2021年5月23日の説経要約 「聖霊のはたらき」

2021年5月23日の説経要約

                                    「聖霊のはたらき」  照内幸代牧師

 

≪議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学の普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいたものであるということも分かった。≫

                                                                                             (使徒言行録4章13節)

 

1、人が変えられる

使徒言行録4章5-6節を読みますと、私たちは見覚えのある名前を発見します。「大祭司アンナスとカイアファ」という名前です。どこかで見た名前だなと思いきや、この二人は福音書に出てきているのです。まず大祭司アンナスですが、彼の名前をヨハネ福音書18:13で見ることができます。そこの聖書箇所を見ますと、「イエス、大祭司のもとに連行される」という題がついていまして、「そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである」と書いてあります。主イエス様は兵士たちの手によって、尋問を受けるために大祭司であったカイアファのしゅうとアンナスのもとに連行されていたのです。その次に出て来るタイトルは、「ペトロ、イエスを知らないと言う」というタイトルが書かれています。このあと何が起こるか、ご存じの通りです。主イエス様が裁判にかけられているとき、そこに居合わせたペトロは、三回もイエス様を知らないと言ってしまうのです。

今、ペトロが立たされているこの状況は、まさにその時のようです。ペトロは尋問を受けますが、それに対して堂々と受け答えます。(4章8-10節)数か月前まで、「お前はナザレのイエスと一緒にいた」と言われたら、恐ろしさのあまり「違う、そんな人は知らない」と言っていた人です。その人が、今度は堂々とナザレのイエスの名前を言い、あなたたちが十字架につけたナザレ人イエスはキリストだと言っているのです。これこそが聖霊の働きです。4章8節を見ると、「ペトロは聖霊に満たされて言った」とあります。主イエス様が天にお帰りになり、代わりに遣わされた聖霊様の力を受けて、ペトロは人を恐れず、神を恐れてイエス様を証する証人へと変えられたのです。

 

2、知恵が与えられる

聖霊様の働きの二つ目は、聖霊様によって知恵が与えられるということです。ペトロはサンヘドリンで堂々とイエス様についての説教をしました。すると4章13節とあります。この議会に集まっている祭司たちも律法学者たちも、エリート中のエリートです。ペトロやヨハネを言い負かす自信すらあったのです。それなのにペトロとヨハネはもと漁師で、田舎のガリラヤ地方出身の人とは思えないほどの説得力ある聖書解き明かしをしました。これには大層驚いてしまったのです。主イエス様は、天にお帰りになる前、弟子たちに聖霊様のことを預言して行かれました。これこそ、助け主なる聖霊様のお働きだったのです。

ヨハネ14:25~「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

ヨハネ15:26「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証をなさるはずである。」

ですからルカの福音書12:11でイエス様はこのように弟子に教えていました。

「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」

ペトロやヨハネがたくさんの勉学を積んだ律法学者、祭司たちと同等以上に渡り合うことができたのは、内に働く聖霊様が二人を助け、イエス様について証をしてくださったからでした。

 

3、きよめられる

そして最後に注目したいことが、聖霊様のきよめの力です。

ペトロとヨハネはここで散々な目に遭っています。自分たちは特に罪を犯したわけでもないのに、一晩留置所に入れられ、裁判にかけられ、無学の人だからとなめられ、しまいには「もうこれ以上イエスの名前を語ってはいけない」と脅しをかけて釈放します。しかしペトロとヨハネはまったくこの議会の人たちに対して罪を犯しません。イエス様の福音だけを語り、無抵抗で、悪い言葉を一切使わずに帰って行きます。

皆さんは「いやクリスチャンなんだからそんなの当然だ」と思われるかもしれませんが、実はこれは全く当然のことではありませんでした。まずヨハネですが、彼のあだ名は兄のヤコブと共に「ボアネルゲ(雷の子)」と呼ばれていました。こう呼ばれたのには理由があります。ヤコブヨハネは気性が荒くて怒りっぽく、すぐに癇癪を起してしまう性格だったのです。またペテロも結構いじっぱりです。イエス様が自分は十字架にかかるということを予告されると、ペテロはそれでもイエス様に付いて行きますと言い張ります。そしてイエス様から、「お前は私を三度知らないと言うだろう」と言われると、「死んでもそんなことは言いません」と食い下がります。またイエス様を捕らえに来たローマ兵に剣で切りかかって、ローマ兵の耳を切り落とすということをしたのもペトロです。元々彼らは漁師という体力仕事にあずかっていたわけですから、そのようにちょっと短気な性格があったとしても不思議ではありません。

ところがそんな彼らが、このように理不尽な目に遭っているというのに、一切文句を言わず、暴力を振るわず、大人しく家に帰って行く姿を見ます。彼らは聖霊様が与えられたことによって、内側がきよめられたのです。本当だったらこんな目に遭ったら、散々暴れたり不平不満を言ったり、喧嘩して帰って来てもおかしくなかったのです。その彼らが、ただイエス様だけを証し、それ以上のことを何も言わないで平和的にこの事件を済ませたのです。クリスチャンになって、神様から心の内側に聖霊様をいただくと、自分がそのように神の似姿に変えられていくのです。ペトロとヨハネもそのようにして神様に変えていただき、キリストの立派な弟子となって行ったのです。

私たちも心の内側に聖霊様をいただいたのですから、日々新しくしていただけます。

愛に溢れた神様の弟子として、私たちは今週も神様の御心を行っていきましょう。