2020年5月24日 礼拝説教 「不思議な巡り合わせ」

2020年5月24日 礼拝説教

                      「不思議な巡り合わせ」   照内幸代牧師

                 <使徒言行録 18章1節~5節>

前置き

私たちは先日、本当に大きな困難に直面しました。新型コロナウイルスの影響によって、神奈川県から週末の外出自粛要請が出て、3/29から礼拝堂での礼拝が持てなくなりました。また4/8には緊急事態宣言が発令されて、5/6に至るまで集会を持つことができなくなりました。かつてこのようなことは起こったことがなかったのではないかと思うくらいです。

 

なぜこのようなことが起こることを、神が黙認なさっているのか、それは私たちにはわかりません。一つ言えるのは、こういった困難は度々私たちを襲ってくるということです。2011年に起こった東日本大震災だって、私たちの力ではどうしたって太刀打ちのできないような困難の一つでした。しかし私たちは苦しみながらもその都度乗り越えて今日があります。それは私たちがお互い助け合って努力したからということもありますし、このような困難の中にあっても、神はいつも私たちを何らかのかたちで助けてくださっているからなのではないでしょうか。

 

本日お読みした箇所は、パウロが困難と弱さのうちにコリントにたどり着いたときの出来事です。偉大な伝道者であるパウロも、この使徒の働きで度々困難を経験しました。しかしその困難の中にあったからこそ、その都度神から不思議な助けをいただいていたのです。今日はこのパウロに与えられた神様からの不思議な助けの手について、皆さんと読んでいきたいと思います。一つめに、神は弱さの中に現れてくださったのだということ、二つめに、弱さの中にあるとき助け手を送ってくださったのだということです。

 

本文

弱さに現れた神の恵み

前回の私の説教では、パウロアテネ伝道に失敗したという話をしました。初めはべレアに置いてきたテモテとシラスをアテネで待つつもりで一人おりましたが、町中に偶像礼拝がはびこるのを見て我慢できず、アテネの人たちに伝道することにしたのです。そこでギリシャ哲学者たちを相手取って宣教に努めましたが、死者の復活ということをギリシャ哲学者たちに馬鹿にされ、パウロアテネの地を立ち去ったのです。

 

そしてパウロアテネの西に進み、コリントの街にやってきました。ギリシャという国は南北が海で分かれているのですが、この幅八キロしかないコリントの陸地が、ギリシャの南北をつなげていました。ギリシャの交通の要所ということで、「ギリシャの橋」という別名がありました。いつも果敢に伝道活動に取り組んでいるパウロですが、実はこのコリントの街にやってきたときは、元気がなかったのだと自分で言っています。パウロが後にコリント教会のクリスチャンたちに宛てて書いたコリント人への第一の手紙、2:1-4にはこのように書いてあります。

 

パウロは、「弱く、恐れおののいていた」と振り返っているのです。結局アテネで待っていたテモテとシラスには再会できなかったということもあるかもしれません。また一人で知らない町にやってきたという不安もあったでしょう。しかしパウロは一節でこう書いているのです。「私があなたがたのところに行ったとき、私はすぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を述べ伝えることはしませんでした」。

ギリシャ哲学の最先端であり、多くの人が高い教養を身に付けていたアテネにおいて、すぐれた知恵は神の奥義、すなわち福音を知らせるのに何の役にも立たなかったのです。そのときの苦い経験をもとに、パウロはコリントに来たとき、すぐれたことばや知恵によって福音を語ることはすまいと思っていたようです。

 

しかしパウロは後に、使徒の働きとコリント人の手紙の間にあります『ローマ人への手紙』を執筆します。これは非常にすぐれたことばと知恵が詰まった神学書のようなお手紙です。パウロアテネ伝道ですぐれたことばや知恵が役に立たなかった経験をしたからと言って、彼がそのあとずっとことばや知恵によって福音を説得しなかったわけではありません。むしろパウロはタルソという学術都市の出身ですので、そういった論争は非常に得意としていました。

 

ですから、このコリントの街に来たとき、彼がすぐれたことばや知恵を用いなかったというのは、本当にアテネでの経験が彼を一時的に落ち込ませていたのではないかと思われるのです。彼は神の奥義、神の知恵というものに心から感動していましたし、論理的にも聖書が優れていることに誇りを持っていたはずなのです。しかしこのコリントでは、あえてその部分は用いずに伝道しようとパウロは決めたのです。

 

パウロのようにメンタルの強そうな人が、このように落ち込んでいるというのが聖書に記録されているというのは大変興味深いことです。パウロはテサロニケで迫害されたのに、お隣の町べレアでも同じように伝道をしたような人です。でも彼も人間であって、時には落ち込むし無力になるのだということを聖書は正直に伝えています。

