2018年8月19日の説教要約 「青年マルコの挫折と成長」

2018年8月19日の説教要約
  「青年マルコの挫折と成長」   中道善次牧師
使徒 12章25節、13章5節>


マルコは、ヨハネ・マルコと呼ばれます。バルナバのいとこですが、年齢的には叔父と甥の関係のようです。バルナバは、ヨハネ・マルコの面倒を見てきました。
一人の若者が、挫折を経験しながら、立派な主の器に変えられていったことを学びたいと思います。


①祈られてきたマルコ
マルコは、立派な信仰者である母のもとで育てられたエリート・クリスチャンでありました。同時に、経済的にも非常に恵まれた家に育ちました。お母さんの名は、マリアです。
聖書の中には多くのマリアが出てきますが、マルコの母マリアは、信仰の人、祈りの人、そして、弟子達の支援者でした。
最後の晩餐がもたれたのは、マルコの母マリアの家でした。水がめを抱えた男が合図だと言われています。案内をした水がめを抱えた男は、ヨハネ・マルコかもしれないと想像されております。
マコ 14:13 そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都に行きなさい。すると水がめを運んでいる男(マルコ)に出会う。その人について行きなさい。」
マコ 14:14 その人(マルコ)が入って行く家の主人(女主人マリア)にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています』。
ペンテコステ聖霊が下ったのも、同じくマリアの家の二階座敷でした。弟子達に聖霊が注がれて、三千人が救われて、教会が誕生したのを、マルコはその目で見てきたのです。
教会が誕生し、まもなく、ペトロが獄に捕らえられました。教会では彼の為に熱心な祈りがささげられました。ペテロが奇跡的に救出された後、たずねてきたのもマリアの家でした。
使徒 12:5 こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
使徒 12:12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
ある説教者は、マルコは母マリアの信仰に引きずられていたと言うのです。彼は、お母さんの強い信仰の影響力の中で育ってきたのです。
母の祈り、祖母の祈りは、どんなにありがたいものでしょう。皆さんの中にも、そのような祈りの中で育まれ、信仰を持ってきた方がおられるのではないでしょうか。それを感謝して、受け取りましょう。


②挫折の経験
祈られ育ってきたマルコはやがてパウロの後継者になるべくエリート・コースを歩み始めます。将来を嘱望されたマルコは、成長途上にあるアンティオキア教会の働きに加えられました。
使徒 12:25 バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果し、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
使徒 13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人はヨハネを助手として連れていた。
マルコは第一次伝道旅行に助手として同行しました。これをオン・ザ・ジョブ・トレイニング(奉仕をしながら訓練を受ける)と言うことができます。マルコは、神学校を卒業したのではないのです。パウロは、彼を伝道旅行の助手として連れて行き、やっていることを側で見せる。そして学ばせたのです。
しかしパウロが、オン・ザ・ジョブ・トレイニングで一つ見落としていたことがあるのです。オン・ザ・ジョブ・トレイニングには、失敗がつきものだと言うことです。パウロは、失敗をすることを計算に入れていなかったのです。
マルコの失敗が使徒13章13節です。マルコは、旅の途中で一人エルサレムに帰ってしまいました。
使徒 13:13 パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリヤのペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
マルコの帰った理由は、ホームシックではなく、パウロの異邦人伝道についてゆくことが出来なかったからです。まだ異邦人伝道が認められたわけではない。それを確かめる為にエルサレムに行った。マルコは、過激なパウロの伝道についてゆけなかったのです。
しかしこの身勝手な態度が、パウロの不興を買いました。マルコは、駄目印の烙印を押されました。
使徒 15:38 しかしパウロは、前にパンフィリヤ州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。
使徒 15:39 そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、
使徒 15:40 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
マルコの身勝手な行動のため、パウロバルナバの間に亀裂が入り、二人は別々に伝道旅行に出かけることになったのです。
この頃のマルコは、恐らく、30歳を越えていたと思われます。若い頃から教会や弟子達を見て、知ってきた分、大変、批判的で、生意気な青年であったと思われるのです。
パウロ先生の伝道方法にはついてゆけません。そして神学的にもおかしいです。
逆にパウロからは、途中で任務を投げ出すようなやつに何が出来るかと「駄目だし」をされました。
失敗学という学問が一般にあります。ある宣教師は、聖書こそ、すばらしい失敗学の書物だと言うのです。アブラハムモーセダビデもペテロも、聖書の人物で失敗しなかった人物などいない。その失敗を通して、神様の前に悔い改め、砕かれ、謙虚にされて、作りかえられてゆくのです。
マルコもここで失敗したのです。そしてマルコの失敗を受け止めて次のチャンスを与えることが出来なかったパウロもまた失敗したと私は思うのです。
お互いの失敗を責めないで、赦す。次のチャンスを提供する。そうありたいと思います。


③「絶対ダメ」はない
パウロから駄目だしをされたマルコ。これは彼にとって大きな挫折の経験でありました。
そのような挫折の中から、もう一度伝道者として用いられるようになるのは、いとこであるバルナバとペトロの助けがあったのです。
マルコがペトロの指導を受けたことが、1ペトロ5章からわかります。
ペテ1 5:13 共に選ばれてバビロン(ローマのこと)にいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。
バルナバは、挫折したマルコを、ペトロに託したのです。
ペトロは、喜んで引き受けました。何故ならペトロ自身も失敗の多い人物だったからです。イエス様から、「下がれ、サタン」などといわれたことがありました。またイエス様のことを知らないと3度も言ったのです。ペトロはそのような自分の失敗の経験からマルコを育てたのです。
マルコはペトロの通訳者としてローマ教会で奉仕をしました。ペトロの死後、ローマ教会の人々は、マルコにお願いをしたようです。マルコ先生、ペトロ先生がいつも語ってくださったイエス様の物語をもう一度語ってください。通訳者のマルコはペトロの説教をすべて覚えていました。それを書物に書き留めた。それが、マルコによる福音書であると言われるのであります。
かつて厳しく忠告をしたパウロも、マルコを認め、二人の和解がなされたのです。コロサイ書では、マルコはパウロと一緒に囚われの身になっているのです。
コロ 4:10 わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。
マルコは、パウロから「絶対ダメ」と言われました。しかし神は10数年かけて、マルコを大きく用いて下さったのです。