2022年1月2日の説経要約
「初心に帰る恵み」 中道由子牧師
《終わりに、きょうだいたち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。》
(コリントの信徒への手紙二13章11節)
今年鵠沼教会に与えられたみ言葉から、私たちの信仰の基本的な在り方、特に礼拝することを中心に学び、この1年を通して主にお従いしたいと願っております。
1、 喜びの意味
「終わりに、きょうだいたち、喜びなさい。」ここは、「では、兄弟たちよ、ごきげんよう。」と手紙を閉じる挨拶にもなる言葉です。
「バイバイ」という代わりに「喜びなさい。」というのです。
私たちの毎日には喜んでばかりはいられないことが転がっています。
そんな時「喜びなさい。」と簡単に言えるでしょうか?
パウロはフィリピの信徒への手紙4章10節で「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」と勧めています。調子が悪いから愚痴を言い、物事がうまくいっている時だけ喜ぶのではなく、いつも喜ぶのです。
そこには喜びの質が求められていく、ここでパウロは命をかけて愛し、赦してくださるお方に出会ってから、彼は何があっても奪われない喜びを心の深いところで持ち続けることができました。
人から誤解され、否定され、貧しくなり、牢獄に入れられても彼は、喜びました。
イエス様が彼を愛してくれているからです。
皆さんは、IQというのをご存じだと思います。Intelligence Quotinent知能指数です。
IQの高い者、偏差値の高い者が優れているかのように一般的に思われています。
一方、IQとは別にEQという基準があるそうです。Emotional Quotinent「感情、情緒」を測る指数です。
実は、IQよりもEQの方が、人が成功するかどうかをもっとよく判断できるというのです。
パウロの不思議なEQ感情、情緒指数の元は救いの喜びでした。
パウロはコリントの教会がパウロを誤解して、彼から離れて行った時にも、祈りと忍耐とをもって彼らに接し、きっとわかってくれると確信をもっていました。
彼がそのような中でもキリストの十字架を語り続けることができたのは、イエスキリストを知った喜びを誰も奪い取るものがないからです。
高いEQ情緒指数を持つお互いでありたいと思います。
2、 完全の意味
これは、「完全無欠の人となれ」と言っているのではありません。
原意は、「元の形に戻す」という意味なのです。
協会共同訳では、「初心に帰りなさい。」です。
神を離れていたものが神との和解を与えられ、再び神との正しい関係を回復されるという意味です。
ヘブライ人10章25節「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。」と書いてあります。
このヘブライ人への手紙の頃、クリスチャンになった故に試練を受けることが多かったようです。職を追われたり、財産を奪われたりしたのです。
あまりにも理不尽なことが多く、つらくて信仰から離れてしまった人たちがいました。
しかし、このヘブライ人の手紙を書いた人は、初めの愛に立ち返ってほしいとこの手紙を書いています。
私たちは、コロナ禍の中で制限はありますが、これほどの困難ではないと思います。
そして、私たちはまず、主を礼拝する民の集まりであることを覚えたいと思います。
教会は何よりも主を礼拝する民の集まりです。
今日ここで誰か人と会うことを目的として来た人はいないと思います。
誰かと会うとしたら、それは神様と会う場所なのです。
皆それぞれの心境の中、神に会いにここに来ます。
神を求めて、礼拝の中で、賛美の中で、説教の中で、聖礼典の中で私たちは神に会い、変えられてまいります。
そういう意味において、新年に当たって私たちは「初心に帰らせて」いただき、まず主を礼拝することを大切にする一年としたいと願っています。
3、 一つ心となる
「初心に帰る」の次は「励まし合う」ことです。
それが「一つ心になること」に続いていきます。
私たちは一人では弱い者です。兄弟姉妹の励ましが必要です。
コリント二8章では、コリントの人たちはエルサレムの教会のために献金をしたことが、書かれています。
エルサレムの教会は財政的に苦しんでいました。
キリスト者になると家や職場を失うことにもなったのです。その上、その地に飢饉まで襲いました。パウロは、周りの諸教会はエルサレムの教会を支援すべきだと考えていたようです。
その理由の一つは、彼らがエルサレムの教会に福音の負債を負っていたからです。
エルサレムの教会を助ける献金は、単に救済のためだけではなく、キリスト者を一つに結び付ける良い機会となりました。
困難や試練、マイナスだと思えることにより皆が一つになることができます。