2023年11月26日の説教要約
「この方こそわれらの救い主」 中道由子牧師
《それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。》(使徒言行録17章22~34節)
17章はパウロの第2伝道旅行で、テサロニケ、べレア、アテネの3つの町のことが書かれております。
1、テサロニケ教会の基礎
テサロニケの町は港町としても重要な所で、経済の上でも、マケドニア地方の最重要地でした。この町はローマの植民都市ではなく、自由都市でした。
したがって、ここにはユダヤ人も大勢いました。
パウロの説教の内容、「キリストの十字架と復活」、そして「イエスこそまことのキリスト、われらの救い主である」という単純でストレートな福音のメッセージは人々の心をとらえたのでした。
私たちは、何か力強いメッセージや優れた知恵の言葉がなくては人に心を動かせないと思いますが、多くのギリシア人が、パウロの説く福音に納得して、その二人に従ったのでした。「従った」とは、「運命を共にした」のです。
本来ならば、聖書も神も一番よく知っているはずのユダヤ人たちが、その中心的教えに最も強く逆らったのです。彼らは、町のならず者を駆り集めて暴動を起し、パウロたちが滞在していたヤソンの家を襲ったのです。
パウロの伝える福音には、これまで自分たちが守って来たものが覆されてしまうほどの力があることを彼らは本能的に感じ取ったのでした。
もう一つは、パウロの説教には、ローマ皇帝の勅令に背いて、『イエスと言う別の王がいる』ことを語っていると言っています。
この世の王はそれを好まないため、この別の王とその民たちを抹殺しようとさえします。ヤソンたちは、自分たちが捕らえられ、保証金を支払うことによってパウロとシラスを安全に逃れさせたのでした。
そして、貴婦人たちを含む、ここで救われた人々が、テサロニケ教会を形成する基となったのでした。この命の種である福音の種は、立派に育って、とてもすぐれた教会に成長していったのです。
テサロニケ伝道は大成功でした。
2、ベレアの素直な人々
テサロニケの兄弟たちは、パウロとシラスをこっそりと夜のうちにベレアに送り出しました。ここにも会堂があったので、二人はすぐに会堂に入っていきました。
ところが、ベレアのユダヤ人たちの福音に対する反応は、テサロニケのユダヤ人たちの反応に比べるとはるかに良かったのです。
多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入ったのでした。
そこには3つの良い要因がありました。
1)この人たちは、素直なひとたちだった。偏見を持たない、自由な精神の持ち主だった。真理に対して開かれた心の状態にあったことがわかります。
2)非常に熱心にみ言葉を聞き、受け入れる人たちでありました。
この人たちは、スポンジが水を吸収するようなみ言葉の聞き方であり、聞いたみ言葉を心にとどめたのです。
ベレアの人たちが素直であったという表現の中に、「ノーブル」「気高い」と言う意味が含まれているというのです。
御言葉を素直に受け取る人には、キリストが持っておられる気高い気質を感じることでしょう。
3)毎日聖書を調べた。
ベレアの人たちは聖書を調べるうちに、信じずにはいられなくなったのです。
ベレアの人たちはどこにイエス様のことが書いてあるか、よく調べたのでしょう。
こうしてベレアの伝道も大成功でした。
3、アテネの哲学者
アテネは、素晴らしい伝統を誇る町です。パウロはここでベレアに残ったテモテとシラスの到着を待っていました。そしてその間に、町を見て回ったのでしょう。
そして、彼はがっかりして、怒りさえ覚えたのでした。
それは、この町の至るところに偶像があるのを見たからです。
パウロは毎日、会堂に入っては、ユダヤ人と論じ合い、広場で居合わせた人と論じ合って伝道しました。哲学の町アテネの人々は論じ合うことが好きでした。
そこでパウロが討論したのが、エピクロス派とストア派の哲学者でした。
どちらも人生の幸福について説いていましたが、エピクロス派は、快楽主義になり、ストア派は、禁欲主義でした。彼らは本当の幸せはどうしたら得られるのか、きちんと説明できていませんでした。
本当の人生の幸福は、独り子イエス・キリストを通して、その十字架の死と復活を通して神が与えてくださった真の解放であります。
パウロは、公の場、アレオバゴスの議会で説教をする機会を得ました。
しかし、復活と聞いたとたんに人々の心は「それはまた、いずれ聞かせてもらうよ」と嘲笑ったのでした。
十字架と復活を聞いて、人々の反応が分かれた。嘲笑うか、信じるか。
けれども、その中にも信仰に入った人もいました。
「アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々」です。
どんなかたくなな地域にもそのような神を求める人がいるのです。