2021年5月16日の説経要約
「弱き者への大きな愛」 中道由子牧師
≪あでやかさは偽り、美しさは空しい。主を恐れる女こそ、たたえられる。≫
(箴言31章30節)
本日は、創世記29章からレアとラケルという二人の姉妹からイスラエルの12部族が生まれたお話です。
彼女たちの結婚生活は決して幸せとは言えなかったと思いますが、神様はいつも弱い立場の女性たちの味方でありました。
1、欺かれた結婚
ヤコブは二人の妻を持った人でした。姉と妹が、同時に一人の夫の妻となるというのは道理にかなわないことで、後にはモーセの律法もこれを禁じました。
しかし、これはその以前のことでレアとラケルは互いに忍ばねばなりませんでした。
兄エサウから長子の権利を奪って家にいられなくなったヤコブは、叔父のラバンの所に世話になることになりました。レアはラバンの上の娘で、新改訳では「レアの目は弱々しかった」と書かれています。
しかし、妹のラケルは美しく愛らしい女性でした。ヤコブは井戸のほとりで初めて会った時からラケルに心惹かれ、ラケルを愛しました。
ヤコブはラケルとの結婚のことを申し出ました。そしてこれから7年間、ヤコブは叔父の家業に仕え、その報酬としてラケルを妻に迎える約束でした。
7年後ついに結婚が執り行われ、慣習に従って、日暮れになって新婦はその父親によって、新郎のもとに送り届けられました。
ヤコブは翌朝になって新婦が彼の期待したラケルではなく、彼女の姉のレアであったことがわかって驚きました。そして、早速ラバンに抗議を申し込みに行きました。すると叔父のラバンは冷静で、「姉から結婚させるのが順序であるからレアを彼に届けたのだ」ということでした。
もしそうであるなら、7年前に知らせるべきでしょう。
ラバンはヤコブがラケルに好意を持っていることに気づいていて、ヤコブを利用しようとしたのです。
また、目が弱いレアの結婚相手を見つけることが難しいと考えたのかもしれません。
ヤコブはレアを妻に迎えましたが、それで納得することはできません。
それから間もなく、ヤコブはラケルとも結婚しますが、そのため彼はもう7年間働くことを余儀なくされました。ヤコブはかつて父を欺いたことがありました。
そして今叔父に欺かれてしまいました。
痛みと苦しみは、与えた人はすぐに忘れてしまいます。しかし、被った人にはいつまでも傷として残るものです。ヤコブはだます人でした。
そんなヤコブが結婚する過程で、ラバンにだまされます。
ヤコブはこの時初めて過去に自分がしたことを思い出したことでしょう。
嫌々ながらヤコブが結婚したレアの気持ちはどうだったでしょう?
妻は自分の夫とのかかわりの中で、その愛の中に自分の価値を見出すのですから、夫に嫌われるということは彼女にとって身の置き所のない不安と苦しみであったでしょう。
レアは恐らく小さいころから妹ラケルと比較されて育ったに違いありません。
そのような中で彼女は次第に自分の容姿について劣等感を抱くようになったでしょう。
多くの女性は結婚に夢を抱き、結婚することによってすべての問題が解決するかのように思い込みますが、単に環境を変えることによっては、内面的な問題に本質的な解決をもたらすことはできません。
2、女たちの戦い
主はレアが嫌われているのをご覧になった。
主はこのレアの悩み、苦しみをじっと見ておられた。
恐らくレアは夫に愛されないという孤独の中で主に叫び、主に祈り求めたのでしょう。
主は自分の力や自分の知恵、自分の容姿により頼むものよりも、主の前に自分の弱さを覚え、主によりすがる者を憐れんでくださいます。
主はレアを心に留め、その胎を開いてくださった。しかし、ラケルは不妊のままであったのです。
レアは男の子を産み、ルベンと名付けます。レアは、子供を産めば、夫の心をとらえることができると考えたのでしょう。しかし、どうもそのようにはならなかったようです。
二番目の子シメオンが生まれ、三番目にレビが生まれました。この子は祭司の系図の元となる子です。
4番目のユダはダビデの家系となり、救い主の家系となります。
ラケルはどうでしょう?
