2023年7月2日の説教要約
「教会の誕生」 中道由子牧師
《すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」 》(使徒言行録2章25~38節)
本日は鵠沼教会創立69周年の礼拝です。
鵠沼教会は単立鵠沼海岸教会として、吉沢幸平牧師によって始まりました。
そして、1947年に 戦時下の牧師職剥奪により、警察に勤務しておられた坂倉敏夫牧師が協力牧師となられました。
1951年1月に、 吉沢牧師引退に伴い、鵠沼海岸教会は解散したのですが、坂倉牧師は、日本ホーリネス教団鵠沼教会として再建され、教会は再出発しました。
1954年7月 坂倉牧師は、警察をお辞めになり、伝道に専従されました。
この年の7月1日が創立記念日です。
使徒言行録にある教会のスタートにおいて、聖霊が注がれ人々が他国の言葉で話し出したとは、福音の土着化を意味しているというのです。
原語は文化の心臓であると言われます。聖霊が注がれることにより、福音はそれぞれの文化、地域にマッチした形で伝達されたのです。
1、福音の核心
聖霊経験をしたペトロは、もう以前の恐れていたペトロではなくなっていました。
漁師であったペトロが、ヨエル書の預言を引用して説き明かしたのです。
当時は会堂に巻物の聖書が置いてあり、手元に聖書はなかったのです。
ヨエル書を暗記していた人が何人いたでしょうか?
聖霊は聖書の言葉を思い出させてくださり、真理を教えてくださいます。
彼は福音の核心にあたることを大胆に説教したのです。
ユダヤ人たちは、イエスがナザレ出身だということしか知りませんでした。
ペトロは「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。」と語ります。
一般の人々の目には、キリストの十字架の最期の姿は、哀れな敗北者の姿と映りました。しかし、ペトロたちは聖霊によって、キリストの真の姿を目の当たりにしたのです。
神は力ある業を不思議としるし、復活を通して、イエスが誰かを明確にされました。
キリストが「十字架にかけられること」と「復活されること」とは、神によって定められていた。その計画をなすために人間の邪悪さが用いられました。
神の救いの計画の中でも、人間の邪悪さがそれを妨げようとしますが、神の計画は変わりません。それを逆に逆手に取るようにして神の計画はまっすぐに進んでいきます。
ペトロは「ダビデは、イエスについてこう言っています」と大胆に旧約聖書から説き明かしています。聖書の預言に基づいたキリストの復活の話は、ユダヤ人を納得させるのに十分でした。ユダヤ人が尊敬しているダビデを引き合いに出して、イエスがキリストであることを立証していきます。
25節「わたしは、いつも目の前に主を見ていた。」
ダビデはキリストを「主」と告白しました。
このことはキリストがダビデ王よりも偉大な存在であるという根拠となります。
27節「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。」この聖句こそ、キリストの復活を預言したものでした。
ダビデは死にましたが、イエスは復活して今も生きておられます。
29節「兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。」
しかし、イエスの墓は空になっていた。
自分たちはその復活の証人なのだ、と断言したのです。
そして34節で、「ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。」と詩篇110篇から引用します。
「主(神)は、わたしの主(キリスト)にお告げになった。」
ここでダビデがキリストを「わが主」と呼んでいるのに、キリストはどうしてダビデの子などであり得ようかと、語っています。
どこの有名な説教者がこれを語るのかと言えば、無学のただの漁師だったペトロなのです。彼はキリストについて目が開かれた。
何が彼らを変えたのか?聖霊が臨んだからです。
聖霊だけが、私たちに主を鮮やかに分からせてくださいます。
そして、その人がキリストの証人となります。
3、誰にでも与えられる約束
「このメシアをあなたがたは十字架にかけて殺したのだ。」とペトロが説教した時、人々はこれを聞いて心打たれて、ペトロと弟子たちに「自分たちはどうしたらよいのですか。」と言った、とあります。
ペトロが彼らに勧めたことは、「悔い改めなさい。」「イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。」「罪を赦していただきなさい。」
ここに大切ないのちの道に至るステップが示してあります。
主イエスとの命の関係に入る道筋です。「そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
特別な人にしか与えられないものではない。ペトロのような弟子にしか与えられないものではない。賜物はギフトですから、神様は皆さんにくださいます。