2023年10月1日の説教要約 「クリスチャン」

2023年10月1日の説教要約

     「クリスチャン」     中道由子牧師

 

《このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。》(使徒言行録11章19~30節 )

 

1、世界が一つに

異邦人に聖霊が与えられるということが、誰にでも認めざるを得ないこととして、神様は御計画されました。 でも、納得がいかないのはユダヤ人クリスチャンでした。

ユダヤ人信者は最初、この大いなる恵みにあずかるためには異邦人も割礼を受けなければならないと考えていました。

ユダヤ教から見れば、旧約聖書の戒めを守って割礼を受けない異邦人は、絶対に神の民となれないと考えたのです。

 ところが、割礼など知らないギリシャ人が、ユダヤ人と同じように聖霊バプテスマにあずかってしまったのです。それで、彼らに水のバプテスマを授けました。

神様は、私たちが人間的な偏見や限界を打ち破るように聖霊なる神をくださいます。

ペトロが異邦人の家で神の言葉を語り、異邦人が回心したことが、エルサレムにいる使徒たちと割礼を受けている者たちに知らされました。

ところが、割礼を受けている信者たちは、ペトロが無割礼の者の家に入って食事をしたと言って非難しました。 この非難は、ちょっと奇妙だと思います。

異邦人が聖霊を受けたことや、ペトロがバプテスマを受けるようにと命じたことではなく、無割礼の人たち、異邦人とペトロが食事を共にしたことを非難しているからです。

しかも、割礼のない者は、律法で「汚れた」とされている物を食べるので、彼ら自身も汚れていると考えられていました。だから、汚れた物を食べる異邦人と一緒に食事をするだけでも、その人は神の前に汚れた者となる、と考えた。

彼らはクリスチャンになってもユダヤ教の伝統から抜け出せず、ユダヤ主義的な伝統の中で培われてきました。このユダヤ人の考え方は、そう簡単には変わらなかったのです。

 日本人クリスチャンである私たちも文化の中で、偶像の問題など多くの闘いがありますが、日本人である私たちが主イエスに出会い、救われたことを大切にしたいと思います。

  神の御心は、ユダヤ人も異邦人もなく、世界が一つにされていくということです。

全世界の人が救われることであります。

 

2、アンティオケ教会の誕生

 迫害で散らされていった人たちは、ユダヤ人以外の者には、御言葉を語らなかった。

彼らにもまだ異邦人伝道ということは考えられなかったのです。

ところが、アンティオキアに移って来たユダヤ人信者の中に、キプロス島やキレネから来た者がいて、ギリシャ語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせたのです。その結果、信じて主に立ち返ったものが多く出たのでした。

アンティオキアにいたギリシャ人たちは、ユダヤ教徒とは全く無縁な者たちでした。

しかも集団で入信するという現象が起こった。

そのうわさがエルサレム教会に聞こえて来たのです。

エルサレム教会は、バルナバをアンティオキア教会へ派遣したのです。

バルナバは、このリバイバルを見て喜び、みんなを励まし、指導した後、タルソスにいるサウロを捜しに行ったのです。

この状況で誰をこの時に必要としているか、霊的なことが直感的に分かる人でした。

サウロの純粋で熱心な信仰、また彼がギリシャ語を使えるギリシャ文化を理解できるユダヤ人、しかもパリサイ派の教育を受けていること、実行力がある人物であることをバルナバは見抜いて、彼こそアンティオキア教会の奉仕にふさわしい人物であると確信したのです。 こうして二人は、一年間アンティオキアで大勢の人たちを教えたのです。

このことは、これ以後の伝道にとっても大きな意味を持つようになります。

ユダヤ伝道を中心とするエルサレムから、異邦人伝道を中心とするアンティオキアへと、宣教の中心が大きく移行していくことになるからです。

 そして、このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになりました。クリスチャンという呼び名はギリシャ語の「クリストス」にラテン語の語尾がついてできた言葉だそうです。アンティオキアで、開けても暮れても「クリストス」の名を唱えて生きている人々をあだ名で、周囲の人々が、「あれは『クリスチャン』だ」と言ったのです。あだ名を付けられるのは、その人が周囲にとって気になる存在だからです。

私たちは、社会の中で、今置かれているところで影響ある存在でしょうか?

アンティオキアではクリスチャンたちを無視することができなかったのです。

同時にそれは、アンティオキアの人々が、キリストの教会をユダヤ教の一つの宗派や分派としてではなく、全く別の、新しい集団として認めたということでもありました。

 

3、海外宣教の拠点として

アンティオキア教会は、エルサレム教会をしのぐほどの勢いで急成長しましたが、同時にエルサレム教会との間にはいつも美しい信仰の交流がありました。

「大ききんが起こる」という預言が的中して、紀元前41年から54年のクラウディオ帝の治世に起こりました。

この飢饉はバレスチナ地方、特にエルサレム一帯の報告が最もひどいものだったのです。

 新しく生み出されたアンティオキア教会は、母教会のエルサレム教会のために献金を集め、それをバルナバとサウロに託して送り出したのです。

そのようなアンティオキア教会は、海外宣教の本拠地となって、世界伝道開始の準備がなされていったのです。

彼らは中心的な働きをしていたバルナバとサウロをこの宣教のために送り出すのです。

 私たちも古い革袋を脱皮して、新しい皮袋にしていただきたい。