2019年7月28日の説教要約 「わたしにつながっていなさい。」

2019728日の説教要約

「わたしにつながっていなさい。」   村岡貞海牧師

ヨハネによる福音書1515節>

 

今日の御言葉の中に繰り返し書かれている言葉がありました。

それは「わたしにつながっていなさい。」です。

「繋がる」とは、一緒に、継続して、関係を持って、結びつくなどの意味を持っています。

私は暖かさ、支え、励まし、愛、平安、喜びの思いがしました。

反対の言葉も見てみると、繋がりを持たない、関係ない、何の影響も与えない、縁がない、関わらないなどがありました。

 

エスは弟子たちとの関係を、愛による命のつながりの関係だと話しています。 

1、真のぶどうの木なるイエス様につながる。

ぶどうの木の枝は見栄えもわるく、材木にも使えず、飾りとしても、綺麗な花を咲かせることもないそうです。唯一の目的は、実を結ぶことだけです。エゼキエル15章にも似たことが書かれています。

豊かな実を結ぶためにぶどうの木は存在します。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」

エスはご自分を紹介しています。ヨハネによる福音書では「私は~です」ギリシャ語で「エゴ~エイミ」と言う表現を通して、イエスを紹介しています。

それは全部で7つあります。命のパン、世の光、羊の門、良き羊飼い、道でありなど。

クリスチャンはどんな人でしょうか。一言で言えば、イエス・キリストにつながっている人と言えると思います。

エスはどんな方でしょうか。

1431節で「わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」 15:01「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」

14章と15章の間から、イエス様の決意と従順と信頼を見ることができます。

エス様は父なる神様を従順に従う方です。十字架の道を自ら受け入れて、弟子たちに神様の御言葉に従うことの大切さを教えています。

母親は子供が与えられて、産みの苦しみがありますが、新しい命の為に絶え忍び、喜びが与えられます。それはヨハネ16章に書かれています。

エス様は人々にご自分の命を与え、何の値もなく愛を注いでくださいます。イエスにつながっている時に、このように命を与える喜びを知るようになります。イエスとつながっていなさい、その戒めに従ったことで、イエス・キリストの愛が注がれて行きます。

アブラハムはイサクを捧げるときに、信仰によって義とされました。私たちは神様の御言葉に従う時、真実な主が傍らに立ってくださることを体験します。真実な神を体験して、感謝と喜びの心が与えられます。まことのぶどうの木なるイエスにつながっていなさい。

 

2、豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

私は花壇を手入れするために出かける時は、常に手に鋏を持ちます。

手入れと訓練は厳しく、大変なことにも見えますが、いかがでしょうか

腕前のよい農夫は細やかな配慮を持って、これからこの木の枝が高価で美味しく、みずみずしい、良い実を結ばせるために、手入れをします。そのことで、悪い枝を取り除くことで他の枝が生きるようになります。害虫が付かないように、日当たりを良くして、風通しを良くすることは欠かせない、大切な手入れです。

それを私たちに適用すると、わたしたちの中にある不必要な、不平不満、怒り、妬みなどから自由になる大切な手入れでもあるのです。わたしたちの悪い性格、悪い習慣は手入れされます。

この時に自分の意地を張らずに、感謝して、受け入れる時は大きな祝福となることにわたしは気が付きました。農夫は、必要な部分を残し育て、豊かな実を結ばせます。

これはわたしたちにとって痛いけれども大切な教えです。

 

3、豊かな実を結ぶ人生。

中国宣教師の父とばれるハドソン・テーラーの話です。

宣教の心に燃えて、自分の熱心で神様を愛して、力を尽くしていましたが、失敗と挫折によって立ち直れず苦しんでいたそうです。祈りと御言葉を読んでも、断食もしますが、焦るばかりだったそうです。

 妹からの手紙に書いてあった、ヨハネによる福音書15章の言葉を通して、自分が実を結ばせるのではなく、イエスの内につながっていれば実を結ばせてくださることに気が付いたそうです。

 命を注いでくださるイエスにつながっている時に、実を結びます。

聖書は、そのような実を、次のように表現しています。「御霊(みたま)の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ52223)。

これは人の力や努力でできる実ではありません。

神に背き、わがままで、自己中心的でしかない、罪深い私たちの為に、御子を遣わして、十字架につけてまで私たちの罪を解決してくださった神の愛。

これこそ、私たちの人生を、単なる生存という生き方から、本当の意味で生きると言う生活へと生まれ変わらせる、本物の愛なのです。