2020年10月11日の説教要約 「人生の祝賀会」

2020年10月11日の説教要約

                       「人生の祝賀会」 中道善次牧師 

<弔いの家に行くのは、酒宴の家にいくのにまさる。そこには人皆の終わりがある。命あるものよ、心せよ。>

                    (コヘレトの言葉7:1~2)

 

「人生の祝賀会」という説教題で、召天者記念礼拝の説教を取り次ぎます。

今日の聖書箇所は、不思議な対比をしております

コヘレト 7:2 弔いの家に行くのは、酒宴の家に行くのにまさる。

お葬式と宴会を対比しております。そして弔いは、酒宴(祝宴)にまさると表現しております。

葬儀と祝宴を結びつける表現があることを、数年前に知りました。

2018年11月、OMS創立者の一人アーネスト・キルボルン師の孫で日本生まれのアーニー・ジュージ・キルボルン宣教師の記念会に出席しました。彼の記念会は「セレブレーション・オブ・ライフ」と名付けられていました。直訳では「人生の祝賀会」です。

2018年4月に榎本てる子牧師が召天されました。「ちいろば牧師」として有名な榎本保郎牧師の娘です。榎本てる子先生は、関西学院大学で教えておられました。

55歳で天国に召されてゆきました。死期が近い時、関西学院大学神学部長の中道基夫師(何人もの人から尋ねられたが、中道とは縁戚関係はない)に「葬式という名称は嫌だ」とてる子先生は訴えられました。そこで「セレブレーション・オブ・ライフ」(人生の祝賀会)という名称になりました。

今日の召天者記念礼拝では、召されていった方々の人生を祝う時としたいと思います。

 

① 神からの賜物を感謝する

聖書の中にヨブ記という書物があります。ヨブ記の主人公であるヨブは、突然の苦難にあいました。

ヨブは神を恐れる人で、家族にも財産にも恵まれた人でした。しかし突然の災難が降りかかってきます。外敵や自然災害で、子どもたち全てを失い、財産である家畜が奪われ、使用人が殺されたのです。

神を信じ、まじめに生きてきた善良な人、しかも子どもたちには最善の配慮を注いできたのに、何故このような悲劇に直面するのだろう。ヨブ記はそのような書き出しで始まるのです。

その直後にヨブが語った言葉が、次の言葉です。

ヨブ 1:20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。

ヨブ 1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主のみ名はほめたたえられよ」。

これはヨブの信仰の告白であります。

私は、ある解説を読んで、私は心撃たれた事があります。

主は与え、主は取られる。主の御名はほめたたえられよ。この言葉は、祝福を自分から取り去った神の手に祝福をお返ししますという意味であります。諦めや達観ではなく、神様、今までどうもありがとう。元々何もなかった私に、こんなに素晴らしい子たちたちを与えてくれて、何もなかった私をこんなに豊にしてくれてありがとう。でも今それを神様にお返しする時なのですね。お返しします。今まで与えてくださり、本当にありがとうございました。

家族も財産も神様から託されているのだ。神様からの祝福が自分に託されている。しかしいつかこの祝福は、それをお与えになった神様にお返ししなければならない。

この言葉の中で、私たちが意識すべきことは「神様の祝福」であります。祝福が、神様から来て、自分に託されて、そしてまた神様にお返しするのです。

神に祝福をお返しする。それが、亡くなった人の人生を祝う会にふさわしい姿であります。

 

② 良き思い出を覚える

次に紹介したい聖書の言葉は、箴言11:6~7であります。(新共同訳の引用省略)

この箇所を、バルバロ訳聖書は、次のように訳します。

「神の祝福は正しい人の上に下り、早められた死は悪人の口をふせぐ。正しい人の思い出は祝され、」

バルバロは、その人についての良い思い出が祝福されるというのです。

ドイツの専門書ATDは「正しき者についての記憶は祝福の中に留まる」と訳すのです。

今日の説教の第二ポイントで心に留めたいことは、その人の良い思い出を大切に心に刻み、祝福の中にその記憶をとどめることであります。

亡くなった人々のことを祝福のうちに記憶にとどめることが大切であります。

 

③ 新しい旅立ちを祝う

茅ヶ崎教会は相模メモリアルパークに共同墓地を持っております。

その墓石に記してある聖書の言葉は、フィリピ3:20であります

フィリ 3:20 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。

墓石には「我らの国籍は天に在り」と文語体で書かれています。

私たち日本に住む日本人は、国籍、永住権を意識することがあまりありません。

しかし私たち夫婦が、アメリカのカリフォルニアに住んでいたとき、国籍や永住権のことを意識しました。

クリスチャンの市民権と永住権に関して、リック・ウォーレンというアメリカを代表する牧師の説教を借りてお話しします。

クリスチャンは霊的な永住権を持つべきです。何故ならクリスチャンの市民権は天国にあるからです。神は御自分の子どもたちを、この地上に住まわせておられますが、それは永住権を持たせて、一時的に住まわせているのです。

アメリカで、良く語られた物語があります。長年外国で働いた宣教師が、引退して本国に帰ります。まだ船で移動する時代のお話しです。ところがその宣教師が乗った同じ船で、大統領がアメリカに戻ってきました。軍の音楽隊、赤いカーペット、メディアが迎えました。

しかし宣教師は誰にも気付かれずに船を下りました。「自分は海外で神様のために働いてきたのに、一体何をやって来たのだろう」、そのような自己卑下するような悔しい気持ちがあり、神に文句を心の中で言いました。その時神が優しく言いました。わが子よ、お前はまだ自分の国に戻っていない。

この地上でのことは一時的なのに、どうしてこの世のことでそんなに力を入れてきたのかと、自分がこの世を去る前に自問する事がないようにしましょう。

死ぬ時、あなたは故国を去るのではない。その時あなたは故国に帰るのです。

故国に帰るとき、麗しい音楽で出迎えられ、「お帰りなさい」とみんなから歓迎の言葉をかけられるのです。

告別式は、「祝いの場所」に愛する人を送り出す時であります。