした。

罪の悔い改めのバプテスマを、罪のない主イエスヨハネから受ける必要など全くないはずでした。そのことはヨハネも知っていました。

それでヨハネは主イエスバプテスマを授けることをためらったのでした。

ところが、主イエスヨハネに向かって一歩進み出ます。

マタイによる福音書3章15節ではこう言っておられます。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」

こうして、主イエスバプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになられました。

人間的に考えて、イエス様には必要ないでしょうと思われるこのことには、実は意味があるのです。

主イエスがいよいよ働きを始められる出発となったのでした。

時々どうして洗礼を受ける必要があるのですか?という質問を受けることがありますが、イエス様がバプテスマを受けられたのですから、神の子となるために私たちが洗礼を受けることは当然のことでしょう。私たちにとっても出発点なのです。

いえ、洗礼を受けることなくして、神様との生ける交わりは始まらないのです。

主イエスは、ユダヤ人だけでなく世界中の人の救い主となるため、罪人の中に自分自身も入って行き、バプテスマをお受けになられたのでした。

主は私たちと同じになってくださった。

私たちもそれぞれに与えられた人生の道筋をまっすぐに生きてゆきたいと思います。

2024年3月24日の説教要約 「パウロのドロローサ」

2024年3月24日の説教要約

              「パウロのドロローサ」    中道善次牧師

 

使徒言行録 27章39~44節≫

 

「ドロローサ」とは、イエスが十字架を背負って歩いた道を指す。

ラテン語ヴィア・ドロローサ(「苦難の道」の意)と言う。

具体的には、福音書の中に記されているようにイエスの最後に歩まれた道のこと。イエスは十字架を背負って総督ピラトの官邸からゴルゴダの丘まで歩まれた。その道のりのことである。

ヴィア・ドロローサ「苦難の道」という名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられている。

だがそれはドロローサの石畳を歩いた最後の数時間だけではない。使徒言行録と福音書を書いたルカは、大きな視点から、イエスエルサレムに向かって歩みを始めたところから十字架への道が始まったと述べる。

ルカ 9:51 天に上げられる日が満ちたので、イエスエルサレムに向かうことを決意された。・・・

ルカ 13:33 ともかく、私は、今日も明日も、その次の日も進んでゆかねばならない。預言者エルサレム以外のところで死ぬことは、ありえないからである。

ルカ 17:11 イエスは、エルサレムに進んでゆく途中、サマリアガリラヤの間を通られた。

ルカ 18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、私たちはエルサレムへ上って行く。そして、人の子については預言者が書いたことはみな実現する。

ルカ 19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。

ルカ福音書では、十字架に向かう長い道のりが記される。

ルカ9:51のエルサレムに顔を向けという記述に呼応するように、イエスは、同じルカ9章で、弟子たちにこのように言っている。

ルカ 9:23 それから、イエスは皆に言われた。「私に付いて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。

ここでイエスが言われた「十字架を負う」というとは、一般に言われるような苦しい人生、あるいは、人生の特定の苦しみを指すのではない。 

十字架を負うとは、神から与えられた使命を担って生きることである。神から与えられた使命を生きることには、苦しみが伴うことがある。人から理解されないこともある。

使徒言行録のパウロもまさにそのことを伝えている。

使徒 20:24 しかし、自分の決められた道を走りぬき、また、神の恵みの福音を力強く証しすると言う主イエスからいただいた任務を果たすためには、この命すら決して惜しいとは思いません。

今日は、使徒21章から続くパウロの十字架の道行き、使命を果たす旅から、三つのことを学びたい。

アウトライン:① 言葉の届かない人々、 ② 無駄でなかった2年間、 ③ 船は目的地に到着した

 

 

1、言葉の届かない人々

 パウロ使徒21章で、エフェソから巡礼にやって来たユダヤ人たちに、神殿を汚したと誤解され、捕らえられた。

 使徒 21:27~28 七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕え、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手を貸してくれ。この男は、民と律法とこの場所に背くことを、いたるところで誰にでも教えている。そのうえ、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」

