2022年5月15日の説教要約 「絶望から立ち上がれ」

2022年月5月15日の説教要約

     「絶望から立ち上がれ」  中道由子牧師
 
《イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」》
ヨハネによる福音書5章1~16節) 
 
1、いつくしみの池
 神殿の北側の羊の門のそばにベトザタと呼ばれる池がありました。
「ベトザダの池」の「ベト」はヘブル語で「家」、「ザタ」はヘブル語で「慈しみ、愛」を表すヘセドの変形で、「ベトザタ」は「いつくしみの家」という意味になります。
「あわれみの家」とも言われ、多くの病人が癒やしを経験しためぐみの場所でありました。
「日」の形をした二つの池の周りには、5つの回廊があり、癒やしを期待して集まった大勢の人が横たわっていたのです。
一種の病院のような所でありました。当時の医学ではどうすることも出来ない者ばかりで、当時の医学の多くは迷信や呪術と結びついていました。
当時の一般的な信仰として、この池の水の動きを、人々は天使が水浴びをしにくると信じていたのです。これは、上の池から下の池に水が流れるとき生じる水の動きであったのか、あるいは間歇泉であったのか、と思われますが、人々は天使が降りてきたと思ったのです。
みんなその池の水の動くのを今か今かと待っていたのでした。
見えない天使が水浴びをして、さっと舞い上がると、池に、そのときの激しい水の動きが見えたのでしょう。それ!というので飛び込む。先に飛び込んだ者の勝ちです。
他人を押しのけて、真っ先に飛び込まなくてはならなかったのですから、周りは皆敵でした。隣の人が癒やされると、自分は癒やされないということになる。
いつくしみの家という名にまったく反する悲惨な争いの場所、失望が渦巻くところでした。
 しかしキリストは、この人にも憐れみをほどこしてくださるのです。
 
2、良くなりたいのか
 ここに38年間も病を患い、心身共に疲れ果てた一人の病人がいました。
38年という年月がどのくらいかというと、イスラエルの民の荒野の旅は40年と言われます。それとあまり変わらない。おそらく、その人の一生の大半を病気で過ごして、同時にまた家族からも放り出されたのかもしれません。
その男が横たわっているのをご覧になって、イエス様はその男に「良くなりたいか」と言われました。この人にそんな質問をするなんて・・・、治りたいに決まっているでしょうと私たちは思います。病人が良くなることをあきらめてしまったら、そこから前に進めません。大切なのは、癒されたいという意思を持つことなので、主はその意思を促されたのです。
38年も病気になると、その中で癒しに見放され、病が住み着いてしまうと、もう本気で癒されることを願わない、自分で健やかになろうとする強い意志を持つことができなくなってくるようです。癒しへの強い願いを失った者を癒しへと励ますのは、私たち人間には限界があります。
エス様はその人に向かって、「良くなりたいか」とおっしゃった。
これは、「さぞ治りたいだろうね。」という同情の気持ちも含まれています。
さらに別の角度から大切なことは、彼の中にある「もう治らない」というあきらめや「自分には治るだけの神の祝福はない」という偏見を取り除く意図がありました。
エス様は私たちの信仰や祈りの中に潜む、ある種のあきらめ、自分はこうだから祝福されないのだという理由を払拭したいのです。
 まず彼の問題意識です。彼は素直に「治りたい」とは言わないで、自分を池に入れてくれる人がいないという問題を指摘するのです。
この男はここで「行きかけると」と言っています。本当にそうなのでしょうか。
彼はそうして何十年もそこにいます。ただやるようなポーズをしているだけのように見えます。周りの人はそれを見て、「ああ、あの人ができないのももっともだ。それにしてもよくやっているよ。」という評価が欲しい。これは残念ながら、周囲の人の同情や憐れみを買う姿です。「あの人のようにできないから駄目だ」という言い訳ではなく、神がすでにあなたに与えられているものを、全力を尽くして用いる時、「こうできたら」と願いを持っているだけの状態から解放されるのです。
 
3、床を担いで歩け
 イエス様は彼に言われました。8節「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
エス様のその言葉を聞いて従った男はただちに癒されたのです。
神の臨在と力とが主イエスの言葉のうちに働かれたのです。
しかし、このしるしが起きたのは安息日でした。律法学者にはそれの方が重大問題でした。
安息日には一切の労働が禁じられていました。しかし、この病人は、床を取り上げるという「労働」をして安息日律法に違反したと言って咎められたのです。
しかし、この男は病気を直してくれた方のことばに従ったにすぎないと答えました。
ユダヤ人は癒しを否定したのではない。癒された男が、安息日に床を取り上げたのが問題だったのです。そんなことをしたイエス様はけしからんということになったのです。
しかし、本当に聖書が伝えたい、命、解放、救い、癒し、力、勝利などを見過ごしています。
最後に、イエス様はこの男に8節「起き上がりなさい。」と言われた、ここには大切なメッセージがあります。
この言葉は、2章19節「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる。」という「建て直す」というのが、この「起き上がる」「立ち上がる」と同じ言葉であるということです。
神殿を立ち上がらせると主は言われた。これは、神殿であるご自身の体の復活のことです。
私たちの体は癒されても、この地上では最後には朽ちていきます。
しかし、イエスキリストを信じるなら、朽ちない体、復活の体をいただけるのです。
起き上がり、立ち上がり、この希望に生きなさい。