2024年3月24日の説教要約 「パウロのドロローサ」

2024年3月24日の説教要約

              「パウロのドロローサ」    中道善次牧師

 

使徒言行録 27章39~44節≫

 

「ドロローサ」とは、イエスが十字架を背負って歩いた道を指す。

ラテン語ヴィア・ドロローサ(「苦難の道」の意)と言う。

具体的には、福音書の中に記されているようにイエスの最後に歩まれた道のこと。イエスは十字架を背負って総督ピラトの官邸からゴルゴダの丘まで歩まれた。その道のりのことである。

ヴィア・ドロローサ「苦難の道」という名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられている。

だがそれはドロローサの石畳を歩いた最後の数時間だけではない。使徒言行録と福音書を書いたルカは、大きな視点から、イエスエルサレムに向かって歩みを始めたところから十字架への道が始まったと述べる。

ルカ 9:51 天に上げられる日が満ちたので、イエスエルサレムに向かうことを決意された。・・・

ルカ 13:33 ともかく、私は、今日も明日も、その次の日も進んでゆかねばならない。預言者エルサレム以外のところで死ぬことは、ありえないからである。

ルカ 17:11 イエスは、エルサレムに進んでゆく途中、サマリアガリラヤの間を通られた。

ルカ 18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、私たちはエルサレムへ上って行く。そして、人の子については預言者が書いたことはみな実現する。

ルカ 19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。

ルカ福音書では、十字架に向かう長い道のりが記される。

ルカ9:51のエルサレムに顔を向けという記述に呼応するように、イエスは、同じルカ9章で、弟子たちにこのように言っている。

ルカ 9:23 それから、イエスは皆に言われた。「私に付いて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。

ここでイエスが言われた「十字架を負う」というとは、一般に言われるような苦しい人生、あるいは、人生の特定の苦しみを指すのではない。 

十字架を負うとは、神から与えられた使命を担って生きることである。神から与えられた使命を生きることには、苦しみが伴うことがある。人から理解されないこともある。

使徒言行録のパウロもまさにそのことを伝えている。

使徒 20:24 しかし、自分の決められた道を走りぬき、また、神の恵みの福音を力強く証しすると言う主イエスからいただいた任務を果たすためには、この命すら決して惜しいとは思いません。

今日は、使徒21章から続くパウロの十字架の道行き、使命を果たす旅から、三つのことを学びたい。

アウトライン:① 言葉の届かない人々、 ② 無駄でなかった2年間、 ③ 船は目的地に到着した

 

 

1、言葉の届かない人々

 パウロ使徒21章で、エフェソから巡礼にやって来たユダヤ人たちに、神殿を汚したと誤解され、捕らえられた。

 使徒 21:27~28 七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕え、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手を貸してくれ。この男は、民と律法とこの場所に背くことを、いたるところで誰にでも教えている。そのうえ、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」

 それでもパウロは、ギリシア語とヘブライ語の二か国語を駆使して、千人隊長の理解を得て、ユダヤ人の前にヘブライ語で弁明する機会を得た。

 使徒 22:1~2 「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる私の弁明を聞いてください。」パウロヘブライ語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静かになった。

 そのようにスタートした弁明は、途中までは、うまくいっているように見えたが、22節でそれが途切れた。

 使徒 22:22 パウロの話をここまで聞いていた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはいけない。」

パウロは、心を込めて話したが、ユダヤ人たちにはパウロの言葉が届かなかった。

私たちに使命が与えられて、人々を愛して宣教に出かけても、相手に言葉が届かないことがある。

今の時代、私たちも愛して、接している人に言葉が届かないことがある。

 しかし大切なことは、それでも愛の言葉を語り続けることである。

 

 

2、無駄でなかった2年間

 使命に伴う二つ目の苦難、それは、無駄と思える日々を過ごしたこと。

 使徒23章でパウロユダヤの最高法院(日本で言う国会)で取り調べを受けた。ローマ市民であるパウロを守るため、パウロはローマ兵により、エルサレムからカイサリアという港町に移送された。

 使徒24章では、カイサリアでの取り調べがあり、そのままカイサリアで監禁された。その監禁は二年続いた。

 使徒 24:26~27 だが、(総督フェリクスは)、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、たびたび呼び出しては話し合っていた。さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。

 パウロは、自分の人生の歩みを「走る」という言葉で表現している。

 フィリピ 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

 2テモテ 4:7 わたしは、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

 パウロは回心してから、すぐに伝道のために立ち上がりました。そして、走り続けてきた。

 フェリクスは、パウロの行く手の邪魔をした。裁判を引き延ばした理由は、二つあった。金が欲しいと言う下心、そして、ユダヤ人を怒らせないように監禁したままにする。

これによりパウロは無駄と思える2年間をローマで過ごした。

しかしこの2年間もパウロにとって無駄ではなかった。三つの理由を挙げる。

第一は、皇帝に上訴する準備が出来たこと。神の御心は囚人としてローマに行くことであり、そのためにローマ市民権を用いること。この神の御心を悟るための2年間であった。

第二は、走ってきたパウロにとって、これは体を休めることが出来たかけがえのない時であった。

ある牧師先生は、病気で入院された時、神さまから「休め」と言われたと語った。

視点を変えて物事を見る。その大切さをパウロは学んだ。

第三は、この2年の間にパウロは手紙を書き、深い神学的な考察をする時間が与えられた。

あまり支持されていない説だが、パウロはこの二年間でローマ書を書いた、あるいは書く準備をしたという説がある。私はその可能性があると思う。

ローマ書を書いた時期は別として、パウロの神学、信仰に対する考え方が深くされたのは、間違いなくこの二年であった。神は無駄なことをなさらないお方である。

 

 

3、船は目的地に到着した

 使徒27:1の見出しは、「パウロ、ローマに向かって船出する」。使徒27:13の見出しは、「暴風に襲われる」。

 使徒27:39の見出しは「難破する」。 そして到着したのが使徒28:1 「マルタ島にて」。

 いったいどのようなルートを通ったのか。協会共同訳聖書巻末の地図12を見ると、その経路がわかる。

 地図を見ると船は真直ぐ西に船は向かいマルタ島に着いた。

 神が私たちの人生を導かれるのもまた、このようなことがある。

 主は彼らを目指す港に導かれたと詩編107:30にはある。