2022年2月6日の説教要約(オンライン) 「無から有を生み出す神」

2022年2月6日の説教要約(オンライン)

      「無から有を生み出す神」  中道善次牧師

                                                           ≪創世記1章1節≫

 

今日のヘブライ語は、バーラーとアサーです。両方とも「造る」という意味でございますが、創世記1章で、神が天と地を作られたときには、注意深い言葉遣いの違いがあります。

創世記1:1で「始めに神は天と地を創造された」では、バーラーというヘブライ語が使われており、日本語は「創造された」となっています。

創世記1:7で、「神は大空を造り」では、アサーというヘブライ語が使われており、日本語は「造り」となっています。

 

1、「創造された」と「造った」

バーラーには二つの意味があります。

a.完全な労力の欠如:たやすく、楽々と行う。言葉や意思によって造る。

b.無から有の創造であります。どこにおいても決して素材と結びついていない「造る」です。

これに対してアサーは、ある素材、材料を用いて造るのであります。

そこには、良い素材から良いものが造り出されることがあります。同時に、人間や被造物が、神が与えてくださった良い素材を間違って用いることで、悪いものを造り出すことがあります。

聖書協会共同聖書では、この二つの言葉を厳密に区別して訳しているのです。

ヘブライ語の「バーラー」を、「創造された」と訳します。創世記1章では三つの節に出てきます。

創 1:1 初めに神は天と地を創造された

創 1:21 神は大きな海の怪獣を創造された。水に群がりうごめくあらゆる生き物をそれぞれの種類に従って、また翼のあるあらゆる鳥をそれぞれの種類に従って創造された。

創 1:27 神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し、男と女とに創造された

1章27節では、バーラーが三回使われています。

ヘブライ語のアサーは、創世記1章に5カ所出てきます。そのうちの三カ所を紹介します。

創 1:7  神は大空を造り

創 1:16 神は二つの大きな光るものを造られた。昼を治める大きな光るものと、夜を治める小さな光るものである。また星を造られた。

創 1:25 神は地の獣をそれぞれの種類に従って、家畜をそれぞれの種類に従って、地に這うあらゆるものをそれぞれの種類に従って造られた。

ここを見ると、興味深いことが分かります。

神は、天を創造された「天」という素材を用いて、大空を造られたのです。

神は、創造された「光」を素材として、太陽や月や星を造られたのです。

神は、海の魚、空の鳥を創造されました。しかし続いて生み出された地の獣や這うものは「造られた」のであります。

少し脱線するかもしれませんが、この言葉遣いの違いは、進化論に対する、聖書自身の弁明であると思います。神は無から有を創造されると同時に、素材を用いて、造られたのです。

進化論では、バーラーとアサーを聖書が使い分けていることを知らないのではと思います。

魚や鳥という素材から、這うもの、獣、家畜が造られたのです。

そして一番大切な箇所が、人間の創造であります。

人間は、サルから進化したのではありません。そのことを強調するかのように、聖書は人間が造られたときに、無から有の創造である「バーラー」を三回も使っているのです。

人間は、神の意志で、神の言葉で、何もないところから造り出されたのです。

 

 

2、ダビデの祈り

旧約聖書に出てくる偉大な王ダビデは、天地創造の神の御業をよく知っていました。

彼は神に喜ばれる、御心に適った王でした。しかし彼が主の御心に適わなかったことが一度あります。それが自分の部下の妻バト・シェバを奪い、夫で、忠実な部下であるウリヤを殺したことです。

彼が罪を犯し、悔い改めたときに祈った祈りがあります。それが詩篇51編です。

詩 51:12 神よ、私のために清い心を造り(バーラー)、私の内に新しく確かな霊を授けてください。

ここの日本語は、「造り」となっていますが、バーラーというヘブライ語が使われているのです。

ダビデは知っていたのです。私の心には、良い素材がないことを。それが7節です。

詩 51:7 私は過ちの内に生まれ、母は罪の内に私を身ごもりました。

私の中には罪という素材しかないのです。だから、無から有を生み出すように、全く新しく造られない限り、私は清くならないのです。自分の心を材料として、それに手を加えて、清くしようとしても無理なのです。新しく私の心を創造してください。そう祈ったのです。

ダビデが祈った祈りを私たちの祈りにしたいと思います。

その延長線上にある新約聖書の言葉が、コリントの信徒への手紙二5章17節であります。

コリ2 5:17 だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。

2コリ5:17の「新しく造られた者」というギリシャ語を調べました。ヘブライ語との関連を調べると、バーラーを名詞にした言葉であるのです。

私たちがイエス様を信じてクリスチャンになるということは、無から有が生み出されたように、全く新しい存在になることです。

今日の礼拝で、新聖歌21番の4節を賛美しました。

♪天地造りし神は、人をも造りかえて、正しくきよきたましい、もつ身とならしめたもう♪

天と地とを作り出してくださった神様が、この私をも造りかえてくださったことを賛美しましょう。

 

 

3、良い実を結ぶように造られた

第三ポイントでは、アサーが使われている別の聖書の箇所からメッセージを聞き取りたいのです。

それが詩編1:3であります。

詩 1:3 その人は流れのほとりに植えられた木のよう。時に適って実を結び、葉も枯れることがない。その行い(アサー)はすべて栄える。

詩編1:3の実を結ぶは、アサーではありませんが、エゼキエル17:23では「実を結び」の結びがアサーという言葉が使われています。

ヨハネ15章では、イエス様がぶどうの木であり、私たちはその枝であるというたとえがあります。

そこでは、イエス様につながる者が実を結ぶとあります。

ヨハ 15:4 私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが出来ないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことが出来ない。

エフェソの信徒への手紙を見ると、私たちが結ぶ実は、「良い行い」であることが分かります。

エフェ 2:10 私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。

私たちは善い行いをしなければ、救われないのではありません。

エス様の十字架を信じるだけで救われます。

しかし救われたあとは、あたかも、良い木が良い実を結ぶように、善い行いが出来るように造りかえられるのです。