 それでもパウロは、ギリシア語とヘブライ語の二か国語を駆使して、千人隊長の理解を得て、ユダヤ人の前にヘブライ語で弁明する機会を得た。

 使徒 22:1~2 「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる私の弁明を聞いてください。」パウロヘブライ語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静かになった。

 そのようにスタートした弁明は、途中までは、うまくいっているように見えたが、22節でそれが途切れた。

 使徒 22:22 パウロの話をここまで聞いていた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはいけない。」

パウロは、心を込めて話したが、ユダヤ人たちにはパウロの言葉が届かなかった。

私たちに使命が与えられて、人々を愛して宣教に出かけても、相手に言葉が届かないことがある。

今の時代、私たちも愛して、接している人に言葉が届かないことがある。

 しかし大切なことは、それでも愛の言葉を語り続けることである。

 

 

2、無駄でなかった2年間

 使命に伴う二つ目の苦難、それは、無駄と思える日々を過ごしたこと。

 使徒23章でパウロユダヤの最高法院(日本で言う国会)で取り調べを受けた。ローマ市民であるパウロを守るため、パウロはローマ兵により、エルサレムからカイサリアという港町に移送された。

 使徒24章では、カイサリアでの取り調べがあり、そのままカイサリアで監禁された。その監禁は二年続いた。

 使徒 24:26~27 だが、(総督フェリクスは)、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、たびたび呼び出しては話し合っていた。さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。

 パウロは、自分の人生の歩みを「走る」という言葉で表現している。

 フィリピ 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

 2テモテ 4:7 わたしは、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

 パウロは回心してから、すぐに伝道のために立ち上がりました。そして、走り続けてきた。

 フェリクスは、パウロの行く手の邪魔をした。裁判を引き延ばした理由は、二つあった。金が欲しいと言う下心、そして、ユダヤ人を怒らせないように監禁したままにする。

これによりパウロは無駄と思える2年間をローマで過ごした。

しかしこの2年間もパウロにとって無駄ではなかった。三つの理由を挙げる。

第一は、皇帝に上訴する準備が出来たこと。神の御心は囚人としてローマに行くことであり、そのためにローマ市民権を用いること。この神の御心を悟るための2年間であった。

第二は、走ってきたパウロにとって、これは体を休めることが出来たかけがえのない時であった。

ある牧師先生は、病気で入院された時、神さまから「休め」と言われたと語った。

視点を変えて物事を見る。その大切さをパウロは学んだ。

第三は、この2年の間にパウロは手紙を書き、深い神学的な考察をする時間が与えられた。

あまり支持されていない説だが、パウロはこの二年間でローマ書を書いた、あるいは書く準備をしたという説がある。私はその可能性があると思う。

ローマ書を書いた時期は別として、パウロの神学、信仰に対する考え方が深くされたのは、間違いなくこの二年であった。神は無駄なことをなさらないお方である。

 

 

3、船は目的地に到着した

 使徒27:1の見出しは、「パウロ、ローマに向かって船出する」。使徒27:13の見出しは、「暴風に襲われる」。

 使徒27:39の見出しは「難破する」。 そして到着したのが使徒28:1 「マルタ島にて」。

 いったいどのようなルートを通ったのか。協会共同訳聖書巻末の地図12を見ると、その経路がわかる。

 地図を見ると船は真直ぐ西に船は向かいマルタ島に着いた。

 神が私たちの人生を導かれるのもまた、このようなことがある。

 主は彼らを目指す港に導かれたと詩編107:30にはある。

2024年3月17日の説教要約  「しもべの歌」

2024年3月17日の説教要約

      「しもべの歌」    中道由子牧師

 

《彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しいものとされるために彼らの罪を自ら負った。》(イザヤ書53章1~12節)

 

 

1、苦難のしもべ(1~6節)

これは本来のイエス・キリストの容姿ではなく、死を頂点とする苦難の姿のことです。

その姿は、人々からさげすまれ、疎外されていました。

皆さんは、人に馬鹿にされた経験がおありでしょうか?

