2023年1月29日の説教要約

       「恩を忘れない人々」      中道善次牧師

 

ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言われた。「あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠誠を尽くし、彼を葬りました。」≫ (サムエル記下 2章5節)

 

サムエル記上 31章11~13節

ヤベシュ・ギルアドで覚えていただきたいメッセージは、説教題の「恩を忘れない」ことであります。

彼らは、一生恩にきますという出来事がサウル王様に対してありました。そして、サウル王様の恩を忘れない行動を命がけでとりました。

今日取り上げますヤベシュ・ギレアドは、ガリラヤ湖死海の中間より少し上、ヨルダン川の東に位置します。

ガリラヤ湖の右から下、東南をギレアド(あるいはギルアド)と言います。

この地名は、聖書の中に12回出てきます。ヤベシュ・ギレアドという書き方は、新共同訳では出てきません。「ギレアドのヤベシュの住人」と書かれております。

この地名が出てくる主な個所は、士師記21章、サムエル記上11章、サムエル記上31章、サムエル記下2章です。

それらの個所を読みながら、ヤベシュ・ギレアドについて学びたいと思います。

 

1、全てのことが益と変わる

ヤベシュ・ギレアドが最初の出てくる聖書の箇所を紹介します。

士 21:8 イスラエルの人々はそこで、「イスラエルのどの部族がミツパに上って、主の前に出なかったのだろうか」と尋ねた。すると、ギレアドのヤベシュの住民は一人もそこにいなかったことが分かった。

士 21:10 共同体は一万二千人の兵を派遣することにし、彼らにこう命じた。「行って、ギレアドのヤベシュの住民を女や子供に至るまで剣にかけよ。

士 21:12 彼らはこうして、ギレアドのヤベシュの住民の中に男と寝たことのない処女の娘四百人を見いだし、カナンの地にあるシロの陣営に連れ帰った。

士 21:14 ベニヤミンがこのとき帰って来たので、彼らはギレアドのヤベシュの女たちの中で生かしておいた娘たちをベニヤミンの人々に与えた。

この物語は士師記19章から続く物語であります。

テレビのニュースを見ても、こんなひどい事件と思うようなことが報道されます。テレビで言うならチャンネルを変えたくなる聖書の記事が士師記19章であり、それに続く、20章と21章であります。

ひどい行為をしたギブアの人々を同じ部族ベニヤミン族はかばいました。その結果、ベニヤミン対イスラエル11部族の戦争となりました。その結果、ベニヤミン族が滅びかけたのです。男の兵士がたった600人になりました。ベニヤミン族をイスラエルからなくしてはいけないということで提案がなされたのが、士師21:8から読んだところです。

ベニヤミン族との戦いに出なかったのは、どこの部族だ。そして分かったのは、ギレアドのヤベシュの住民でした。ギレアドとは、マナセ部族に属しておりベニヤミン族と近い関係にあったので、戦いに出なかったのかもしれません。

その結果、ギレアドのヤベシュの住民が滅ぼされたのですが、400人の女性だけ、生かしておいてベニヤミン族で生き残った兵士たちの妻として与えたのです。

とても変な記事です。士師記は、そのころイスラエルに王がいなかったので、みんな自分勝手なことをしていたのだと結論付けております。

なぜこの記事がここに置かれているのでしょうか?

聖書の理解の方法のひとつで大切なことは、ある記事や物語をその箇所だけでなく、全体の構造の位置づけから読む読み方があります。

そのように理解しますと、士師記21章でヤベシュ・ギレアドの住民が出てくることは、ヘブライ語の聖書ではそれに続くサムエル記のイントロ、緒論となっていることがわかります。

サムエル記は、王が生み出される書物です。

最初の王様はサウルです。彼が選ばれて、油注がれて、そして民全体からも王として認められる大切な出来事があります。それはギレアドのヤベシュの住民を救ったことであります。

士師記21章は、サウルが何故、命がけでギレアドのヤベシュの住民を救い出したか。その理由が分かる箇所です。サウルの部族ベニヤミン族とヤベシュ・ギレアドの人々とは深い血のつながりがあったからです。もしかしたら、サウルのお母さんはギレアドのヤベシュの住民のであったかもしれません。

どうしてこのようなことがおこったのだろう。そのように思う出来事から、神様の素晴らしい救いの御業が生まれる。そのことを士師記21章から私たちは聞き取りたいのです。またローマ8:28も同じことを述べています。

ローマ8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

 

2、ヤベシュ・ギレアドを救ったサウル

 ヤベシュ・ギレアドが苦境に陥ったところから読みます。

サム上 11:1 さて、アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ギレアドのヤベシュを包囲した。ヤベシュの全住民はナハシュに言った。「我々と契約を結んでください。我々はあなたに仕えます。」