ラケルは、自分がヤコブに子を産んでいないことから姉を嫉妬しました。
彼女は今まで、容姿の点においても夫の愛を受ける点においても、決して姉のレアに負けたことはなかった。彼女はいつも姉に対しては優越感を持っていました。
しかし、今や彼女は初めて敗北を経験したのです。しかもこの戦いは、彼女の努力によって勝利できるものではなかったのです。
主は、ラケルが砕かれて主により頼むものとなることを期待されたのです。
しかし、彼女は最初は、彼女の悩みと不満を主にではなく、夫にぶつけました。
「わたしにもぜひ子どもを与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」。
ラケルもまた他人との比較の中にアイデンティティーを見出していたのでした。
そこで、ラケルは作戦に出ました。かつて、サラが女奴隷ハガルを使ったように、ラケルも女奴隷ビルハをヤコブに妻として与えました。
人は本当に行き詰まらない限り、神の元には行きません。
ラケルは神に求めながらも、自分の知恵に頼っていました。
ビルハはダンとナフタリという男の子を生みました。「裁く」と「争う」という意味の名です。
ラケルはまだ姉との争いというところから解放されていなかった。
正しい人生の目標は主を求める以外にないのです。
ラケルの女奴隷がヤコブに子どもを産んで、今度はレアが、不安になります。
それで、レアもラケルが用いた方法をまねて、女奴隷ジルパによって更に二人の男の子を得ます。
幸運という意味の「ガド」と、喜びという意味の「アシュル」。
ところが、これによってもレアは満足することができませんでした。
その後、もう子供を産むことは終わったと思っていたレアに主は、イッサカルとゼブルンを与えます。最後にレアはディナという女の子を産みます。
もう神様、私のことなどお忘れでしょう、と姉との戦いに疲れていたラケルに主は子供を与えてくださった。ラケルはもう姉のことなど考えません。「神がわたしの恥をすすいでくださった」と感謝をささげ、ヨセフと名付けたのです。彼女は、主によって祝福を受けることができた喜びに満たされていました。
3、一致できた姉妹
ヤコブはすでに20年もラバンのもとで働きました。彼は今やカナンに引き上げて一家を築きたい、自分をカナンに返してくださいとラバンに頼みます。
しかし、ラバンの権力は強く、その場所を立ち退くのには、計画や準備を必要としました。
ヤコブは二人の妻に事情を打ち明け、協力を求めました。
この重要な事柄について、争っていた妻である姉妹は心を合わせ、一致することができたのです。
35章で、カナンへの道の途中、エフラタの付近でラケルは産気づき、子を産みます。
が、難産で出産後彼女はなくなります。死に臨んで、彼女は子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と呼ぶのですが、ヤコブは彼をベニヤミン(幸いの子)と名付けました。ヤコブの12人の子どもの末っ子です。
旅の途中に亡くなったラケルを惜しみ、ヤコブはベツレヘムの城壁の外に彼女の墓を建てました。
あんなに子供がほしかったラケルでしたが、2人目の子供の命と引き換えに、自分の命が終わるなんて思ってもみなかったでしょう。
レアにとってもそうです。ラケルと夫を取り合って争っていた時は、憎む思いがあっても我慢していたのに、妹はこの世を去りました。愛すれば、いなくなる、という話を聞いたことがありませんか?
愛せないうちは、許せないうちは何も起こらない。
レアのその後についての記録はありませんが、生き残った彼女は夫を助け、彼のカナンにおける生活を安定させたことでしょう。
49章でヤコブがエジプトで息子たちに囲まれ、死を迎える時、彼はアブラハムと妻サラが葬られ、イサクと妻リベカが葬られ、レアを葬った墓地に自分も葬ってほしい、と願います。
同じ墓に入ると言いますが、妻として同じ墓に入ったのは、ヤコブが始めに愛したラケルではなく、最初に結婚したレアでした。ヤコブの人生の終わりを支えたレアをヤコブは愛したでしょう。
神様はどこまでも公平なお方です。