2019年4月7日の説教要約 「もう一人のイエス」

201947日の説教要約

 「もう一人のイエス」   中道由子牧師

 

≪ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」≫

マタイ福音書27章15~26節

 

説教のポイント

1、バラバ・イエス 2、恩赦を受けたバラバ、3、もう一人のバラバ

 

 

1、          バラバ・イエス

過ぎ越の祭りの度に「恩赦」と言って、どんな悪党でも一人赦す、という習慣があったようです。民衆は、バラバという殺人者を選んだということです。群集心理でしょうか。

周りが騒ぎ出すと、「そうだ、そうだ」ということで、バラバを赦し、イエスを十字架に付けよと叫んだのです。

どちらも「イエス」という名前です。それほど、イエスという名前はポピュラー、よくつけられていた名前でした。「主は、救い」という意味です。

「メシヤ」は「救い主」です。英語では「メサイヤ」、「キリスト、油注がれた者」と表現されます。バラバ・イエスか、救い主イエスのどちらかを赦し、どちらかを十字架に付けるという問題になったのです。

 もし私たちがそこにいたらどちらを選んだでしょうか。

みんなと同じバラバを選び、世の中に合わせて生きていくでしょうか、それとも、民衆と違う、しかし油注がれた救い主を信仰をもって選ぶことができたでしょうか。

バラバ・イエス、彼は、イエス様が身代わりとなって、自分がつくはずの十字架におかかりになったことによって、現実に処刑から逃れた世界最初の、唯一の人でした。

 イエス様の右と左に十字架に付けられた強盗の名前は記されていません。主が「あなたは私と一緒にパラダイスにいるであろう。」と言われた人さえも名前が記されていないのです。しかし、バラバ・イエスの名前は、マタイははっきり記し、世界に彼の名を知らせました。何のためか?赦された人だからです。

 

2、          恩赦を受けたバラバ

 ピラトは、イエス様に罪がないことが分かっていましたので、何とかイエス様を赦そうと努めました。マタイによる福音書では、ピラトの妻がどんな夢を見たのか書かれておりませんが、イエス様の夢を見て苦しんだ、というのです。しかも、「あの正しい人に関係しないでください。」と言っている。これは、ただ事ではありません。

総督ピラトはイエスに恩赦を与えよう。そのように提案したのです。ところが彼らは、別の人物の恩赦を要求したのです。それがバラバです。

ピラトはルカによる福音書の方では、イエスを赦す提案を三度繰り返したのですが、民衆の声が勝ったのです。彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求し、その声が勝った。ピラトは不本意でしたが、この要求に従い、バラバは釈放されました。

バラバは、この混乱の中、理由もなく赦されていきます。

ある聖書の学び会に、求道中の方が参加して、「赦し」と「許し」の比較に興味を持って質問していました。「許す」は、英語の「allow」です。何かをすることを許可してもらう。それに対して、「赦す」は「forgive」。このforには、否定の意味があるそうです。つまりdont giveだと言うのです。それは、「人にされた事をその人にしない」という意味だそうです。仕返しをしない、報復をしないのです。忘れてしまうほどの大きな赦しです。 この大きな赦しの一つが「恩赦」であったのです。

バラバが、自分が赦された、その赦しの大きさを知っていたでしょうか。

聖書はバラバのその後については何も記していません。ある伝説によればバラバは回心し、熱心にキリストの教えを述べ伝えて殉教したと伝えられているのです。

1950年に発表された、スウェーデンノーベル文学賞作家ペール・ラーゲルクヴィストの『バラバ』があります。この小説について、ある方のコメントを紹介します。

「バラバは聖書に登場するものの、その罪状からして本当の所は不明だ。

この作品も伝説を元にした創作にすぎない。そう頭で分かっていても、この作品のバラバ像は真に迫っている。キリストを盲目的に信じる単純素朴な人々とバラバは出会う。バラバは暴力と憎悪の中に生まれ落ちた背景を持っていた。『神の子』と崇められるイエス・キリストの身代わりに生き残った瞬間から、彼の生は否応もなくキリストに結びつけられ、最後はキリスト教の迫害に巻き込まれ磔刑に処せられる。」

最後の瞬間の言葉が次のように記されている。「死が、あれほどまでに怖れつづけてきた死が近いと感じたとき、まるでそれに話しかけるかのようにいった。おまえさんに委せるよ、おれの魂を。」この小説は、信じたくても信じられないバラバの葛藤する姿を描くのです。

最後は、自分の魂を委ねるという言葉で締めくくる。身代わりに赦されたバラバもまた、新しい人生を歩んだに違いないと思います。

神様が捕らえ、大きな赦し「恩赦」を与えたのはバラバだけだったでしょうか?

