2022年4月10日の説教要約  「道を作られたイエス」

2022年4月10日の説教要約

        「道を作られたイエス」  中道善次牧師

                                                 ≪ヨハネ14:6≫

 

今日、礼拝でとりあげたいヘブライ語は、デレクです。

デレクというヘブライ語は「道」という意味であります。

今日はこのデレクと、イエスが語られた有名な言葉、ヨハネ14:6の「私は道であり、真理であり、命である」という言葉から聖書のメッセージを聞いてゆきたいと思います。

 

1、父に通じる道

ヨハネ14:6には、次の英語訳があります。I am the living true way 私は生きた真の道である。

道、真理、命と三つのことをイエスはおっしゃったのですが、この言葉の中で、一番大切なメッセージ、それはイエスが「道」である。父なる神に通じる唯一の道であることです

この言葉を語るきっかけを作ったのは弟子トマスの質問でした。

「イエス様、あなたはどこにゆかれるのですか?どうしたらその道が分かりますか?」

それに対するイエスの言葉が、私こそが父に通じる道、神に、天に通じる道なのだと言われたのです。

エスが語られたヨハネ14:6はギリシャ語で書かれています。しかしイエス様が普段使っておられたのは、ヘブライ語に近い言葉語でした。また聖書を深く知っておられるイエスヘブライ語の知識も十分お持ちでありました。

ヨハネ14:6で、道というギリシャ語はホドスです。

そしてホドスをヘブライ語に直すとデレクになるのです。

エスが「道」という言葉で意図されたことは、ヘブライ語のデレクに基づいているのです。

デレクという言葉の成り立ちを調べました。ダーラークという動詞がもとになっています。

その意味は、第一に踏む、第二の意味は、踏みつぶす、踏みにじる、踏みつけるという意味です。そして道を踏み固めるという意味があります。

道とは踏みつけられて出来るもの。そういう理解です。

エスは、人々から踏みつけられて、父なる神様に至る道を作られたのです。

人々からののしられ、むち打たれ、十字架にかかり、殺されたのです。踏みつけられ、踏みつぶされたのです。

しかしそのことによって、私たちのために天に通じる道を、天国に行く道を作ってくださったのです。

 

 

2、道を開かれたイエス

十字架の上で、イエスは踏みつけられて、神に至る道を造られた。

道に関することで、もう一つの表現を使うなら、道を開かれたのです。

それが書かれている聖書の箇所は、マルコによる福音書15:33~38です。

38節に注目ください。

マコ 15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

ここから、イエスが、ご自分のお体を裂いて、それは神に至る道を開かれたことが分かるのです。

旧約の神殿は、聖所とその奥にある至聖所と区別され、聖所と至聖書の間には垂れ幕がありました。

神殿の幕とは、神殿の中を二つに区切る分厚いカーテンです。そのカーテンの奥は、神がお住まいになる聖なる場所、至聖所があります。そこには大祭司という神に仕える聖職者のトップだけが一年に一度、罪の赦しの儀式をする為に、入ることが許されている場所です。

言葉を換えると、罪人である私たちは、簡単に神様に近づくことが許されないのです。

そのように人間と神様を隔てていた幕が、イエスが亡くなったとき上から下に破れたのです。

それは神に通じる道が、開かれた事を意味します。ヘブライ書では次のように書いております。

ヘブ 10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。

口語訳では、「はばかることなく聖所にはいることができ」と書かれています。恐れも遠慮もいらない。自由に入ることが出来るのです。

ヘブ 10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

エスが十字架で命をお捨てになられたとき、人と神を隔てていた幕が打ち破られた。それは神への道が開かれたことです。もう神を恐れることはない。信頼して、自由に近づくことができるのです。

 

 

3、主は道を作られる

私が道であるという言葉と関連して、もう一カ所、読みたい聖書の箇所があります。

イザヤ43:19 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。

アメリカのワーシップ・リーダーにドン・モーエンという人がいます。

彼が作った歌の一つに、God will make a way があります。

歌の後半には、「荒野に道を、砂漠に川を、今日も作られる」という言葉が出てきます。

そこから、イザヤ43:19を基にして作った歌であることがわかります。

日本語に訳され、歌われている歌詞を紹介します

『主は道を日々つくられる 何もないように思える時でも 

主はみ手で みもとで支え 新しい明日へ 主は道をつくられる』

 美しい歌詞とメロディです。 しかし私はその曲の成り立ちを知ったときに驚きました。

「God will make a way」は、湖の事故で自分の甥がなくなった後に作られたのです。ドン・モーエン自身もショックでしたが、子どもを失ったお姉さんを慰めるために生まれた賛美なのです。

 試練の中で、悲しみの中で、生まれてきた歌が、God will make a way だったのです。

先ほど、イエスは、神様に通じる道を作られたと語りました。

しかしその道は、イエスご自身が踏みつけられて出来た道であったのです。

そのようにして道を作られたイエスは、傷ついている私たちのためにも道を作られるのです。

これからどのように進んでいったら良いか分からない。将来のことを悩んでいる人のために、神は何もないように思えるところに道を作ってくださるのです。

痛みや苦しみの中で、これからどうしていったらいいのだろう。途方に暮れるような時にも、主は私たちのために道を作ってくださるのです。

神は、私たちのために、道を作ってくださるのです。