2021年1月3日の説経要約 「主の安息に入ろう」

2021年1月3日の説経要約

    「主の安息に入ろう」  中道由子牧師

 

安息日を心に留め、これを聖別せよ。≫

出エジプト20章8~11節)

 

週報とホームページに新年の聖句が掲載されています。そのみ言葉の中の「安息」ということを取り上げて話します。

 

1,十戒の中の第四戒

 ここには、安息日に関する4つのことがまず書かれています。

1)(8節)それを聖なる日とする。

 旧約の時代には、金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日とされました。ユダヤ人にとっては、神を礼拝し、家族で交わる時でありました。新約の時代になって、主イエスが日曜日に復活されてからは、教会は日曜日を聖日として守るようになりました。その日は他の日とは違う、特別な日なのです。

マタイによる福音書4章4節で「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」とイエス様がおっしゃったように、ただ食べて休むだけでは、本当に魂に安らぎが与えられないのです。

2)(9節)一週間のうちの六日間ですべての仕事をしなければならない。

 昔イスラエルの民が荒野でマナという食べ物が天から与えられました。毎日必要な分だけ与えられたのですが、六日目には2倍の量が与えられていた。毎日与えられるマナは次の日まで残しておくと、虫がついて臭くなった。でも6日目に集めたものについては、次の日の分を残しても虫がつかなかったのです。そして7日目は安息日だからマナを取りに行っても何もなかったのです。

3)(10節)七日目は主の安息なので、誰もどんな仕事もしてはならない。

 私たちは仕事をしだすと夢中になります。今はインターネットの時代ですから、朝から晩までパソコンに向かう生活になっています。また、若者たちもスマホがないと落ち着かない。こういうことからも離れて、創造主なるお方のために時間を取ることが人間には必要なのです。

4)(11節)安息日を守る理由は、主が六日間で天地を造られ、七日目には休まれて祝福されたから。

 神様はご自分の仕事に満足なさり、第七日目の安息の日を「祝福し、聖別された」のです。この日は、聖い日として主なる神の喜びにあずかる日です。ある人が、「6日間、世の中で働いていると心がすさんでくる。周りにぶつぶつ文句ばかり言っている人がいる。汚い言葉で人をののしる人もいる。そんな中にいると知らないうちに自分も影響を受けてしまう。礼拝で、賛美と祈りの中に身を置いて、本当に癒されていく。」と。心が浄化されるわけです。私たちの外見は肉体しか見えません。が、魂、霊がうちにあります。私たちの霊は神様と交わりを持ちます。そして、感情を持った私たちは笑ったり、泣いたり、喜んだりすることにより心が解放され、癒されていきます。礼拝の中でそのことが起こると魂が回復されるわけです。

 バビロン捕囚から解放されたイスラエルの民が律法の書を総督ネヘミヤや祭司エズラから読み聞かせてもらった時、泣いたのです。その時、ネヘミヤ記8章10節「今日は、われらの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」

セレブレイションという言葉がありますが、これはまさにお祝いなのです。主を賛美して、み言葉を聞き、祈り、そして、イスラエルの人は食べたり飲んだりして、大いに喜び祝いました。

今私たちは、この飲食ができなくて、残念ですが、主の日は喜びの日であることを覚えていただきたい。

 

2,安息年

出エジプト記23章10、11節「あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。」

ここでおもしろいのは、人だけでなく、土地にも休みを取らせる律法があることです。農耕の7年目を「地の全き休み」とする「安息の年」の規定です。耕さない、肥料をやったり、収穫をしない、全く休ませる1年です。

”Take The Day Off” ロバート・モリス著から、土地の安息について興味深い文があります。農業調査によると、土地を2、3年休ませると収穫が良くなる、という結果が出ているそうです。土の中の栄養が使い尽くされて、枯渇して、土自身が回復してくる。今は、農業に携わる人たちはいろんな穀物を回転させて、それらを効果的に収穫するためにたくさんの肥料を使うそうです。しかし、そのような方法ではなく、一番健康で自然なやり方は土地を休ませることだそうです。しかし、歴代誌下には、イスラエルの人々はこの律法を守らなかったとあります。彼らは土地を7年ごとに休ませることをしないで、ずっと使い続けて、490年も安息年を守らなかった。その結果、ユダの人たちはバビロンに侵略され、捕囚の民として、バビロンに連れて行かれました。連れて行かれてしまったので、イスラエルの土地は休ませるしかありませんでした。何年も何年も何も植えられなかったのです。

歴代誌下36章21節「この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。」

490年休ませることをしなかったら、バビロン捕囚により7年ごとの70年をきっちり休ませられたわけです。きちんと休ませる、そのことが満期となり、十分なされるまでユダの地の回復はなかったのです。ユダの人たちは、神様が土地に対して7年ごと休ませなさい、と言われたことは本当にそうなさるのだと、やっとわかったのです。結局彼らはそこを離れることで、7年ごとの土地の休閑をせざるを得なかった。同じように、7日の内一日休みなさい、という神様の命令を無視することはできるでしょう。でも、いつか請求書がたまって、年間52日の安息の日をまとめて支払うことになりはしないでしょうか?

私たち日本人は、まじめなので休みを取ることが下手ですし、罪悪感を感じてしまいます。今、この新型コロナウイルス感染症により、リモートで会議をもつようになりました。私たちの生活も変わってきました。家にいましょう、休みを取らされている感じです。生活のペースを落とすことになりました。そして、肉体的にもひと時の休息が与えられ、精神が解放され、祈りが具体化されていきます。

 

3,安息日は誰のために

 それは、まず私たち自身のためです。

私たちは十戒の中の第4戒がそんなに大切かという実感がないかもしれません。6戒以降の「殺してはならない」とか「姦淫してはならない」「盗んではならない」の方が大切に思えます。しかし、パウロはコリントの信徒への手紙6章19、20節「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたは自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」と言っています。

また、この安息日は私たちの周りの人たちの休息のためでもあります。

出エジプト記23章12節「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事を止めねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。」

主人が休むなら、それは家畜にも、奴隷にも、また在留異国人にも休みを与えることになります。自分だけは安息を取っていても、お腹も空きますし、掃除も洗濯もしてもらう。家畜にも、奴隷たちにも休みを与える必要があります。

こうして私たちを礼拝に送り出してくれる家族に感謝しましょう。

皆さんが笑顔で、元気に教会から戻られることは何よりもご家族の祝福です。