 

3、          もう一人のバラバ

ジョシュア・ハリス著「聖書が教える結婚講座」、英語だと、「Boys meets Girls」という本の中に衝撃的な証しが出てきます。

リベッカ・ピパートという女性が講演会を終えたとき、一人の女性が祈りを求めてやってきます。何年も前、彼女は当時婚約中だった現在の夫と、大きな聖書的な教会のユース・ワーカーをしていました。彼らは良い働きをし、尊敬された存在でした。しかし、結婚式の数ヶ月前彼女は妊娠していることがわかりました。もちろん結婚しようとしている人の子どもです。そのような不適切な関係をもってしまったのです。彼らは、罪意識と自分たちの偽善的な姿に苦しみました。自分たちが説教をしていることと、行っている事が矛盾していた事実を告白すればよかったのです。彼らは教会が混乱することを恐れ、その子を堕胎したのです。彼女は続けました。「私の結婚式の日は、人生最悪の日でした。教会中の誰もが祝福してくれる中、私の心の中では、自分に向かって『お前は殺人者だ。お前のプライドのゆえに罪もない赤ちゃんを殺した。』という声でした。彼女は、泣きながら、「どうして私に罪のない命を殺すことなんか出来たのでしょう。今私たちには4人の子どもたちがいます。神が私たちの全ての罪を赦されると聖書に書かれていることも知っています。でも私には自分が赦せません!この罪を何千回も告白してきましたが、なぜ私に罪のない命を殺せたのかという思いがつきまっとって離れないのです。」

話を聞いていたリベッカは、自分が示されていることを話しました。それが神からの言葉でないなら、相手をひどく傷つける言葉であると感じて祈りました。

「あなたがどうしてそんなに驚いたか、私には理解できないわ。あなたの罪が人を殺したのは、それが最初ではないからよ。それは2回目なの。イエス様の十字架を見上げるときは、誰でも彼を十字架に付けた張本人としてそこに立っているのよ。信じている・いないにかかわらず、堕胎した人・していない人に関係なく、私たちの誰もが全歴史を通してただひとり、罪汚れのない純粋なお方の死に責任を負っているのよ。イエス様は私たちの過去から現在、未来に至るまでのあらゆる罪のために死なれました。あなたは自分がこれまでに犯した罪の中に、ひとつでもイエス様が死ぬ必要がなかった罪があったと思う?あなたに自分の赤ちゃんを殺させたそのプライドの罪が、イエス・キリストも殺したのよ。あなたが2千年前にその現場にいなかったことなんて関係ないわ。私たち全員がイエスをあそこに十字架に送ったの。だからもしあなたがそれを以前にやったのなら、どうしてまたやれるはずがないなんて言えるの。」

彼女は泣くのを止めました。そして私の目を真っ直ぐ見ながらこう言ったのです。

「あなたの言う通りです。リベッカ、私は自分で想像できる最悪のことをしたと告白しにあなたのもとに来ました。そうしたらあなたは私がそれよりもはるかに悪いことをやったのだと言われました。でも、十字架は私が自分で想像していたよりもっとひどい罪人であることを示しているけれども、あそこで私の悪が吸い取られ、赦されていることも示しているのね。もしも人間に出来る最大の罪が、神の子を殺すことで、その罪さえ赦されているのなら、他のどんな罪も、私の堕胎の罪さえ、赦されないなんてことはないのね。」彼女は畏敬の念に打たれて、こう言いました、「まさに驚くばかり恵み、アメージンググレースだわ。」

バラバは解放されて、人々が自分を自由にしてくれた、と思ったかも知れません。

でも、本当は、イエス様の愛が彼を自由にしてくれたのです。

もう一人のバラバが誰なのか、見えてきます。

私です。私たちです。もう一人のバラバは、私たち自身であり、神様の前に到底赦されなかった私たちが今赦され、自由にされています。

神様は、私たちがイエス様という無償のプレゼントを拒否することもご存じの上で、独り子イエス様を私たちのためにくださったのです。