2022年9月25日の説教要約 「キリストの内に留まりなさい」

2022年9月25日の説教要約
 「キリストの内に留まりなさい」  照内幸代牧師 
  《ヨハネの手紙一:2章18~29

 

 私達クリスチャンは、「終わりの日」は、御子イエス様の再臨の日であると信じています。イエス様がもう一度この地上に来られ、正しい裁きをされ、神様と共に御国をご支配されると信じています。このヨハネの手紙を書いた使徒ヨハネの時代においても、教会はキリストの再臨を待ち望んでいました。しかし、教会ができたばかりの頃よりは、その熱が少し冷めていました。イエス様はすぐに来られるとおっしゃいましたが、ローマ皇帝ネロによる厳しい迫害の後もイエス様は再臨されることはなく、そこから更に数十年経ってしまったのがこのヨハネの手紙が書かれた時代です。ヨハネもちょっとそのことを意識しているのかもしれません。18節の御言葉にある「終わりの時」という言葉は、直訳すると「終わりの時間」というギリシャ語がつかわれています。「終わりの日」「主の日」「終わりの時」という表現は旧新約聖書の両方で何十回と出てきますが、「終わりの時間」と書かれているのはこの箇所だけです。また、「反キリスト」という言葉も出てきますが、これもヨハネの手紙の中でしか見られない言葉です。使徒ヨハネは、「終わりの時」というのが、どこか瞬間的な時を現すのではなくて、私たちが生きているこの時代そのものが「終わりの時」であるということを理解し始めていたのかもしれません。また「反キリスト」と言えるような人たちも、必ずしも預言者や教師のような人物に限られるのではなく、いろいろなかたちでやって来てはクリスチャンを惑わそうとするのだと、ヨハネは感じ始めていたのかもしれません。

 反キリストが世に出て来た、しかし私たちクリスチャンはそれを恐れる必要はないということをヨハネは語ります(20節、27節)。私たちの内には「注ぎの油」があるので、既に真理を知っており、偽教師たちを恐れなくていいのだと言うのです。「注ぎの油」とは一体何のことを言っているのでしょうか。それはまさに、イエス様のことです。「注ぎの油」とは、ギリシャ語でクリスマと言います。これが属格形という、何か別の単語にくっつく形になると、クリストスとなります。イエスう・キリストは、ギリシャ語ではイエス―ス・クリストス、「キリストであるイエス」と書かれているのです。「注ぎの油」とは、わたしたちが日本語で言う「キリスト」のことです。イエス・キリストとは、直訳すると油注がれた者という言葉なのです。これはヘブライ語でいうと、メシアという言葉になります。20節、27節は二つとも、私たちの内に主イエス・キリスト様がいらっしゃる、だから私たちは大丈夫なんだ、私たちは私たちの内にいますイエス様によって、またそのイエス様の教えに従って、正しい者と悪い者を見分けることができるようになっているのだとヨハネは語っているのです。

 ですから私たちに求められているのは、ただキリストの内に留まるということです。24節から二章の終わりまで、留まるという言葉が何度も何度も繰り返し使われています。六回は出て来るでしょうか。ヨハネは言います(25節)。御子と御父にとどまっていること、これこそが永遠の命なのだというのです。