2024年1月21日の説教要約
「与える幸い」 中道由子牧師
《あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエスご自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました。》(使徒言行録20章35節)
1、人を霊的に育てる人(霊的に与える)18章
第三伝道旅行でパウロが立ち寄った町、エフェソにアポロというユダヤ人がいました。
アポロは、学識のある雄弁家で、しかも「聖書に通じて」いたと言うのです。
彼は魅力的な伝道者でありましたが、重要なものが一つだけ欠落していたのです。
それは、「ヨハネの洗礼(バプテスマ)しか知らなかった」という点です。
「ヨハネのバプテスマ」とは、バプテスマのヨハネによって行われた、罪を悔い改めるバプテスマのことで、イエスの名による新生のバプテスマとは本質的に違うものでした。
そのアポロがプリスキラとアキラに出会います。
アポロが、パウロと同じように、ユダヤ人の会堂に入って大胆に話し始めた時です。
パウロから親しい訓育を受けていたプリスキラとアキラ夫婦には、パウロの宣教との微妙な食い違いが、すぐに分かったのでしょう。
そこでこの夫婦はアポロを自分の家に招待して、もっと正確に神の道を説明したのです。
本当に、この夫妻がアポロに接した態度は立派でした。
アポロの説教を聞いて彼の福音理解が不正確であることを知っても、会衆の前でそれを指摘するようなことはしなかったのです。
この夫婦は、傍観者的な評論家ではありませんでした。
キリストの教会が建て上げられ、福音が前進することだけを望んでいる夫婦でありました。この有能な伝道者を傷つけないように、しかも間違いのない信仰に立って福音宣教に励んでもらいたいという配慮から、自宅に招き入れ個人的に説明したのです。
その上、アカイヤにわたりたいと言うアポロの願いを聞き入れ、コリントの教会に宛てて、「アポロを歓迎してくれるように」と紹介状さえ書いて持たせてやったのです。
アポロはそこでよい伝道活動をして「信者になっていた人たちを大いに助けた」のです。
思慮深い敬虔なクリスチャン夫婦の愛は、一人の伝道者を生かすことができたのです。
2、パウロが残したみ言葉の恵み
19章8~10節では、エフェソのティラノ講堂でパウロは聖書講義をしていました。
ここは、哲学者や教師たちが学んだり論じあったりした場所のようです。
パウロは二年の長きにわたって、毎日(19章9節)伝道を続けたのでした。
エフェソにはアジア州全般から、人々が通商のために、またアルテミス神殿参拝のためにやって来ます。パウロがアジアのすべての町々をめぐって伝道することは不可能でありました。しかし、ティラノ講堂は、全アジアに広く福音を伝える伝道センターとなっていました。
ヨハネの黙示録に記されている七つの教会を含むアジアの諸教会から人々が来て、パウロから福音を聞いたと言います。これらの教会が設立される基礎がつくられたのです。
パウロはこの第三伝道旅行において多くの将来的な可能性のある教会を生み出しました。
もう一つのパウロが残したみ言葉の恵みは、20章24節に書かれている「パウロ決別説教」です。
これは、第三伝道旅行の帰りですが、パウロはエフェソには立ち寄らず、ミレトから使いをやってエフェソの長老たちをミレトに呼び寄せて、別れの説教を語ったのです。
20章32節で「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」
私たちが御国を実際に継ぐに至るまでの過程、地上での信仰生活においては、さまざまなことがあります。
その中で、御国に至るまでの間、クリスチャンを支え、導き、矯正するのは神のみことばなのです。人の考えも変わっていきます。周りの状況も変化します。
自分自身も変わりやすくて心もとない存在でしょう。しかし、神のみことばは変わらない。
このみ言葉に信頼する時、御言葉が私たちを御国に至るまで支え続けてくれるのです。
3、福音のためにささげる生き方
使徒言行録20章34節「ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。」
パウロの伝道は実に堅実でした。彼は教会に負担をかけまいとして、働き続けました。
彼の働きは開拓伝道でしたから、行く所々で働いて生計を立てることが出来れば、それはベストのことだったでしょう。
その彼の姿を知っている開拓教会は与える恵みを知っている教会でした。
コリントの信徒への手紙二8章では、コリントの人たちはエルサレムの教会のために献金をしたことが、書かれています。エルサレムの教会は財政的に苦しんでいました。
ユダヤ人の雇用主たちの敵意が強く、エルサレム地域でキリスト者になると家や職場を失うことにもなったのです。その上、その地に飢饉まで襲いました。
パウロはマケドニアの諸教会が非常に困難な状況の中でもエルサレムの教会のためにあふれんばかりの献金をしたことについて述べ、コリント教会もささげる事を勧めました。
与える生き方、パウロは諸教会のクリスチャンたちにその賜物を残していったのでした。
「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」。これは、ジェラール・シャンドリという人の言葉の引用です。
また、あの天才物理学者アインシュタインもこう言っています。
「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。」