「あなたなんかたいしたことないわよ。」などと言われたりすると、がっくりくるものです。

それどころか「あんたなんかいらない。」最近は子どもたちの間でも、「死ねよ。」とか「死んでくれた方がいい。」というような恐ろしい言葉が普通に交わされます。

これほど私たちの魂を粉々にし、存在意味をなくすことがあるでしょうか?

しかし、私たちの主は真正面からこの言葉を受けてくださいました。

ローマの兵士たちは、子どもがからかうようにイエス様を嘲り、動物を引いて行くようにイエス様を連れ出したのです。

しかも、彼らはイエス様を王と馬鹿にして遊んでいた、その遊びは通常のモノではありませんでした。

「一日王様ごっこ」という遊びで、くじで王様に選ばれた人は、一日王様のように扱われ、いい思いをするのですが、その次の日には殺される、という恐ろしい遊びでした。

彼らにとって、その日はくじを引かなくても的になる人物がいる。それが主イエスだったのでした。

  次に彼が負ってくださったのはわたしたちの病、私たちの痛みでありました。(53章4節)

主イエスご自身が病身であったわけではなく、主は私たちの痛みを負い、病を受け止められたと解釈されています。5節「彼が受けた打ち傷によって、私たちは癒やされた。」

薬も病を癒すために用いられますが、薬には副作用もあります。

主の癒しは、「彼が受けた懲らしめによって私たちに平安が与えられる」癒しであります。

心に平安が与えられる癒し、私たちは皆それを受けることができるのです。

 神は、何の罪もない小羊のように主イエスに私たちのすべての罪を担わせ、代わりに苦しみを受けさせました。ユダヤ人の罪ではない。6節にあるように「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。」のであります。

 この犠牲の上に、私たちは初めて、「私は主に在って、価値ある存在です。」と言えるのではないでしょうか。 イエス様は、私たちの代わりに、踏みつけられ、鞭で打たれ、十字架に釘づけにされ、血を流されました。

ここで「私たち」という言葉を使われています。この預言書を読むすべての人が含まれています。

私の罪が赦されるため、あなたの傷が癒されて解放されるためなのです。

 

2、沈黙するしもべ(7~9節)

 この主のしもべの身代わりの死において、彼は何も言わず反抗もしない。従順にその苦難を受けられた。 裁判をお受けになった主イエスの態度はまさにこの通りでした。

ローマの総督ピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思ったのでした。

このような状態で、私たちは一言も弁解も答弁もしないことができるでしょうか?

 主イエスにとっては、十字架にかかることの意味と目的以外、目に入らなかったのでしょう。

イザヤ書53章11節には、「その苦しみの実を見て、満足する。」とあります。

ただひたすら、父なる神の御心を全うすることが彼の喜びでした。

そして、その喜び、その実は、私たちが罪赦され、義とされることでした。

自分がさげすまれたり、無視されたり、馬鹿にされたと思う時、十字架上で黙していた主を想い、その主に与えていただいた復活という大きな冠を目の前に置いて生きてゆきたいものです。

 

3、御心に従うしもべ(10~12節)

 10節を新改訳聖書では、「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためにいけにえとするなら、彼は末永く、子孫をみることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。」となっています。

しかし、この主のみこころを受け取ることは、主イエスにとって決して機械的ではありませんでした。

主は血の汗を流すようにして祈り、父なる神と問答されたのでした。

マタイによる福音書26章39節「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

 主イエスゲッセマネの園でこの祈りを三度しました。

その杯を飲むことがいかに恐ろしいかというのは、それは人間の罪のために犠牲になって死ぬことを意味していたからです。その祈りは人がもだえ苦しむ以上に壮絶な祈りだったのです。