 

私たちは伝道するときに、上手く行かなかったなとか、自分は無力だったなと落ち込んでも良いということですね。いつも何かしらの実りがあって、いつも力強くなくてはいけない、そんなことなくて良いのだということが聖書から分かります。時には上手く行かなくて、時には落ち込むときもあって、それでも神様にすがって生きている。これがクリスチャンの本当の強みなのではないかと思うのです。いつも強い完璧な自分でなくてもいい。なぜなら、その弱いところを神様が埋めてくださるからなのです。

 

私の祖父は化学の研究職をしていた非常に頭のいい人でした。大学生のときに一般教養として聖書もすべて読んで、内容も分かっていたといいます。ですから娘である私の母が教会に通うようになり、更に妻である私の祖母も教会に行くようになっても、初めは教会に興味がなかったそうです。自分は聖書は全て読んで内容も分かっているから、教会なんて通わなくてもいいと思っていたそうです。

 

それでも娘と妻が熱心に教会に行くようになったので、祖父もいつしかつられて教会へ行くようになりました。しかし祖父は研究職をしている人ですから、どの聖書の話を聞いても躓きがありました。そして牧師のところへ行って質問をしたそうです。科学ではこういうことになっている。それが立証できる。知的に正しいことだ。なのに聖書ではまるで反対のことを言っている。どう説明なさるつもりなんだときいてみたそうです。

 

すると祖父の通っていた教会の牧師はちょっと黙って、そして一言、「私にはわかりません」と答えたそうです。「私にはわかりません」。一見無責任にも思えるその一言が、しかし祖父は大変気に入ったそうです。「そうか、わからないのか」と感動すらしたそうです。科学の世界では、わからないということは許されないのだそうです。必ず疑問には答えがないといけない、たった一つの正解がなければならないのです。しかし牧師は、わからないということができる。この答えが祖父はいたく気に入って、それ以降教会に行くようになり、天に召されるときまで教会の執事を務めていました。

 

牧師は、言おうと思えば祖父の質問に答えることができたかもしれません。科学だって完璧ではありませんから。一部のクリスチャンがやっているように、ビックバンにしろ進化論にしろ完璧ではないことを言ってみても良かったかもしれません。しかしこの牧師の無知を認める姿勢と謙虚な姿勢と、それでも神は唯一の神であって私の救い主であるという確信が祖父を救いに導いたのです。

 

このコリントの街で、パウロはあえて難しいことを言いませんでした。三位一体の神によって、キリストが受肉し、死んで甦り、そのことによって私たちが義とされるという、道行く人が聞いて分からない話はやめたのです。ただ彼は、御霊と御力によって神を証することに努めたのです。死人の復活だなんて到底信じられない。哲学的でない。ばかげていると思っていた人たちにも、彼の言っていることには力がある。恵がある。救いがあるということを感じることができたのです。そしてコリントの街では大勢の人が救われたのです。弱いところに働いてくださる神の恵みです。

 

不思議な助けの手

二つ目に神様は、この「弱く、恐れおののいていた」というパウロのところに、必要な助け手を送られたのでした。2節に、「そこで、ポントス生まれでアキラという名のユダヤ人と、彼の妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたので、最近イタリアから来ていたのである。」と書かれています。

 

このプリスキラとアキラ夫妻が、パウロにとって大きな助けとなりました。3節4節

この時ローマではユダヤ人が増えすぎたことと、ローマ帝国に対してしばしば反逆するユダヤ人に対抗して、ユダヤ人への迫害が起こっていました。このプリスキラとアキラ夫妻はユダヤ人であったため、ローマに住んでいることができず、イタリアからギリシャの方へと移り住んできたところだったのです。

 

この夫妻はイエス様のことを信じて、なんと職業までパウロと同じだったので、三人は一緒に生活をして、安息日には会堂でユダヤ人にイエス様の話をするという共同生活を始めたのでした。当時ユダヤのラビ、先生と呼ばれる立場の人たちは、それぞれ手に職をもっていました。今キリスト教会では牧師なり神父なり、教会に関わることのみ仕事として専念している人がほとんどですが、ユダヤ社会ではラビ先生と呼ばれる人は聖書の御言葉を教えることで収入を得てはいけないと考えられていました。

 

