先週の説教要約 「目からうろこが」

○先週の説教要約
『目からうろこが』                    上中栄牧師
《その方が来れば、罪について、義について、…世の誤りを明らかにする》。(ヨハネ 16:8)
「三位一体、洗礼」など、日本語になったキリスト教の言葉がありますが、比較的原意に近いのは、「目からうろこが落ちる」です。主イエスと出会ったパウロが回心し、迫害者から伝道者に転換した場面に出て来る言葉です。知らなかった真実に気づくというような意味です。
さて、上記の聖句は「聖霊」の働きについて語られた、主イエスの言葉です。日本語の語感と違い、「聖霊」は神ご自身のことですから、創造主である父なる神、救い主であるキリストと同様に、聖霊について理解するのは大切なことです。主イエスは、聖霊は人に《真理を…悟らせる》お方だと言われました。
聖霊には、力や賜物という働きもありますが、まず大切なのは、人を真理に導かれることです。なかでも《罪について》とあります。実は、人間が一番分からないのは自分の罪です。反省や良心の呵責や自己卑下など、人間の愚かさは自分で分かりそうなものですが、真実の姿を人間は知らないというのです。
ですから、主イエスが自分たちのイメージする救い主でないことが分かると、人々は十字架につけてしまいました。十字架上で主は《父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです》と言われましたが、これはまさに人間が自分の罪に気づいていないことを指しています。
しかし、聖霊は私たちに罪が何であるかをお示しになります。それは罪の赦しへの招きです。そのことが聖霊によって示される時、私たちはまさに「目からうろこが落ちる」ような経験をするのです。それは単なる気づきではなく、神に背いている自分に気付き、しかしそんな私たちを神が救ってくださるという恵みに目が開かれることです。そして私たちはなお、神を信じていても、パウロがそうだったように、見当違いをして恵みを見失うことが多くあります。聖霊によって目を開かれ、神の恵みに目を留めて歩みましょう。