2018年9月30日の説教要約 「真理はあなたがたを自由にする」

2018年9月30日の説教要約
「真理はあなたがたを自由にする」  村岡貞海牧師
ヨハネ8:31-36>


今日の御言葉は、イエス様が私達にまず要求されるのは、イエス様の御言葉のうちにとどまることです。
エスのうわさを聞いて来たユダヤの人たちであったかもしれません。そして彼らは、イエスの御言葉に耳を傾け聞きました。その人々にイエスは言われました。わたしの言葉があなたがたのうちにとどまっておるならば。と言われました。
とどまると言うのは何でしょうか。移動せずその場所にいる。ある範囲を出ない。密着されている、つながっている関係を言います。
ヨハネ15:4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
つながっているとき、とどまっている親密な関係を通して実を結ぶのです。一緒に行ない、一緒に歩むことです。
ぶどうの木と枝は、どのような関係にあるべきでしょうか。親密につながることで、とどまるようになり、守り守られるようになり、栄養分が行き届いて、従うことになります。絶えず耳を傾けて、追い求めて生きる。本当に信じて生きるのです。
枝がぶどうの木につながっているとき、ぶどうの実を結びます。
私たちは、何かを信じて生きていくとき、そのように行っているのです。
たとえば、お金を信じるならば、お金儲けします。力を信じるならば力を強めます。大好きなものがあれば、常にそれだけを見つめるようになり、愛して信じてつながって行きます。音楽が好きならば、自然とコンサートに行くように、サッカーが好きなら自然にサッカーをすることになるようになります。
だからとどまっていることの意味を、イエス様と私達の関係で、具体的に表してくださっています。イエス様の言葉にとどまっていれば、実を結んでゆく3つのことを、イエスの言葉から学びます。

1、御言葉にとどまる人に与えられる恵みは、ほんとうにイエス様の弟子になる。
31節 ほんとうにわたしの弟子ということは、イエス様の御言葉のうちにとどまっていることであり従っていることだと思います。弟子となるために、訓練を積み、トレーニングをすることが必要だと言われます。しかし、頑張って訓練を受けることは、一歩間違うと高慢になったり、習おうとするより、教えようとします。
エスの弟子になることは訓練するものというよりは、御言葉そのものの力が働くことです。それを裏付ける言葉があります。エレミヤ書23:29 「主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。」
御言葉が火のように私を燃やし、鉄鎚のように私を打ち砕く。私たちのうちがわの自分と闘って、私のすべての考えと私のすべての意志が従う(砕かれる)とき、ほんとうの弟子になります。
このように、常に言葉に従い、御言葉にとどまる者がほんとうの弟子であります。

2、言葉にとどまる者に与えられる恵みは、真理を知るようになる。
真理は生きておられる神であり、神の言葉が真理です。つまり、神を知って、神の子イエスを知ることが真理を知ることです。32節
このみ言葉は、私たちの最も根本的な問題が何なのかを示しています。そして私たちの目指すべき、進むべき、目標が何かを示してくれる重要な言葉です。
表面的に見れば、簡単に真理を知れば、自由が与えられると聞こえます。
それを違う言い方をすれば、人々は真理を知らなくて束縛された状態にいることを前提とした言葉です。
 イエス様の言葉は、私たちの中の真理がないことであると挑戦しておられます。
この言葉が終わると33節で、ユダヤ人たちは、すぐに強く反発しました。自分たちは神から与えられた真理、すなわち、律法を守ってきた民であり、だれの奴隷でもなく、自由人だと誇っていたからです。
真理は、神自身です。イエス・キリストは、自分自身と神様を同一視する驚くべき宣言をされました。
つまり、イエス様は自分の言葉が神の言葉と同じ真理の言葉であり、さらに、自分が真理であることを明らかにされています。
したがって、真理を知ってという言葉は、イエス自身が神様であることを、ご自分の御言葉が神様の御言葉と同じ権威ある御言葉として受けいれるという意味なのです。

3、御言葉にとどまる者に与えられる恵みは、イエスのうちで本当の自由が与えられる。
エスの言葉を神の言葉として受け入れ、イエスを神様と信じる者には自由を与えるということです。
異邦人とユダヤ人は、自らが真理を知っている自由人だと思っていました。しかし、イエスは、私たちはすべての罪と死の奴隷だと話しています。34節
エス様は私たちが皆、罪と死に縛られて生きている存在であると知っておられました。だから今、イエス様を神様と知り、イエスの言葉を神の言葉として受け入れ、罪から解放されるのです。イエス様の御言葉を握って依り頼むことです。
エスと共に歩み、イエス様のうちにとどまって、従順に従う人には、神様の力によって、自由を与えて下さると約束されています。
私たちは、今は罪から死からイエス・キリストを通して自由が与えられました。
真理は決して罪と死の僕として、罪と死の体に私たちを引き渡しません。
罪を慕うのは、罪の僕となることであります。
真理を慕うのは、真理によって罪と死から自由になる道です。
それは、人がイエス様の御言葉のうちにとどまるか否かによるのです。
エスの言葉の中にとどまり、御言葉を信じ従うことで、直接的に自由になることを、聞いて、行い、とどまる、具体的な私たちの日々で味わい知るようになることです。