1月30日の説教要約 「聞くに早く、語るに遅く」 

1月30日の説教要約

       「聞くに早く、語るに遅く」   照内幸代牧師

≪私の愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くに早く、話すに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。≫

                 (ヤコブの手紙 1章19節)

 

「聞くのに早い」という言葉を聞いたときの第一印象としては、それは「聞き上手であること」だろうと思うのではないでしょうか。たとえば聖書の中の言葉でいうと、ローマの10:17には、「信仰は聞くことから始まる」という言葉があります。また、詩篇46:10には、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」という御言葉があります。しかし一方で、ヤコブが言いたかったことは、それだけには留まらないのだということにもまた気付かされるのです。「聞くに早い」ということ、それはただ聞いて終わらせるのではなく、実際の自分の行動に反映されるべきなのだというのが彼の主張です。

その理由を彼は三つ言及しています。

第一に、22節にあるように、聞くだけで行わないなら、それは自分を欺いていることなのだということです。二つ目に、聞いても行わない人は、空虚でおぼろげであるということを言っています(23-24節)。また三つ目に、ただ聞くだけで行わないことは、信仰心があついのとは違うということを、ヤコブははっきりと言っています(26-27節)。

では主イエス様はどうされたでしょうか。主イエス様も聞いて行う方であったということが福音書に書いてあります。ヨハネ福音書5:30に、こんなイエス様の言葉があります。「わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いた通りにさばきます。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方の御心を求めるからです」。そして、姦淫の女が身元に連れて来られた時もその人を許し、安息日であっても人々をお癒しになられました。主イエス様は神様の御言葉にいつも聞いていたので、神様がまことに求めておられる愛をいつも行っていらっしゃったのです。

私たちが聞いて行う人になる秘訣は、やはりイエス様にならうことしかないということが分かります。イエス様はいつも神様の御心に聞きしたがっていたので、神様の御心を行うことができていました。主イエス様にならい、その姿に似せていただくならば、御言葉を行うことが可能になるのだということです。

ヤコブも25節でこのように言います。御言葉を行う秘訣は、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめる人だとあります。そのような人になるならば、聞いて忘れたり、聞くだけで実行しない人にはならないと言っています。自由をもたらす完全な律法とは何でしょうか。罪の鎖から私たちを自由にしてくださったイエス様に他なりません。イエス様を一心に見つめ、そこから離れないでいるならば、私たちはイエス様の似姿をずっと見ているということになり、イエス様の行いをすることができるようになるのです。