2023年9月17日の説教要約 「大いなる力」

2023年9月17日の説教要約

      「大いなる力」     中道由子牧師

 

《ペトロが、『アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい』と言うと、アイネアはすぐに起き上がった。》

使徒言行録9章32~43節 )

 

1、アイネヤが病から解放される

 中風という病気はどんな病気でしょうか?

片方がゆるむ、体の一部分が麻痺してしまうのです。

実際には、脳卒中の後遺症で半身麻痺になってしまったり、脳脊髄の炎症、事故の損傷によっても起こります。

中風という病気は、長期床についたままの病人として新約聖書に記されています。

現在はリハビリにより回復する方も多くおられます。

 マタイによる福音書9章に出てくる中風の人は、4人の友だちが板の上に乗せてくれてイエス様の所に連れて行ってくれました。

エス様はこの中風の人に会って、病よりも彼の魂に問題があることに気づきました。

エス様は、ここで病気であろうとなかろうと、しっかりと勇気を持って生きていくのに大切なことは、罪が赦されることだと知っておられました。

この中風の男がするべきことは、自分がもう赦されている人間だ、ということに気が付くことでした。それを受け入れることです。

癒やしは罪の赦しについてきた恵みだったのでした。

この中風の人、彼の名前は明らかにされていません。

しかし、使徒言行録の中風の人の名前は「アイネア」としっかり書かれています。

この人は信者であったのか?

前半でお話しした中風の人とは違い、アイネアについてはいきなり癒しが起こっています。ただ彼は8年寝ていた。リハビリをすることもなくずっと寝ていた生活、彼の人生はこのまま終わってしまうところでした。

 神様がペトロを遣わしてくださって、彼は病から解放されました。

当時、医学は発達しておらず、魔術を持って癒しを行う魔術師もいました。

ペトロは、彼自身に癒しの力があったのではないのです。ペトロは言いました。

34節「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。」

エスにその癒しの力があることを宣言しています。

主イエスは、ペトロの罪のため、アイネアの罪のため、病をその身に負って自ら命をささげ、十字架の上で血を流し、その罪も病も贖い、赦してくださった。

死を打ち破り、アイネアの人生に希望を与えてくださる救い主なのです。

34節 「起きなさい。」「自分で床を整えなさい。」

これは、ベッドの毛布や敷布のしわをのばして、きれいにしなさい、という意味です。

8年も同じ症状が続いたら、治りたいという気力もなくなってしまうでしょう。医者に見放され、どうせ自分はだめだ、一生治らないと思っていた彼の人生が新しくなったのです。今まで人から世話を受けて、自分で床を整える事すらできなかった彼はそこから変えられました。イエスの力が降る時、私たちは抑圧から解放されて新しい力を得るのです。

 癒されたアイネヤを見て、この地方一帯の人々は皆、主に立ち返った、とあります。

 

2、タビタが生き返る

 ヤッファに、タビタという女の弟子がいました。

彼女が病気になって死んでしまったのですが、ヤッファの信徒たちがリダにいるペトロのところにやって来ました。彼らはペトロがアイネアために祈り、病気が癒されたことを聞きつけてきたのです。

タビタは、ギリシャ名で「ドルカス」という名をもっていました。

この婦人がタビタと呼ばれていたのは、彼女が「かもしか」のように賢く、活発な女性であったからです。彼女は善い行いや施しをしていて、皆から慕われていました。

多くの人が彼女から愛を受けていました。

だから、教会の信徒たちはペトロの所に二人の使いをやって、「急いでわたしたちのところへ来てください。」と頼んだのでした。

 ヤッファの弟子たちは、タビタの告別式をしてもらうためにではなく、ある期待をもってペトロを招いたとわかります。

ペトロは人々を外に出して、40節「ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタよ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。」のでした。

 このペトロのやり方は、かつて主イエスが会堂管理ヤイロの娘を生き返らせた時の経過とそっくりなのです(ルカ8:41~56)。

人々を外に出したことも、手を貸して立たせたことも、彼女が生き返ったのを見せたところもよく似ています。しかし、この二つの奇蹟には根本的な点で大きな違いがあります。主イエスはご自分の力で娘を生き返らせたのです。

一方ペトロは、ひざまずいて祈り、主イエスに願ってから「タビタ、起きなさい。」と命じました。

それは、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起き上がりなさい。」と言ったのと同じで、キリストに対する信仰によって癒しが、奇蹟がおこったのです。

「このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。」のです(42節)。

主イエス使徒たちの時代は、聖書がありませんから、このような彼らの伝える真理(教え)とそのしるし(宣教)によって福音が伝えられました。

私たちは聖書を通して真理を知り、宣教の働きをします。

しかし、主は今日も私たちの祈りに答え、みわざを行うことができるお方であります。

癒されても、必ずこの地上の終わりは来ますが、地上での癒しは、主が与えてくださる復活の命の前味なのです。