2023年10月29日の説教要約 「アンテオケ教会」

2023年10月29日の説教要約

     「アンテオケ教会」        中道善次牧師

 

 ≪使徒言行録 13章1~3節≫

 

今日は、使徒言行録13章から学びます。パウロが主人公になって描かれる最初の章であります。今日はここから、教会ということと宣教ということを学んでまいりたいと思います。パウロが宣教に派遣された教会の名前は、協会共同訳ではアンティオキアになっております。しかし今日の説教では、口語訳で使われてきた名称のアンテオケ教会とさせていただきます。ある宣教団体の名称も、アンテオケ宣教会と言っております。

 

1、パウロの教会生活

  パウロが自分の救いのことについて述べているのがガラテヤの信徒への手紙です。

  使徒言行録では、ダマスコに行く途中に光に打たれ、イエスと出会ってパウロは回心したのですが、ガラテヤの信徒への手紙では、次のように表現しております。

ガラ 1:11 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は人によるものではありません。

ガラ 1:12 わたしたちはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。

ガラ 1:13 あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。

ガラ 1:14 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。

ガラ 1:15 しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに

ガラ 1:16 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、

ガラ 1:17 また、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。

パウロは、自分の救いは人によらない。直接神さまに触れられた。そして異邦人の使徒となったというのです。

さらに、彼は救われてすぐに、アラビアに行った。そこでは自分の救いのことを振り返り、黙想する時を持ったと一般に言われております。ある人は、パウロはどこの神学校にも行かず、荒れ野で神様から教えられたのだというのです。

しかし、違う角度からここを読むと、次のように言えます。パウロ先生、あなたの確信の強いのはいいです。

救いも、召しも、神さまから直接受けた。そうかもしれません。そして誰にも相談していない。しかし、主だった指導者は自分のことを認めてくれた。そう書いておられます。それは、個人的な確信は強いけれども、独りよがりになりはしませんか?

確信の強いパウロでしたが、一つ欠けていたことがありました。

彼は、教会を通して救われていない。アナニアとバルナバが、彼と関わりましたが、いわゆる、教会生活をしていない。そのパウロに手を差し伸べたのがバルナバでした。

使徒11:25~26 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。

バルナバは、パウロに母教会を与えたのです。パウロに教会生活をさせたのです。

母教会を持つ。所属教会を持つ。これは宣教の働きをする人にとって、とても大切です。教会生活で大切なことは、祈ってもらうことであり、支えてもらうことであります。それが、宣教師にとってはとりわけ大切なのであります。

パウロは、友人バルナバによって教会を与えてもらったのです。彼が属する教会。彼を支える教会。彼を送り出す教会です。

長澤たかふみさんの歌の中に、♪イエスが愛したように♪があります。 その賛美の折り返しは、♪共に支え合い 共に助け合う イエスの愛で 共に祈り合い 共に笑い合う イエスの愛の中♪

 

2、アンテオケ教会は国際教会

  9月の中旬、岐阜で持たれましたJCE7、日本伝道会議は、「おわり」から「始まる」宣教という題でした。

黙示7章には、天の大群衆が賛美している光景があります

黙 7:9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数え切れないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、

黙 7:10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」

黙 7:11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、

黙 7:12 こう言った。「アーメン、賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように アーメン。」

 天上の賛美の姿。それは言語、文化、肌の色を超えて、みんな一つになって神を賛美しているのです。

 これが私たちの目指す「おわり」、つまり、ゴールだというのです。

 木曜日、私は娘に頼まれ運転手としてOMの宣教チームを富士山に連れてゆきました。鵠沼の青年二人も助けてくれました。チームの背景は、メキシコ、ドイツ、フィリピンというインターナショナルでした。英語、ドイツ語、タガログ語、そして日本語。ああ、ロゴス・ホープ号は、みんなが一つになる。そして神を賛美する「おわり」の姿を表している。船で一緒に生活するのですから様々な現実を乗り越えなければならないのですが、彼らはそれを乗り越えて、仲良く、主に仕えているのだと思いました。

 

3、ミッション・マインドをもつ教会

  パウロは、救われた後、アンテオケ教会に所属して教会生活を送りました。そしてアンテオケ教会は、「おわり」の姿を映し出す教会でした。

  使徒13:1 バルナバは、ユダヤ人です。ニゲルとは黒人のことです。キレネ人とは、アフリカのリビアチュニジアあたりです。領主ヘロデと一緒に育ったとは身分の高い人でありました。サウロは、離散のユダヤ人、ギリシア語を話すユダヤ人のルーツを持っていたのです。

  インターナショナル教会であるだけでも十分素晴らしいのに、彼らは、それで満足していなかったのです。

  メインの教師であるパウロバルナバを宣教の旅に遣わしたのです。

  もちろん、ここではずっと長期間送り出すわけではなないのですが、バルナバの故郷である地中海のキプロス島に出かけて行ったのです。

  宣教に出かける教会、宣教師を送りだす教会だったのです。

  だからこそ「アンテオケ」という名称は、宣教にふさわしいのです。

  7年間、一緒に茅ヶ崎で伝道したスパードル宣教師の主張は、教会はミッション・マインドでなければならない。

  ミッション・マインド、それは、宣教を志す教会でなければならないということです。

これからも宣教を目指す教会でありたいと思います。