父なる神はこの世を愛され、最愛の息子をこの世に人間の贖いの代価として命を与えるためにお遣わしになった。

子なる神の無限の苦しみからの叫びは拒絶されました。

もし子なる神である主イエスの叫びが認められていたなら、私たちのための救いが「完了した」という主イエスの喜びの声はなかったでしょう。

絶望した魂が、平安を得ることはなかったでしょう。

その時、父なる神は、子なる神の祈りをどんなに聞き入れたいと思われたことでしょう。

父なる神は父親の心で、子の苦悩を十分ご承知だったことでしょう。

しかし、このゲッセマネでの祈りが拒絶されることによって、主イエスは復活と今日の栄光をお受けになられました。

53章の前の52章13節のみ言葉はそれを明らかにします。

「見よ、わが僕は栄える。彼は高められ、あげられ、はるかに高くなる。」

今、私たちに与えられた良き行いや慈悲の心は、私たちの祈りがすべてかなわないことによって受け継がれているのです。それはとても偉大なことなのだと。

2024年3月3日の説教要約 「人生の海の嵐」 

2024年3月3日の説教要約

      「人生の海の嵐」    中道由子牧師

 

《ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。》(使徒言行録27章13~26節)

 

パウロはいよいよローマに向けて船出します。

それは、まさに命がけの旅だったのです。

パウロの遭遇した嵐と私たちが遭遇する人生の嵐を重ねてみていきたいと思います。

 

1、思わぬ暴風

地中海では、11月以降は航海は最も危ない時期とされていました。

ちょうどその頃にクレタ島を出発しようということになったので、パウロは黙っていられず、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」と警告したのでした。

彼は今までにも難船の経験が何度もあるし、一昼夜海の上を漂流したこともありました。

だから、本職の船乗りからみればしろうとかもしれませんが、経験に基づく彼の意見は尊重されるべきでした。

しかし、百人隊長は航海士や船長の言うことの方を信用したのです。

まもなくパウロが心配していたことが的中してしまいます。突然、何の前兆もなく、エウラキロンと言われている暴風が襲って来ました。

船はこの風のために苦しめられましたが、カウダという小島の陰に難を逃れ、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができたのです。

 しかし、その翌日になっても嵐は収まりそうもなく、彼らは積み荷を捨て始めました。

三日目に人々は、ついに自分の手で船具まで投げ捨てざるを得なくなったのでした。

ですがこれらのことをしても、事態は少しも好転しなかった。

当時の航海は、今日のように機器がそろっているわけではないので、太陽や星を頼りに航海するものでした。その肝心の太陽や星が全く見えないのでは、船の進路をつかむこともできず、ただどこかの陸地に打ち上げられるのをじっと待つほかはなかったのでした。情況は絶望的でした。無線も携帯もない時代です。

嵐の中、周りがまっくらでどこに進んでいいかわからなくなったその時こそ、パウロの出番でした。

 

2、安心できる理由

パウロは、食事ものどを通らないほどの失望している乗船者の前に立って、パウロの忠告を聞き入れなかったために起きた事態であることを、彼はまず指摘しました。

そして、は彼らの前に毅然とした態度で立ち、船は失っても命を失うことはないから、「元気を出しなさい。」と言って皆を励ましたのです。どうしてパウロはこのようなことが言えたのか。それは、前の夜に主の言葉があったからです。

パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」

 この言葉は、どんなにパウロを勇気づけたことでしょう。

またこの船に乗っていた人たちにとっても、使命遂行のために神の保証を受けているパウロが乗り合わせていたことは、どんなに幸いなことであったか分からない。

 私たちが生きていく中で、このエウラキロンのような突風に会うことがあるのではないでしょうか。そのために、どうしたらよいか分からなくなるような、絶望的な窮地に追い込まれることもあるでしょう。

マタイ福音書8章で、弟子たちがイエス様と乗っていた船が嵐に見舞われましたが、イエス様は、大変な嵐と突風の中で船が転覆するかもしれない中でも熟睡されていたのです。

エス様は天地の造り主であられますから、どんな環境にも支配されません。

驚いたり、困ったりということはないのです。イエス様は確かに人間の体を持っておられましたが、その環境に支配されるということがなかったのです。

そのイエス様と一緒に人生の船に乗っていることを忘れてはいけません。このお方が一緒でなければ、どんなに良いことばかりの人生のように見えても不安だらけです。

でも、この方が一緒に歩んで下されば、安心です。

 人生にはいつでも嵐が起こるものです。その嵐をどのように受け止め、勝利するかが重要です。

 

