2020年1月12日の説教要約  「わたしを愛するか」

2020年1月12日の説教要約

                                   「わたしを愛するか」  村岡貞海牧師

 

ヨハネ21:17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

                                                                       <ヨハネによる福音書21:15-19>

 

 

新しい新年が始まりました。イエス様が示してくださった、愛と恵みに満たされることをお祈りします。

イエス・キリストは世の弟子たちを愛し貫き、仕え、イエスの愛による一致と、真理によって導かれて、悪から守られ、真理によって聖められることを祈っておられました。

20章で恐れる弟子たちの前に、復活のイエスが現れ平安あれとつげられるので、弟子たちは喜びます。21章でイエスが再び現れ、漁をしても何も取れない弟子たちに右に網を投げようと声をかけて多くの魚が取れる。声をかけるイエスに気が付いたペテロが服を来て泳ぎイエスの前に行くが、既に食事が用意され、弟子たちに分け与えてくださいます。

今日の箇所は、ペテロとイエスの会話です。

 

 1、わたしを愛するか。

癒しと励ましの言葉、15節16節17節は同じ言葉を繰り返している。親しくペテロの名前を呼ぶ、わたしを愛するかと聞くとわたしが愛することは主がご存知ですと言うと、わたしの羊を飼いなさい、と三回も同じく話されています。

17章で質問されていたならばペテロは自信をもって、言うでしょう。わたしが愛しています。しかし、今は主がご存知ですと言うのです。と答えます。何が起こったのでしょうか。   18章を通してその原因を知ることができます。ペテロはイエスを愛していて、自分にも自信がありました。イエスを愛し助け守っていたと思ったのでしょう。しかし、18章で知らず、知らずイエスを否認し、否定し、わたしは違うと逃げ去って行きました。イエスの前で、自信を無くし、心痛み、悲しんでいたのです。イエスに従う弟子の資格はないと思っていたのでしょう。愛する者を守れない、自分の無力さの前で、心砕かれ今は謙虚に言えるのです。 「主よ、あなたがご存知です。死にて甦られた神の子、イエス・キリストがご存知です。」と告白しています。

モーセもそうでした。40歳の若さと王としての権力とお金と能力があった時に、自分はイスラエル民族を救うことができると思っていました。しかし、人を殺し逃げる身になり、心が砕かれました。

80歳になり人の羊を世話する羊飼いで、力も衰え、持っているのは一本の杖でした。神様の声を聞いては、「ああ、主よ、どうぞ、誰かほかの人を見つけてお遣わしください」と言います。「あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うが良い。」

モーセは神様を信じる信仰によって、奇跡は行われました。

神様の御力によって、ペテロは癒され励まされ立ち上がらせてもらっているのです。

ローマ03:23人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 03:24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 03:25神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。 03:26このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。 03:27では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。 03:28なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

ペテロもモーセも自分の無力さに気が付きました。神様の恵みと愛が人を救い癒し回復させることを知りました。

エスはわたしたちを救うことができる。神様の独り子救い主です。

 

2、わたしの羊を飼いなさい。

牧者なるイエスを知りました。挫けて傷むペテロをも癒し支える良き牧者なるイエスを知りました。

謙虚に遜るペテロにイエスは「わたしの羊を飼いなさい」と使命を与えてくださり、人々の前で拒み、否んだペテロを、人々の前で神様の働き人として、回復させてくださいました。

良き牧者の姿が詩篇23篇に歌われています。

エスが十字架で命を投げ捨てるまで愛した一人一人である。イエスの愛によって、謙虚に仕えましょう。

 

3、わたしに従いなさい。

ピリピ01:20そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。

エペソ06:17また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 06:18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 06:19また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。

どんな時でも祈りを持って従い続けた弟子たちのように、イエスの与える神の武具を身につけて、従い行きましょう。

ヨハネ21:18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 21:19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

わたしたちの行く先は、主の働きの場所、主の栄光を現す場所であることを祈りつつ、従うことを祈ります。