2021年8月29日の説経要約  「そこから離れないようにしなさい」

2021年8月29日の説経要約

                       「そこから離れないようにしなさい」  照内幸代牧師

                                                    ≪テモテの手紙一 4章11節~16節≫

 

テモテがこのとき胃が痛くなるような思いをしていた理由というのは、幾つかの要因が挙げられています。本日の箇所はその中でも、テモテが「若かった」という一つの問題が挙げられています(V12)。では、テモテが若くて本当に監督者として未熟であったのかというと、決してそうとは言えません。テモテは若くしてパウロに弟子入りをしており、おそらくこの時はパウロに弟子入りしてから15年は経っていたと思われます。信仰歴、それもパウロのもとで学んだ人間で、15年も信仰生活があれば、それはもう立派に訓練を積んだ牧会者だったと言えると思います。テモテが若いからと言って非難されるいわれや理由はなく、エペソ教会の監督者として彼が選ばれたのは相応しい任命であったと言えます。

ですからパウロもテモテに対して、「あなたは年が若いからといって、誰からも軽んじられてはなりません」と言っているわけですが、続くアドバイスは大変興味深いものがあります。それは、「人々の模範となりなさい」ということなのですV12。あなたは信仰歴も長いし、みんなから選ばれてその職についたのだから、毅然とした態度でいなさいとか、そういう人たちを戒めなさいとかではなくて、自分自身が、その人たちの前で立派な信仰者であるように、「言葉、振る舞い、愛、信仰、純潔の点で模範となりなさい」と言っているのです。バークレーという神学者はこの点について面白いことを言っています。「論争や言い訳は批判を封じることができない。それができるのは行動である」。ただ自分自身の行動によって、自分が神の御前に信仰者であるということを示すことによって、そのような批判に対処しなさいと言います。

そして二つめのパウロのアドバイスが、礼拝を守りなさいということ、そしてそこから離れないようにしなさいということでした。V13「私が行く時まで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」とありますが、これは当時の礼拝のことを言っているのです。礼拝に集中するという務めは、クリスチャンにとってクリスチャンであるために大切な要素ではないでしょうか。私たちは今一度、私たちに無くてはならない、本当に必要なものに目を向けたいと思います。それは礼拝です。私たちは、どんな条件下で、どのようなかたちであったとしても、この神様を礼拝するということをやめないでいましょう。

様々な問題に対処していたテモテに対し、パウロは一つ目に自分自身の振る舞いにおいて、他者の模範となることを勧め、二つ目に礼拝をし続けること、そこから離れないでいることを勧めました。外から来る問題に対して、自分自身と向き合うこと、そして神を見上げることを勧めたというのは、感慨深いものがあるなと思います。やはり私たちクリスチャンにとっての戦いというのは、相手と組み合うものではなく、自分自身を見つめ、神を見つめるところにあるのかもしれません。私たちもコロナ禍にあって、今がまさに戦いでありますが、自分と神とを見ることによって、この戦いに勝利しましょう。神様が勝利を取られる日は必ず来ます。そのときに、神様と離れないでいたものが、約束の地に入るのです。私たちは失望しないで礼拝を守り、約束の地に入らせていただきましょう。