3、周りを助ける力

このような情況の中で、ただ自分が助かりたいだけではない、不安と恐怖に同じようにおののいている他の人々を力づけることが出来たらと思います。

そして実は、それがこの世に生かされている私たちクリスチャンの使命なのではないでしょうか。パウロは何の根拠も持たないでただ人々を励ましたのではないのです。

それは、「わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」という確信に基づいたものでした。大丈夫だと保証してくださる神がおられる。

その神は、「私の仕え、礼拝している神」だからです。

普段仕えていなかったら、いざという時、神の保証を信じることは難しいでしょう。

こうして彼は神の言葉に信頼することができたからこそ、「わたしたちは必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」と宣言できたのです。

神に仕えている一人の人が使命を遂行しようとし、そして信仰に立つ時、その人のゆえに周りの人々までもが救いの恵みに預かることができる。

このことを私たちは忘れないようにしたい。

どんなに周りが不信に満ちていて、沈没しそうな情況の中にあっても、救われた私たちの存在は決して小さくないのです。

2024年2月25日の説教要約 「誰にも責められない良心」

2024年2月25日の説教要約

    「誰にも責められない良心」  中道由子牧師

 

《こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。》(使徒言行録24章10~23節)

 

1、弁護士テルティロの虚言

カイサリアでのパウロの裁判で、原告側の弁護士として雇われてきたのがテルティロでした。おそらくギリシャ語を流ちょうに話すヘレニストのユダヤ人だったのでしょう。

ローマの総督フェリクスのところに来て、パウロを訴えます。

まず、テルティロは適当なお世辞を並べて総督フェリクスの関心を買います。

そして、パウロの告発を始めていきました。

まずパウロのことを5節「実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者」と、治安上も問題があるかのように言っています。

 次に、「パウロは、ナザレ人の分派の首謀者」だという訴えです。

ユダヤ教の人たちは、キリスト教ユダヤ教からはみ出した異端くらいにしか考えていなかったのです。パウロこそはこの異端集団の最高リーダーだと言っているのです。

 三番目に、6節「この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。」と言って、具体的に訴因を提示したのでした。

実際に彼らがパウロを捕えたのは、一人の異邦人を神殿の内庭に連れ込んだと言う理由で、これは誤解であったし、証拠もありませんでした。

ただ、このような訴え方をすることによって、裁判が自分たちに有利に展開するのではないかという計算があってのことでした。

このようにテルティロは、パウロという人物は、ローマ人にとっても                 ユダヤ人にとっても、また政治的にも宗教的にも危険人物であることを強調しました。

頭のいい人です。大祭司に雇われた弁護士ですから、事実をその報告に都合よく言い換え、利用しているのです。こういう人は私たちの周りにもいるかもしれません。

 

2、正直なパウロの弁明 

 総督フェリクスに促されて弁明に立ったパウロは、一つ一つの告発に対して、決してフェリクスにへつらうことなく、事実をあげて弁明しています。それによって、弁護士テルティロは人を訴えようとして、かえって自分の不義が明らかになったのでした。

 まず第一に、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしているという訴えに対して、彼は、自分がエルサレムに上ったのは礼拝のためで、暴動を起すためではないと反論しています。また、誰一人パウロが騒ぎを起こしているのを見たと言う目撃者もいません。

 二番目に、自分が「ナザレ人という一派の首領」であるかどうかにパウロは答えなかったけれども、この特別な群れに自分が属することは認めました。

けれども、ユダヤ人に「異端」とみなされている自分たちの方が、かえって完全に旧約聖書の教えと一致している、特に死人の復活の事柄にも正しく関わっている点を述べて、その正当性を主張します。

そしてパウロは、義人も悪人も必ず復活し、神の裁きの前に立たなければならないと言う復活信仰をもっていることを明らかにしています。

人に責められないだけでなく、復活の主の前に立つ時、大丈夫な生き方をさせていただきたい。

 三番目に、「神殿さえも汚そうとした」という訴えに対しては、自分は神殿を汚すどころか、ユダヤ人に献金を携えて、幾年ぶりかで帰ってきたこと、その供え物のためにきよめを受けて宮の中にいたこと、もし宮を汚したと言うなら、その証人を連れて来られるはずではないかと言う反論を述べます。

