2022年7月10日の説教要約
「幸いな人」 中道善次牧師
《詩編1編1~3節》
今日のヘブライ語は、ヘブライ語のアルファベットを取り上げます。
また、アルファベットの最初の文字アレフ、後半に出てくるツァデとコフ、
そしてアルファベットの最後の文字タウを取り上げます。
1.アルファベット詩編
私たちが使っている新共同訳聖書の詩編119編には、ヘブライ語のアルファベットの
22文字がカタカナで記されています。
聖書を開くことが出来る方は、旧約958ページから、一緒に聖書を見てください。
聖書を開かなくても、パワーポイントで確認が出来ますので、御覧下さい。
アレフ、ベト、ギメル、ダレト、ヘー、ワウ、ザイン、ヘト、テト、ヨド、カフ、ラメド、メム、ヌン、サメク、アイン、ペー、ツァデ、コフ、レシュ、シン、タウ
何故このカタカナが付いているかというと、詩編119編のヘブライ語は、技巧を凝らして作られていることを紹介するためであります。
詩編119は、8節ずつで構成されています。ですから22番目の文字タウまで、8×22です。計算の速い方は176であるとわかります。詩編119編の最後の節は、176節です。
そして各行は、アレフですとすべてアレフの文字で始まっているのです。
次にお示ししたいのは、アルファベット詩編です。
111編はアルファベット詩編の典型であります。
昔の人々は、書物を手にすることができませんでした。
ですから人々は読まれる聖書の言葉を聞いて覚えなければならないのです。
アルファベットの歌は、覚えるために作られた。覚えやすくするために作られたのです。
御言葉を覚えるとは、大切です。
119:11は、御言葉を覚えることの目的の一つが書かれております。
「わたしは仰せ(御言葉)を心に納めて(蓄えて)います。
その目的が次の行に記されています。「あなたに対して過ちを犯すことのないように。」
心に蓄えられた聖書の御言葉が、私たちを罪から守るのです。
もう一つの祝福は、御言葉をいつも唱え、心に蓄えている人は、時が来ると実を結ぶと約束されているのです。
それが詩篇1編1~3節であります。
聖書の御言葉を心に蓄えることが、私たちを罪から守り、私たちに祝福を約束するのです。
2.アレフは、祝福の始まり
詩編1編は、アシュレーという言葉で、はじまるのです。
アシュレーは、ヘブライ語のアルファベットの最初の言葉、ℵではじまる単語であります。
アシュレー 幸いなるかなという感嘆文です
それに続くのが その人、です。
では、どんな人が幸せなのか。悪い人々と一緒にいないで、主の御言葉を喜びとする人だ。いつも口ずさむ人だ。ここでも悪から守られる事が第一のこと。第二は、実を結ぶことです。
ヤコブの子どもの一人にアシェルという名前の子どもがいます。アシュレーと同じ言葉であります。
名前の意味は、「幸せ」です。
創世記 30:12~13 レアの召し使いジルパはヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸せなこと(アシェル)か。娘たちはわたしを幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。
アシュレーと言われた祝福は、今すぐの祝福ではないのです。それは祝福の約束なのです。今はそうでないかもしれない。直ちに起こる祝福ではないけれども、神様の時が来たら豊かな実を結ぶ祝福なのです。ですからクリスチャンになってすぐ、何もよいことが起こらないと思わないでください。あなたは神様から祝福を受ける約束を、信じたその瞬間から受けているのです。
イエスが語られた8福の教えも同じであります。
山上の説教の中でイエス様は次のように言っておられます。
マタイ5:3 心の貧しい人々は、幸いである。
マタイ5:4 悲しむ人々は、幸いである
イエス様は、ヘブライ語のアシュレーを使って、詩篇1編と同じように言っておられるのです。
彼らの直面している現実は、貧しさ、悲しみ、迫害があり、たいへん厳しいのです。
しかしイエスは私たちに「アシュレー」、あなたは幸せですと宣言しております。
どこが幸せなのですか。そのように訴えたいことがあるかもしれません。
しかしこれはイエスの宣言なのです。約束なのです。それを受け止めたいと思います。
3.神の言葉は命令や規則ではない
イザヤ28章9~10節をご覧下さい。新共同訳には、ヘブライ語が書かれている箇所があります。
イザ 28:9 誰に知るべきことを教え お告げを説き明かそうというのか。
乳離れした子にか、乳房を離れた幼子にか。
イザ 28:10 「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ(命令に命令、命令に命令)
カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ(規則に規則、規則に規則)・・・
これは預言者イザヤの言葉を馬鹿にしているところです。
お前が教える言葉は、幼い子どもに、ヘブライ語のアルファベットを繰り返して教えているようなものだ。子どもがいやいや学ぶ姿に合わせるようにして、イザヤの預言に対する文句を言っているのです。
幼い子どもに、ヘブライ語のアルファベットを繰り返し教えている姿をここで表現するのです。
ここではツァウ(S)とカウ(k)を繰り返して教えているのです。
子どもたちは反復練習に嫌気がさしている
それに合わせるようにイスラエルの人々は、イザヤの繰り返しの教えを嫌がっている。
ツァウという言葉には命令、カウという言葉には規則という意味がある
イザヤよ、お前の命令や規則はうんざりだ。
それに対してイザヤは言うのです。私は、命令や規則を述べているのではない。
私たちも聖書の教えを、あれをするな、これをするなという禁止。あれをしろ、これをしろという命令のように思うことがあります。同じようにイザヤに言っていた彼らは、ちっとも神様に信頼しなかったのです。彼らは、エジプトという国に交渉して、助けを求めていたのです。
イザヤが繰り返し述べていたのは、命令でも規則でもなかったのです。
主に信頼すること、それが大切だと繰り返し述べていたのです。しかし彼らは聞く耳を持たなかったのです。
彼らを諭すようにイザヤが語ったのが、イザヤ28:16でああります。
『信ずる者はあわてることはない』であります。
彼らが求めたエジプトは役に立ちませんでした。
聖書は告げるのです。信じる者は慌てることがない。聖書の御言葉は、私たちを支えるのです。
4.タウは、十字架のしるし
今日はヘブライ語のアルファベットを学んできました。
アレフに始まり、後半の言葉、ツァウとカウを取り上げました。
そして最後の文字はτ(タウ)であります。
それが書かれている言葉がエゼキエル9:4であります
エゼ 9:4 主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」
しるしは、ヘブライ語ではタウで表します。最後のアルファベットであるタウにウーと伸ばす母音を付けているのです。
タウを小文字で表すとτ、つまり、英語のtに近い文字であります。
τを現代ヘブライ語の筆記体で表すとエックスに近い文字になる。
エゼキエル9:4で、主の使いが、主を信じる人々の額に付けた印がタウ、つまり、エックスであったのです。それをx十字と言うのです。
新約聖書でも、しるしがあります。ヨハネ黙示録にあります。新共同訳では「刻印」と書かれています。
黙 7:3 こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
黙 7:4 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
黙 9:4 いなごは、地の草やどんな青草も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない者には害を加えてもよい、と言い渡された。
私たちの額にも、目には見えませんが十字が記されているのです。
アレフの祝福、タウの祝福をいただきましょう。