 これに対してナハシュは、とんでもない条件を出したのです。それはギルアドのヤベシュの住民の全員の右の眼をえぐり出すということでした。

 ヤベシュの住民は七日間の猶予をください。救ってくれる者がいなければ従います。

 使者はサウルがいるギブアに来ました。サウルはそれを聞いて、怒りに燃えて、牛を切り裂きました。

サム上 11:9 彼らはヤベシュから送られて来た使者に言った。「ギレアドのヤベシュの人々にこう言うのだ。『明日、日盛りのころ、あなたがたに救いが来る。』」使者が帰って来てそう知らせると、ヤベシュの人々は喜び祝った。

そしてサウルは、アンモン人を打ち、勝利をして、ギレアドのヤベシュの住民は救われたのです。

この勝利でサウルは名実ともにイスラエルの王となったのです。

ここでサウルがギレアドのヤベシュの住民を助けた理由、それは、すでに申し上げたように、母方の実家がヤベシュ・ギレアドにあったからです。

サウルが王でなかったなら、ヤベシュ・ギレアドは見捨てられていたかもしれません。

ギレアドは、ヨルダン川の東にありました。そしてギルアドの人々は、一段低く見られていたのです。

それが記されている箇所があります。

士師12:4 エフタはそこでギレアドの人をすべて集めて、エフライムと戦い、ギレアドの人はエフライムを撃ち破った。エフライムが、「あなたたちはエフライムを逃げ出した者。ギレアドはエフライムの中、マナセの中にいるはずだ」と言ったからである。

もしエフライムの中から王が出ていたら、ギルアドなど放っておけと言ったかもしれないのです。

世界を見ると、抹殺されてしまう危機に直面している少数民族がいます。ヤベシュ・ギレアドもそうであったと思います。しかしそこに救いの手を差し伸べたのがサウルだったのです。

サウルが命を懸けてヤベシュ・ギレアドを救った。これによってギルアドのヤベシュとベニヤミン族、そしてサウル王家とのつながりはますます強くなっていったのです。

 

3、命がけでサウルを葬ったヤベシュの住民

 命がけでヤベシュ・ギレアドを救ったサウルですが、強い敵ペリシテの前に敗れ、命を落としました。

サム上 31:10 彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした。

 日本的な表現をすると、 サウルの首はさらし者にされたのです。

 私たちを救ってくれた英雄の遺体がさらしものにされてはならない。

サム上 31:11 ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。

サム上 31:12 戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、彼らはヨルダン川を渡って、敵の町、ベト・シャンに行ったのです。

 彼らはヨルダン川を越えて、遺体を運び出し、火葬しました。

 旧約聖書では、葬られないことは、神様の祝福を受けていないことの象徴でした。

 ヤベシュ・ギレアドの人々は、お世話になったサウル王様、自分たちを救い出してくれたサウル王様が、呪われたような姿で城壁にかけられていることに心を痛めたのです。

 一生感謝という言葉があり、本がありますが、彼らはサウルに対して一生感謝をしたのです。

 同じように私たちも、命を懸けて私たちを救い出してくださったイエスに対する感謝を忘れてはならないのです。

 

4、ヤベシュの住民をたたえたダビデ

 サウルが亡くなった後、ダビデイスラエルの王になりました。

サム下 2:4 ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき、

サム下 2:5 ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言わせた。「あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠誠を尽くし、彼を葬りました。」

 サウルはダビデにとって敵のような存在でした。その死を喜んでもいいのです。しかし、ダビデはサウルの死を悲しみました。サウルに対して哀悼の気持ちを表しているのが、サムエル記下1章であります。

そしてすぐにサウルを丁重に葬ったヤベシュ・ギレアドの人々を祝福したのです。

 恩を忘れない人々、感謝を忘れない人々に神の祝福がありますように。

 それはダビデもまた、感謝を忘れない人だったからです。

 特にそれはサウルの息子ヨナタンに対するものでありました。

 父サウルがダビデの命を狙って追い掛けている時、ヨナタンはひそかにダビデを訪れて、彼を励ますのです。「ダビデ、君は必ず次のイスラエルの王になる。父の手は君には届かない。」その励ましにダビデはどんなに支えられたことでしょうか。

 ダビデヨナタンに対してだけでなく、ヨナタンが亡くなったあと、彼の息子に対しても感謝の気持ちを表し続けたのです。

 受けた恩を忘れない。ヤベシュ・ギレアドの人々がそうでした。彼らをたたえたダビデもそうでした。

 私たちも人から受けた恩を忘れないようにしたいと思います。 

それよりももっと大切なことは、イエスが命懸けで与えてくださった恵みに対する感謝を忘れてはならないのです。