2019年5月12日の説教要約
「あなたであることの大切さ」 エミリー・スミス宣教師
≪主はお答えになった、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」≫ (ルカによる福音書10章38~42節)
私が日本に来る前に、妹と私は話し合いました、私が日本に行く前のアメリカでの最後の時をどんな風に一緒に楽しく過ごそうか、と。私の甥はちょうど春休みに入っていて、一週間くらい学校がお休みになっていました。私たちは私の甥に、何をしたいか尋ねました、そして彼の答えを聞いてルカによる福音書のこの箇所から話すように導かれたのです。
甥のサムソンは「僕はエミリーと一緒にいたいよ。」と言ったのです。
この箇所の前の部分をお読みになったら、そこにはたくさんの宣教の業が書かれています。9章からずっとイエス様がなさった宣教の業、12弟子を遣わし、彼らが行なった宣教の業が書かれています。 それからイエス様はマリアとマルタの家に到着したのです。
この二人の女性は私たちが奉仕できる2つの側面を持っています。
マリアはイエス様のために何もしませんでした。ただそばに座って、一緒にいただけでした。マルタは奉仕をしていました。
他の人のために料理をすることは彼女にとって宣教の業、奉仕でした。
でも、ここでは、特に英語では違う表現がされています。「彼女が心を乱していた。」
マルタは彼女の奉仕のことで心を乱していました。私たちも気をつけないとこうなってしまうでしょう。イエス様がうちに来てくれているのに、イエス様を見失ってしまうことがないでしょうか。
もし私たちがいつも「あれやって、これやって、奉仕、奉仕、奉仕」ということで頭がいっぱいになっていたら、イエス様と一緒にいることを忘れてしまったら、私たちは何もできなくなります。
「わたしにつながっていなさい、(そうすれば)わたしもあなたがたにつながっています。わたしにつながっていなければ一人では実を結ぶことができない。」と言われました。
私たちは、この忙しい文化に生きていて、どのように静かな時を持てるでしょうか。
私たちの心は休みがありません。私たちはどうやって休みを取ったらいいかわからない文化、社会の中に生きています。
もし私たちが少しでも静かな時を持とうとするなら、私たちは落ち着かなくなります。
ポケットから携帯電話を取りだして何かをしますね。
私たちの生活は「ゲーム、ゲーム、ゲーム、漫画、漫画、漫画、テレビ、テレビ、テレビ」なんです。
教会の人も同じ問題を持っています。私たちは、「奉仕、奉仕、奉仕、会議、会議、会議、イベント、イベント、イベント」なんです。
そして、イエス様と一緒に座って一緒に過ごすことができないのです。
私が神学校で学んだことのひとつは、イエス様が語らないことを通して、イエス様が語ろうとしていることを理解できるようになったことです。
イエス様はマルタに「あなたがしていることは良くない」とは言われなかった。
「やめなさい、マルタ。マリヤのようにしたら。」とも言われなかった。
ただ、イエス様は、「あなたはいろいろのことに思い悩んで、心が乱れているよ。マリヤは間違ったことをしていないよ。」と言ったのです。
マリヤは、活動的な奉仕は何もしていないけれども、それでいいよ、と言うのです。
イエス様と一緒にいることについて、2人の姉妹から学ぶべき2つのことがあります。
まず第一に私たちがすることは静まることです。
私たちはいつも心が乱れています。
私は祈りの時間を持とうとしたら別の部屋に私の携帯電話をおかなければならないんです。携帯電話をポケットとか、リュックサックに入れる方法もあるけれども、そこはあまりにも近すぎるので。それはやめたほうがいい。
私の友達で、携帯電話やフェイスブックをいつもチェックしないと気が済まない人がいます。私が今日あったことを話しているのに、携帯をいじっているのです。
私は彼女に私がどう感じているか、話しました。「あなたは私が話しているときも携帯をいじっている、私の話を聞いていないみたいだけど。」と言いました。
彼女は「私、二つのことが同時にできるの。」と言いました。
たぶん出来るんでしょうね。でもその答えでは、私は納得できません。
神様も同じです。神様もまた同じように感じておられます。
神様は私たちのことをどう感じておられるでしょうか?神様と過ごそうとすると気が散る心乱されることが私たちに起こることをどう感じておられるでしょうか。
私たちは急に変わることはできないのです。
静かに神様と一緒に過ごすことは習慣となっていく必要があるのです。
第二に、イエス様のために奉仕しているからと言って、イエス様に従っているということにはなりません。それは目的ではないのです。皆さんはイエス様がなぜあなたと一緒にいたいか知っていますか?あなたがあなただからです。神様はあなたを愛しておられる、そしてあなたと一緒にいたいと願っておられます。神様があなたを愛するためにあなたの方で出来ることは何もないんです。神様の方でしてくださっています。
私の妹と私は最近神様について話をしました。私が日本に行く前に、私たちは父と一緒に住んでいました。彼女は神様は自分に反発しているように感じると言いました。
彼女は神様の愛をもらうためには、よい子でいなければならないというチェックリストが自分にはあるみたい。」と言いました。
それで私は聞きました、「あなたが神様と一緒にいるとき、自分と神様がいてそれで受け入れられていると思わないの?」と聞きました。それはないと彼女は答えました。
彼女は神様よりも長くお父さんと一緒に過ごしてきたからです。
彼女は神様のことを知らないから、神様に対する彼女のイメージは、間違っていました。
今日皆様に大切なことをお伝えしたいと思います。神様に愛されるために何もする必要がないのです。今日、あなたがどうであっても、明日あなたがどうであっても、100年後あなたがどうであっても、神様はあなたを愛してくれます。神様があなたを造った、それはあなたと交わりを持ち、あなたのことを知るためでした。
多くの人は神様っていうと、何か自分の見られたくない部分も見られるような、嫌なイメージがあると思います。
私は皆さんに申し上げたい、あなたが成し遂げたことも、反対にあなたが失敗したことも、あなたに対する神様の愛から引き離すものは何もない。
神様はあなたが教会に来るからあなたを他の人よりも愛しているわけではありません。
あなたがクリスチャンだからあなたを他の人より愛してるわけでもない。
今日皆さんがここにいて、神様と交わりがないとしたら、それは私たちの側で壁を作っているからです、神様の側の問題ではないのです。
神様はあなたがあなただから一緒にいたいと思っておられる。あなたは神にとって特別な存在だからです。
私が甥のサムソンにどこに行きたいか、聞いた時、彼は「ただエミリーと一緒にいたいよ。」と言いました。私たちはどこにも行きませんでした。それは本当に素晴らしい時でした。
私は顔をくっつけあって6時に起きて、家で段ボールで犬と一緒に遊びました。
何でも自由に話して、家でお昼ご飯を食べました。カウチで一緒に昼寝をしました。ずっと一緒にいました。世界中でそれ以上の最高の場所はありませんでした。
私は最後のその週をずっと心の中で大切にしています。
神様もそんな風に私たちと過ごしたいのです。他のことに心乱されずに。自由にただ話して、自由に一緒にいて、私たちが感じていることすべて、私たちのが傷ついたことも、私たちが嫌だと思ったことも神様は全部受け止めてくれます。そんな時間を待っておられるのです。
これこそが福音なんです。イエス様はそんなお方です。