教職者が教会から給料を得て御言葉の奉仕をするようになったのは、パウロの弟子のテモテやテトスといった人たちの時代になってからです。ですからパウロも自分の職業というものを持っていました。この時代で自分の職業というと、それはつまり自分の父親の職業ということになるわけですが、パウロは天幕づくりが職業だったのです。そして天幕作りで収入を得て、安息日は御言葉を教えるという生活をしていたのです。パウロは後の手紙の中で、「金銭的なことであなたたちの負担にはならなかった」と書いていますから、パウロの天幕づくり職人としての腕も収入も確かだったようです。

 

プリスキラとアキラ夫妻がローマにいられなくなったのは、彼らの選択ではなくて、そういう環境になってしまったのでやむを得ないことでした。しかしなんと同じ天幕づくりが職業である彼らが、このたった一人になって意気消沈した同業のパウロに出会うというのは、なんて神様のお計らいってぴったりなんでしょうと驚きます。ローマを追われてきたことは、この夫妻にとって不幸なことでしたが、しかしそういう環境になったからこそパウロに出会い、キリストに出会い、同じ仕事をして伝道生活を始めるという方向に導かれたのです。

 

パウロにとっても、待ち望んでいたテモテやシラスとアテネの街で会うことができず、しかもアテネ人にはばかにされてアテネを飛び出してきたところでした。パウロにとっても全く落ち込むような日々の連続でしたが、その中にあってこのプリスキラとアキラ夫妻に出会うことができたのです。

 

私は秦野教会に赴任してきて、すぐにSさんというご夫妻のことをお聞きいたしました。Sさんご夫妻に私は会ったことがなかったのですが、話を聞いただけで、プリスキラとアキラ夫妻のことを思い起こしました。秦野教会は開拓当初から櫻井先生が関わって来られて、10年以上、櫻井先生によって養われてきた教会であると思います。その櫻井先生がご隠退なさって、代わりに中川先生がいらしゃったわけですが、そのような変わり目のときに、このSさんご夫妻が秦野教会に来てくださったのです。

 

信仰に熱い若いご夫妻が、積極的に教会を支えて、皆さんに愛情を注いでくださったのです。櫻井先生が引退してしまって寂しいと感じていた教会にとって、その存在は大きかったのではないかなと思います。またSさんご夫妻も郷里の長野を離れてこの秦野の地に導かれてきて、偶然この教会をお訪ねくださったわけですから、きっとSさんご夫妻も、この教会に日々支えられていたのではないかと思うのです。神様はそのように、いつも不思議な形で私たちを支えてくださるお方であるなと思います。

 

今秦野教会の祈祷会は大変祝福されていまして、毎回6、7人の方々が集まります。礼拝出席人数と比較しても50%、もしくはそれ以上に相当しますので、秦野の祈祷会は大変豊かな状況にあるなと思っています。ある日の祈祷会ですが、皆さんいつからいらっしゃっているのですかという話題になりました。そしてなんと、一人の女性以外はみんな来て一年未満だったのです。牧師である私も含めて、みんな秦野教会に来てまだ一年が経ってなかったんですね。

 

ある一人の方は長い間忠実にいらっしゃっていますが、その時は本当にびっくりしました。どの人ももう何年も秦野教会に来ているような気がしていたからです。教会のためにとりなして祈る人たちが、こんなにも多く一年のうちに与えられたというのは、なんと感謝なことでしょうか。三年間、この教会に仕えてくださった中川先生がアメリカに留学なさって、またSさんご夫妻も長野にお戻りになって、教会はまた寂しい中にあったのかもしれませんが、神様はそのようにして、いつも私たちに助けの手を伸べてくださるのだなと思いました。

 

秦野教会は3月末に二人の留学生をその母国に見送りました。また一人の役員の方も転勤が決まり、月に一度はお見えになりますが、遠くに送り出すことになりました。長い間教会に仕えてくださった兄弟姉妹を送り出すことは、本当に寂しいことですし、また彼らに会いたいなあと思わされることです。またこの春は新型コロナウイルスの影響によって、長い期間教会堂で集うことが許されていません。

 

しかし神様は、このように弱さを覚え、心細さを抱えている教会に、豊かに聖霊を送ってくださるのだと私は確信しています。この出来事は、決して教会のマイナスになったりしない。神様はむしろここから強く私たちをお用いくださるはずだと確信しているのです。弱さの中にある時こそ、神様は私たちを深く取り扱ってくださいますし、特別な恵みと愛を注いでくださいます。

 

この春は私たちにとって心の寂しい春でした。しかし神はここから新しいことを始めてくださる。特別な恵みを注いでくださるということに期待しています。私たちは神の御前に、確信を持っていましょう。神はかならずや私たちをお用いくださるはずです。祈りましょう