2019年8月4日の説教要約 「神のために親身に生きる」

201984日の説教要約

   「神のために親身に生きる」   中道由子牧師

≪テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。≫ (フィリピの信徒への手紙2章19~30節

 

今日は、投獄中のパウロがフィリピの教会を心配して送り出したテモテと、反対にフィリピ教会がパウロへの援助のために遣わしたエパフロディトの2人から学びたいと思います。

 

1、          自らのことよりも

 聖書辞典を調べて見ますと、テモテがパウロの同労者となったのは、20歳前後だったとあります。テモテの出身地は、リストラでした。

リストラは第一次伝道旅行で訪れた場所であります。トルコの真ん中の、南よりの位置であります。テモテの母はユダヤ人であり、信者とあります。信者とはキリスト教徒を意味する言葉です。お母さんの名前が、2テモテに載っております。

テモテへの手紙二15節「そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起しています。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケとに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」

そこには、おばあさんの名前も載っております。またお父さんは、ギリシャ人であった。彼はユダヤ教に回心していない人でありました。だから息子に割礼を施していなかったのです。エウニケは、そのようなユダヤ教を理解しない人と結婚したために、ユダヤ人社会から遠ざかることになったようです。しかし、父親は、早くに亡くなっていました。

そこから次のように、テモテの救いについて理解できるのです。

結婚のためにエウニケはユダヤ教から遠ざかりました。しかしその母ロイスから、聖書をしっかり教えられてきたエウニケは、息子テモテにも旧約聖書の教えを家でしっかり教え込んでいたのです。そのような時、リストラ伝道にやってきたパウロと出会った。福音のメッセージを聞き、テモテも一緒であったと思われます。

テモテは母親から、家で聖書を教えてもらっていた、それがテモテにとって大きな信仰の基礎となったのです。

そしてリストラでパウロと出会い、メッセージを聞いて、テモテはイエス様を信じたのです。それが18歳ごろであると思われるのです。

パウロは、手紙の中で何度もテモテのことを「わたしの子」と呼んでいます。勿論これは、弟子を表す言葉だと思います。

テモテはパウロによって導かれて2年たって、20歳の頃、パウロの伝道旅行に参加したのです。それ以来テモテは、いつもパウロと行動を共にし、パウロの弟子として大きな信頼を得ていったのです。

私はテモテの背景を調べ、テモテの救いについて考えてみました。

テモテには、パウロのような劇的な体験がなかった。お母さんから家で聖書を教えられてきて、御言葉に養われて救われたというのです。しかし、救いの体験がどうであったか以上に大切な言葉だと思ったのは「子」という言葉です。

「子」、それは親子の関係を表す言葉です。

母エウニケと、その子テモテ。また信仰の父パウロと、その子テモテ。テモテの救いの体験が、いつどのようなものであったかは分かりません。

しかしそれ以上に大切な言葉は、神様との親子の関係を持つこと、保つことです。

また自分を導き、影響を与えてくれた信仰の母や父との良い関係を保つことです。

それがパウロであれば「わたしの子テモテ」であり、エウニケであれば「母に宿った信仰が、あなたにも宿っている」という言葉の意味であります。テモテはそのように、神様との関係を大切にし、自分を導いてくれた人との関係を大切にしていた。それが、健全な救いの中に留まることであります。

フィリピの信徒への手紙2章20節に、「親身」と言う言葉があります。

テモテは気が弱かったのかも知れません。しかしそれは「優しさ」の裏返しだったのです。本当に親が子どもを思う、心配性の心だというのです。テモテは、心配のしすぎで体を壊すような優しい人だったのです。

21節の「求める」とは、インタレストという英語が使われています。アメリカの銀行に行きますと、インタレスト何%とあります。インタレストには、興味、関心という意味だけでなく、利子という意味があるのです。自分の利益に関係あることです。パウロは、多くの人が、自分の関心しか、自分の興味しか向いていない。本当にイエス様のことに関心の中心が向いている人は、テモテだ。彼は、いつもイエス様のことを考えていました。

そして22節の「練達」についてですが、新改訳聖書では、「立派な働きぶり」「適合性」とあります。もともと練達とは試練を経て合格したことを意味します。テモテは、神様の働きをする中で数々の試練を乗り越えてきたのだ。言葉を換えると、試練に合格して、前よりももっとタフになったのだ。

いかがでしょうか。私たちもまた、主から優しい心を与えていただきたいと思います。私たちの関心の中心が、自分であってはならない。イエス様でなければならないと思います。そして数々の試練を乗り越えて、神様から「合格」と言われる者でありたいのです。

 

2、          教会の底辺に立つ

次に紹介したい人物はフィリピ教会のエパフロデトです。彼が教会の代表としてローマにいるパウロを訪問したのです。その時、フィリピ教会からの献金も携えていったのです。

フィリピの信徒への手紙2章:25~27節で、エパフロデトは訪問した先で病気になり、パウロに迷惑をかけたのです。そしてエパフロデトはたいへん心苦しく思った。平たく言うと落ち込んだのであります。ある注解書では、そのためにエパフロデトはホームシックに陥ったとも書いてありました。

なんともふがいない情けない姿です。ここでエパフロデトは、うまく出来なかったことで落ち込んでいる人物として紹介されています。

 パウロはエパフロデトを温かく受け止め、慰め、励まし、よく頑張ってくれたとねぎらっています。27節に彼は瀕死の重病にかかった、でも元気になったから、彼を敬い、ねぎらってくれと、フィリピ教会に勧めているのです。

 ある神学生が牧師に質問しました。「先生、教会の底辺はどこですか?」「そのようなことは教えられてわかるものではない」少々厳しい答えですが、そのぐらい「教会の底辺に立つ」ということを大切にしておられたからだという事がわかります。

 私は、この箇所に登場する二人の弟子もまた「教会の底辺」に喜んで立つ人々だったと思います。教会の底辺について、これですといわないほうが良いかもしれません。日本の言葉で言えば、「縁の下の力持ち」と同じで、縁の下で、どこですか?何ですか?といちいち説明しませんね。それと同じです。

 でも、あえてその一つを申します。がここで、エパフロデトが託された事も、現代の平たい言葉で言えば「パシリ」です。使い走りの「パシリ」です。「献金パウロ先生に届けてくれたまえ。」そういわれて、エパフロデトは、お届けしたのです。

教会の底辺に立てる人だけが、教会を本当に立て上げてゆける。使い走りでも、何でも喜んで出来るエパフロデトに、パウロはこう言っています。

29節「こうした人々は尊重せねばならない。」

 私たちもまた、練達を身につけ、そしてどんなことにも喜んでお仕えする者になりたいと思います。