パウロは、自分が復活に対する望みのゆえに訴えられても、宗教的な問題はローマが扱うことはできないと堂々と語ります。

このように、パウロは、自分を弁護する中でも福音を示します。

神の人は、いつ、どこででも、誰の前でもためらわず、福音を伝える時を逃しません。

パウロのことを「あいつは『疫病、ペストのような人間だ』」とテルティロが言いましたが、パウロが宣べ伝える福音には当時の社会の体制を根本から覆す力がありました。

同じ福音の力が今私たちにも与えられています。

 

3、総督フェリクスの恐れと貪欲

 総督フェリクスは、意外にもキリスト教について相当詳しい知識を持ち合わせていました。パウロの弁明を聞いて、背景や事情がかなり分かったと思われます。

しかし、彼はパウロを釈放しなかった。

テルティロとパウロの証言の真実性を正すために、裁判を延期することにしたのでした。

 それから数日経ってから、総督フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラと一緒にやって来て、パウロを呼び出し、個人的に「キリスト・イエスを信じる信仰について」、彼から話を聞いたのです。

パウロは彼らとの個人的な対話の中で、「正義と節制とやがて来る審判」(25節)について話して聞かせます。するとフェリクスは恐れを感じて話を打ち切らせ、「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と言って自ら逃げたのでした。彼の結婚は正しくなかった。

それで、「正義と節制と審判」という話の内容に対してまとも対応するには、今の生活を自分の生き方から変えなければならないという「恐れ」を感じたのでしょう。

フェリクスは恐れにより自分の命と人生を神に委ねることができなかった残念な人物でした。

 私たちは神の前にも人の前にも責められない、証しが立つ生き方をさせていただきたい。

2024年2月18日の説教要約 「約束に忠実な主」

2024年2月18日の説教要約

   「約束に忠実な主」     中道選子神学生

 

エズラ記 1章1〜7節、4章24〜5章2節)

 

《シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。》

                        (エズラ記 5:2 新共同訳)

 

1.約束に忠実な主

イスラエルの民は神様の命令に聞き従わなかったので、イスラエルは北王国のイスラエルと、南王国のユダに分裂してしまいました。

さらに、ユダ王国の人たちは神様に背き続けたので、バビロンという、当時とても力を持っていた国に、打ち負かされ、捕囚として連れて行かれることになってしまいました。

この後、バビロン王国もペルシャという国に滅ぼされて、代わりにペルシャがユダやあらゆる国々を支配するようになります。

 

しかし、不思議なことに、ユダを支配していた、このペルシャの王、キュロスが、バビロン捕囚によって連れてこられたイスラエル人たちに、「首都のエルサレムに帰って、神様の神殿を建て直しなさい」と命じられました。

異国の王であり、異邦の神をも礼拝するキュロスの心さえも、神様は動かして、神殿を建てるために、イスラエルの民を、自分たちの国へ帰らせてくださいました。

このことが実際に起こる190年ほども前に、神様は、イザヤという預言者を通して、すでにこのことについて預言されていました。そのことが、イザヤ書の44章の28節に記されています。

 

[イザヤ書 44:28]

  キュロスについては『彼はわたしの牧者。

  わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。

  エルサレムについては『再建される。

  神殿はその基が据えられる』と言う。」

 

今までイスラエルは、何度も何度も、神様に背いて来ました。

それでも、神様の約束は変わらず、神様は、人間の目には不可能に感じるようなことを、不思議な神の方法で、成し遂げてくださいます。神様は絶対に約束を忘れない忠実なお方です。

 

 

