2020年8月30日の説教要約  「それを良きに変らせて」

2020年8月30日の説教要約

                         「それを良きに変らせて」  横浜いずみ教会 佐藤彰勧士

 

≪あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。≫

                       (創世記50章15~21節)

 

 今朝は、“共におられる神”の素晴らしさ、力強さ、によって、“すべてを益に変えてくださる神”について、教えられたいと思います。

 最初に、創世記第37章~第50章の前半までの聖書の記事から、ヨセフの人生の辛さ、苦しみ、そして、“神がそれを良きに変えてくださったこと”の要点をお話しします。

 

  イスラエルの民の最初は、アブラハム、その子がイサク、その次の子がヤコブですね。

ヤコブには、12人の男の子が生まれますが、その11番目の子がヨセフです。

ヤコブは、ヨセフのお母さんのラケルを特に愛していましたし、また年寄りになってから生まれた子なので、11番目のヨセフを、10人の兄さんたちの誰よりも、愛して、特別に可愛がっていたのです。

 10人の兄たちは、そのために、弟のヨセフを憎らしく思うようになってしまいました。

ヨセフが17才になった時に、兄たちが家から離れた野原で、羊を飼っていた時に、父のヤコブはヨセフをお兄さんたちの所に使わしました。

 ヨセフがやってきたのを見た、お兄さんたちは、ヨセフを捕まえて、穴に投げ込んでしまいます。 ちょうど、その時に、エジプトに行く、商人の団体が近くを通りましたので、兄たちは、ヨセフをその商人に売ってしまいました。

 ヨセフは、商人に連れられて、エジプトに連れて行かれ、奴隷として、エジプトの王の侍衛長に売られてしまいます。

 ヨセフは、それまでは、お父さんに特別に大切にされ、幸いな生活を送っていたのに、突然、生活環境が大きく落ち込んで、奴隷になってしまったのです。

 不幸な生活となる状況でしたが、主なる神がヨセフと共におられ、ヨセフは幸運な者となり、立派な働きをしたので、主人から信頼されて、家のことを全て委ねられるようになりました。 ヨセフは、姿が良く、顔が美しかったので、主人の奥さんが、ヨセフを誘惑します。

ヨセフは、その誘惑をシッカリ断ります。そのために、奥さんは主人にウソを言って、ヨセフを牢獄に入れてしまいます。

 ヨセフは、ひどい生活環境になってしまいましたが、そこでも、主なる神がヨセフと共におられたので、牢獄の番人から、すっかり信頼されて、牢獄の管理を任されます。

 しばらくして、エジプトの王様が特別な夢を見ます。

そして、その夢の意味することを、たくさんの人達に聞きますが、誰一人、その夢の意味を理解できませんでした。 その時、かつて、ヨセフと同じ牢獄に入れられていたことがある、給仕役の長が、エジプトの王様にヨセフを紹介します。

 王様は、さっそく、ヨセフを牢獄から呼び出して、夢の話を聞かせます。

ヨセフはその夢の意味することをシッカリ説明します。

王様はすっかりヨセフを信頼して、エジプト全国の支配を委ねます。

 その時、ヨセフは30才でした。

7年間の豊作のあとで、飢饉(ききん)がつづきます。

エジプトはヨセフの指導によって、飢饉に耐えられますが、エジプトの周囲の国のひとたちは、飢饉のために困ってしまいます。

 エジプトの隣りに住んでいた、ヤコブとその家族も困ってしまって、ヤコブは息子たちをエジプトに送って食物を手に入れることを命令します。

 兄たちがエジプトに来たとき、ヨセフは、兄たちに気づきますが、兄たちは、エジプトの支配者となっているヨセフに気がつきません。

 兄たちは、 ヨセフから食物を受けて、帰国しますが、2回目に来たときは、ヨセフは自分のことを打ち明けて、飢饉はまだ続くので、父ヤコブと一緒に、イスラエルの民、全員がエジプトに来て、住むように伝えます。

 父のヤコブは、死んでしまったと思っていた、愛するヨセフがエジプトの支配者として、元気に生きていることを聞き、エジプトに来ることを決心します。

 父のヤコブはヨセフと逢って、大喜びでした。その後、召されていきます。

10人の兄たちは、ヨセフが17才の時に、エジプトの奴隷として、売ってしまったことを忘れることはできませんでした。

 兄たちは、父が居る間は、ヨセフはがまんしていますが、父が死んでしまった今は、必ず、あの時の仕返しをする・・・・と思っていたのです。

ところが、ヨセフは、兄たちを憎んで、仕返しをしよう、などとは考えていませんでした。

 ヨセフは、兄たちが、自分のために、悪を行ったこと、また、自分がそのために、ひどい人生を歩まされ、しかも、そうしたいっさいが主なる神によって、「良きこと」に変えられ、その結果、イスラエルの家族全員を救い、その後の子孫のために、素晴らしい道が開かれて行くことを確信していたからです・

ヨセフは兄さんたちを慰めて、親切に語りました。

その中心の言葉が、第50章20節です。

「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」

 ヨセフは、兄たちの行った悪のために、辛い、苦しい状況になってしまいましたが、“神はそれを良きに変えてくださった”のです。

 創世記のしめくくりはここにあります。

人間を創造された神は、人間が他者に対して悪をたくらむようなことがあっても、神は、それを良きに変えてくださるのです。

 わたしたち、神を信じる者、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、主と共に生きる者にとって、辛いこと、苦しいことがあっても、主が共にいてくださり、主の働きによって、良きに変えられる・・・。と聖書は教えています。

 このことは、新約聖書でも、シッカリ教えて下さっています。

新約聖書の中の有名な1か所をお読みしたいと思います。

ローマ人の信徒への手紙8章の28節をお読みします。

“神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。”

神を愛し、神を信じる私達の人生には、いろいろな事があります。嬉しいこと、楽しいこともたくさんあります。しかし、辛い事、苦しい事もあります。

しかし、どんなことがあっても、主が共にいてくださり、全てを良きに変えて下さることが、聖書に約束されています。

 ヨセフの人生も、また旧約聖書に登場する、たくさんの信仰者の人生も、新約聖書に記されているたくさんの信仰者の歩みにも、そして、今のわたしたちの人生にとっても、このことは確かなことなのです。

このことをシッカリ受け止めて、これからの歩みを主と共に歩ませていただきましょう。