2024年4月21日の説教要約 「荒野の恵み」

2024年4月21日の説教要約

              「荒野の恵み」     中道由子牧師

   

《さて、イエス聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。》

ルカによる福音書4章1、2節)

 

クリスマスに「荒野の果てに夕日は落ちて」と賛美すると、なんだか荒野が素敵な所のように聞こえますが、荒野は、石や岩、砂で覆われ、水もなければ草木も生えていないようなところです。

荒野に置かれるというのは、非常に心の荒れた、あるいは行き詰った思いになることです。

私たちの人生には時に荒野を通ることがあります。

けれども、荒野は悲惨な場所というだけではなくて、神様に出会う場でもあります。

旧約の預言者はしばしば荒野で神様に出会いました。

エス様も神の霊によって荒野に導かれました。

そして、それには特別な目的がありました。それは、40日間荒野にいて、悪魔から試みを受けるため、そして私たちが受ける同じ誘惑を体験するためでした。

 

1、奇跡を乱用する誘惑:石をパンに変えてみよ

荒野で40日間断食をしたイエスは、超絶空腹の中、悪魔から「そこの石ころを、パンに変えてみよ」と誘惑を受けたのでした。

これはどんな誘惑だと思いますか?これは物質的な誘惑です。

エス様は5つのパンと2匹の魚で5000人の人を食べさせてあげたのですから、できるに決まっています。でも、自分のためにはそれをされなかった。

マタイによる福音書では、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と答えられた。これは申命記8章3節の引用です。

み言葉には誘惑に打ち勝つ力があります。

神様の言葉に私たちが従っていこうとする時、勝利が与えられる。

毎週、主の礼拝しメッセージを聞くことは、力をいただくことなのです。

毎日、御言葉を読めば神様の御心に従っていく思いが与えられます。

この小さなこと、当たり前のことを毎週、毎日行うことが誘惑に勝つ条件です。

 

2、十字架を通らせない誘惑

 イエス様の生き方は、「神が思う通りに思い」「神が行う通りに行い」「神が話す通りに話す」というものでした。その心に、悪魔はこうささやいたのです。「自分のために奇跡の力を使ってみろよ」と。

神の計画通りにすべてのことを行う。これがイエスの目的でした。

自分のためではなく、神が定めた通りに、現在、過去、未来全ての人のために死ぬ。これが、イエス様の目的でした。

そのイエス様の力を、「自分のため」に使ってみよ」という、自己中心的な行動へと誘ったのです。

 私たちは主イエスの御名を通して祈ることができますが、自分たちにその力はない。

もしそのような力が自由に使えるとなったら、大変な誘惑になるでしょう。

悪魔は、この世の栄華を見せて、「わたしを拝んだら、これお前に全てあげよう。」と言ったのです。

私たちは、自分のために何かを叶えたいことなど、山ほどあるでしょう。

エス様にとって、この世界を治めること、神の国は彼の物でした。

でも、それは、私たちを罪から解放するために十字架にかかること、死から勝利して復活される、そして神は彼にすべての栄光をお与えになられるのです。

悪魔は、面倒くさい十字架なんか止めて、一足飛びに栄光を受けよ、私があげようと、イエス様に十字架を避けさせようとしたのです。

四十日経ち、イエス様は死ぬばかりになった時、「死ぬなら死んでもいい。それでも神に従う。」とおっしゃったのでした。イエス様にとって死ぬことは、十字架を意味していました。

私たちはここで「神様を信じましょう。でも人間の備えてくれることも待ちましょうという、二本立てではない。」ことを覚えておきたい。

試みに会うということは行き詰ることです。

行き詰った時に、徹底して神を信じることができるかどうかが私たちに問われるのです。

 

3、聖書の言葉を乱用する誘惑:天使が守る。

 悪魔が聖書の言葉を使うのを、意外だと思う人もおられるかもしれません。

実は、悪魔は神の存在を認め、その恐ろしさのゆえに身震いしているし、神の言葉である聖書の中身も知っている、というのです。悪魔が引用した詩篇91篇10~12節は、「神に信頼する者は守られる」という文脈で語られています。

決して、屋上から飛び降りても、天使が飛んできてスーパーマンのように助けてくれるという意味で語られてはいない。明らかに聖書の言葉を曲解しています。

ここから、聖書の言葉でさえも悪用できてしまうという事実を注意したい。

悪魔は、巧みに聖書の言葉を曲解させ、人に間違った判断をさせようとします。

アダムとエバも、この方法で騙され、失敗してしまったのでした。

聖書を曲解する者に対しては、同じく聖書の言葉を突きつけるしかありません。

エス様は、「「『あなたの神である主を試してならない』と言われている。」と、申命記6章のみ言葉を引用して、完全に悪魔の誘惑に打ち勝ったのでした。

エス様の揺れ動かない姿勢に、悪魔は離れ去っていきました。

聖書の言葉を堅く握って離さない人は、誘惑に打ち勝つことができるのです。

 

サタンの試みの目的は、イエス様を失脚させることですが、イエス様は荒野を通過しながらも聖霊なる神が共におられるということを覚えられました。

私たちが神様を信じているのに、問題が解決しないと悩む時に、荒野でイエス様と共に聖霊なる神がおられたように、私たちと共に神はいてくださいます。そして、その時私たちの信仰が成熟していくのであります。神に会うことで荒野は恵みの場所と変えられていきます。