2024年 4月14日の説教要約 「勝利のローマ伝道」

2024年 4月14日の説教要約

  「勝利のローマ伝道」      中道善次牧師

使徒言行録 28章1~10節と30~31節≫

 

パラダイムシフトについて:

パラダイムというのは、ある物の見方、考え方。それがシフトする(変わる)。

大きなことで言うなら、天動説から地動説に変わったこと。

私が学んだ神学校では、走高跳のスタイルでした。前から、横から、後ろからと、今までの常識を覆すようなスタイルの変化。

違う言葉で言うなら、物事をさかさまの方角から見ることである。そしてそれが神のなさったことであるなら、それを柔らかい心で受け入れること。

それをパウロはローマの信徒への手紙で告げている。

ローマ8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

万事という言葉があるが、それは、パウロが直面した迫害が含まれていた。そして、どうしてこのような目にあうのだろう。そのように思える出来事である。しかし、それが自分にとって良かった。益となった。善となった、祝福となった。そのように言う。

詩編の記者も、「苦しみに遭ったことは私にとって幸いでした。それによってあなたの掟を知ったからです。」(119:71、協会共同訳)と述べる。

この聖書の言葉を愛したのは、瞬きの詩人といわれる水野源三氏。脳性麻痺で生まれ、動かすことが出来るのは眼だけ。その瞬きで、詩を書いた。

この人はどうして、人を批判せず、感謝できるのだろう。

この人はどうして不平を言わず、喜んでいられるのだろう。

この人はどうして落ち込まず、幸せそうな顔をしているのだろう。

神がおられるので、ある出来事を違う角度から見ることが出来るようになったからである。

神を信じるということは、そのような目を持つこと。

 

1、囚人としてのローマ到着

  使徒言行録の次に配列されているのはローマの信徒への手紙。

そのローマ1:9と10で、パウロがローマ行きを願っての祈りの言葉が記されている。

口語訳聖書では、9節10節と区別が出来ないので、9、10と番号を重ね、一つの文章とした。それは、ギリシア語の文章のつながりが複雑で、文法が難しい文だから。

口語訳では、「いつかは御旨に適って、道が開かれ」とある。

そこには、どうにかして、何とかして、さらに何としても、どんな事があっても、どんな手段であっても、成し遂げたいのだ、行きたいのだという、粘り強い、しつこい、願いがあらわされている。

パウロのローマ行きの願いは、囚人として、裁判を受けに行くという形でかなえられた。裁判という形ではあるが、ローマ皇帝の前に立って弁明することが出きた。そのローマ皇帝とはネロであった。

 パウロは、ローマに着いたときの感激を、感動を、使徒28:14で、「こうして、私たちはローマに到着した」と書いている。口語訳では「ついに」という言葉で訳されている。

 何とかして、どうにかして、というパウロの信仰が、ここに現実になった。

 囚人なのですが、ローマについた。これは祝福であり、喜ばしいことだ。 これがパウロパラダイムシフト。

 

2、マルタ島での勝利

使徒言行録28章1~10節には、難破した船が到着したマルタ島での出来事が記されている。

マルタ島での出来事は、マルコ16:18の復活の記事にある信じる者にともなう「しるし」の証言であった。

彼らは泳いで島にたどり着いたのでずぶぬれであった。この時の季節は12月であった。

寒さに凍えていた彼らにとって、島の人々の親切は、彼らの体を温めるだけでなく、心をも温めてくれた。

だがそこでトラブルが起こった。パウロがくべた枯れ枝の中に一匹の毒蛇がいた。

毒蛇にかまれたパウロを島の人々は見ていました。まもなく体がはれ上がって苦しむだろうと。

しかしパウロは、蛇の毒にやられることはなかった。

マルコ 16:18 手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも、決して害を受けず、

毒を飲んでも害を受けず、語ったあとで、病人に手を置けば治るとある。これは癒しの信仰である。

パウロは、自分が害を受けなかっただけでなく、マルタ島の長官ププリウスの父親の熱病と下痢を、手を置いて祈り癒した。それを見て島の人々がやって来て、みな、癒してもらった。

癒しの信仰を持つ。癒しを信じて祈る。それがイエスの復活を信じることである。

 

3、勝利のローマ伝道

2テモテ2:9には、「しかし神の言葉はつながれていない」とある。獄中でのパウロの体験である。

使徒言行録28章でパウロがローマで家を借りた。これは獄中と言っても、軟禁状態と言えるものであった。

パウロは、自分のお金で家を借りて住んだとあります。ローマ帝国では、牢に入るとは、雨露しのげて、三度の食事を国が提供するという政府のシステムはなかった。食事も着替えも毛布も全部自分たちで調達しなければならない。当然、パウロ一人でそれは無理なので、パウロの友人や弟子たちが、必要なものをそろえた。

パウロの軟禁は、ローマ兵が見張っておりましたが、比較的、緩やかであった。

ローマで軟禁されていた家には、来る人たち誰でも妨げられることなく、自由に迎え入れて福音を語ることが出来た。

村上宣道先生の使徒の働きの注解書によると、ローマでの軟禁状態は、迫害もなく福音を伝えることが出来た。このようなことは、今までどこに行ってもなかった。勝利のローマ伝道だと告げるのです。

軟禁状態にあるパウロの姿、それを勝利だという。ここにもパラダイムシフトが見られるのです。

ローマの獄中、そこでパウロは勝利の伝道をしたのです。

迫害がなかっただけでなくフィリピの手紙を読むと、獄中にありながらも楽観的なパウロの姿が描かれている。

それがフィリピ1:12~18に記されている。パウロが捕らえられ、自由に伝道が出来なくなったとき、次のようなことが起こった。パウロ派、そして反対派閥、ともに、福音宣教に励んだ。特にパウロに反対する派閥は、このときこそ、自分たちの勢力拡大と頑張った。それをパウロは、動機がどのようであっても福音が伝えられているのならそれでいいではないか。そのように述べて喜んだ。

物事を違う角度から見ないとこの言葉は言えない。パラダイムシフトがここにも見られる。

それだけでなく、カイザルの家の者にも救われる人が出た。自分を見張っているローマ兵、ローマ皇帝のそば近く仕える兵隊の中にも救われる人が起こされた。

パウロは自らの体験を通して、神の言葉はつながれていないと語ったのです。

「神の宣教」という言葉がある。それは神自らが宣教されるという意味。私たちががんばって伝道する以上に、神自ら宣教される。

神の言葉はつながれていない。