2.主の約束に不誠実だった民

神様が、イスラエル人のために、バビロンからエルサレムへと帰る道を開いてくださり、彼らはエルサレムに帰って行きました。

さて、これから工事をどんどん進めて、待ちに待った神殿を完成させて、みんなで礼拝するぞー!と、意気込んでいたと思いますが、そうは簡単に行きません。

イスラエルの地に代わりに住まわされていた外国人や、その混血の民となったイスラエル人から妨害を受けるようになりました。

そして彼らは、「今は時ではないのかもしれない」と思い、その妨害に屈して、神殿の工事を中断してしまいました。

神様がこんなにも誠実であるにも関わらず、イスラエルの民は、その約束よりも、自分のことばかりを優先してしまうようになりました。

そんなイスラエルの人たちに、神様はハガイという預言者を遣わして、このように告げられました。

 

[ハガイ書 1:2~4]

万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。」

 すると預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。

  「この宮が廃墟となっているのに、

  あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」

 

イスラエルの国に帰らせてくださったのも、背後で働かれた神様であるに関わらず、彼らは、その神様の約束を大切にして、神殿の建設に集中するのではなく、自分の生活を優先していました。

そんなイスラエルの人たちに、預言者ハガイを通して、神様は忍耐強く、神殿を建て直すように励まされました。

そして、その言葉に従っていった時に、更なる支援を受けて、彼らは主の神殿を建て直すことができたのです。

 

 

3.私たちに与えられている約束

目には見えませんが、私たちにも、イスラエルの人たちと同じような約束が与えられています。

私たちは神様に背く罪ある者たちでしたが、神様は私たちを、神の国に立ち返らせてくださいました。それは、ずっと預言されてきた、救い主イエス・キリストを信じることを通してです。

そして、私たちにもイスラエルの人たちと同じようなミッションが与えられています。それは、神の国を広げ、建て上げていくことです。

神の国とは神の統治という意味があります。物質的な国ではなく、神が治められ、神様の御心と善がなされる時、そこに神の国があるのです。

 

今は目に見えない神の国を、私たちはどのように建て上げていくのでしょうか。それは、王であられるイエス様の言葉に従い、イエス様のように生きていくことを通してです。

私たちは、神様から与えられている約束、ミッションよりも、自分の生活、関心、心配に集中してしまってはいないでしょうか。

神様は諦めず、こんな私たちに御言葉を与え、約束に何度でも立ち返らせてくださるお方です。

今日、私たちは、神様の言葉に聞き従い、神の国が与えられている約束と、それを建て上げていくミッションに、立ち返るものたちでありたいと思います。

 

私はアメリカから日本に帰ってきてしばらくした時に、アルバイトを探していました。

私は神様に「あなたが私に行ってほしいと思っておられるところに、私を遣わしてください。あなたが求めておられる人たちをそこに置いてください。」と祈っていました。

 

そうして決まったアルバイト先で働く中で、そこで働く一人一人のために祈って欲しいから、神様は私をこの場所に置かれたのだと確信しました。

それから私は、一人一人が、神様の愛と出会うことができるように、救いが与えられるように、祝福があるように、真剣に祈り始めました。

するとその中で不思議な出会いと会話のきっかけが与えられ、一人の方が教会に通ったことがあることを知りました。

そして、彼女が再び教会に通うようになるのを、見届けることができました。

神様はその方のことを忘れておらず、彼女をもう一度神様のもとに引き寄せたいから、私をその方と出会わせてくれたのかもしれないと思い、神様の愛を強く感じた機会でした。

でも、その方も辞めてしまい、私もアルバイト先に慣れていき、学校や奉仕の忙しさの中で、バイト先のために祈ったり、出勤前に祈ることがおろそかになっていっていきました。

 

バビロン捕囚から帰ってきたイスラエル人も、最初は「主の宮を建てあげよう!」と張り切っていましたが、全然上手くいかず、時間も経ってその状況にも慣れ、気持ちも薄れ、イスラエルでの自分の生活に没頭していくようになりました。

神様は、私たちが属している職場で、学校で、教会で、家族の中で、友人関係の中で、神の国を建てあげていって欲しいと願っておられます。

私たちはその一つ一つの場所に、神様が置いてくださっていることを忘れてしまうことはないでしょうか。

神の国を求める心を新たにして、祈りを持って、それぞれの場所に向かっていく私たちでありたいと思います。