2020年2月9日の説教要約  「あなたも神に造られた」

2020年2月9日の説教要約

                                「あなたも神に造られた」  中道由子牧師

 

≪神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。≫

(創世記1章26~2章7節)

 

1、神のかたちに造られた

神のかたちと言っても、神様が私たちのようなこんな体を持っているという意味ではありません。

神は、体をお持ちにならない方です。イエス様は、「神は霊である。」と言われましたが、神の体に似ているのではなくて、神の霊性に似ているのです。どういうことかと言いますと、神は尊厳を持っておられます。その尊厳を私たち人間にお与えになり、愛の対象として人間を造られました。他の生き物は、神を求め、神に祈るという神との愛の関係の対象ではありません。猿が神に祈るでしょうか?鳥や魚が神に祈るでしょうか?しかし、人間だけは神様と繋がっている、命の関係があるのです。

神は創造主です。どのようなかたちでも、人間を造ることができた。それを、ご自分に似た存在として人間を造られたのです。

 どうしてご自分に似た存在に造ったか、神様のご目的があります。

一つには人間が神の御心を知って、それを行うためではなかったでしょうか?

人間はきわめて小さな存在です。でも一方では、「人間の命は、地球よりも尊い」と言われます。それは神の御心を行う使命を持つ命だからです。

人間の命と他の動植物の命との差は、そこにあると思うのです。

聖書は明らかに、28節「地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」と、人間の使命を書き示しています。神の意志に従って従わせることが、本来の人間の使命でした。象やライオンなどの猛獣を、体力から言えば、人間は治められないのに、「治めよ」と神は命令されました。体力はなくても、人間には神に似た愛がある、知恵が与えられていたからです。

 もう一つは、神と交わりを持つためです。神様は三位一体のお方で、父なる神(天地を造られたお方です)、子なる神(イエス様のことです)、そして聖霊なる神として、完全なる交わりを持っておられました。その神様が、この私たちを愛の対象として存在させたかったのです。神様は私たちと交わりをもちたかったのです。人間だけが、神との通じるテレパシーのようなものを持っている存在なのです。

わたしたちは、なぜ祈るのでしょうか?私たちの内にある霊が、神と繋がっていたいと願っているからです。神様は、私たちが祈りに来ること、交わりに来ることを待っていてくださいます。

多くの場合神様の愛は、報われない、片思いです。それほど私たちを求めておられるのです。 

 

2、神の息によって生きた 

神はどのようにして、人間を造られたのでしょうか?

地の塵で造られた。7節「主なる神は、土(アダマ)と塵で人(アダム)を形づくり」とあります。土と人はつながりがあると思いませんか?土をいじり、農業をし、草花を育てると不思議に心が癒されるということがありますね。土は私たちがそれによって造られ、還っていくところだからでしょう。

神は、人間にすべての素晴らしい特性を与えられました。でも、足りないものがありました。

そこで、神は、命の息を人間に吹き込まれ、そこで塵は、生きた人間となったのです。たちまち、泥が話し、食べ、歌い、絵を描き、文字を書き、楽器を造り、また演奏し、恋をし、笑い、遊び、飛び、泳ぎ、考え、創造し、発明し、夢み、礼拝し、祈り、賛美し・・・神が、人間に吹き込んだ息は、なんと素晴らしい息だったでしょうか!神が息を吹き込まれ、人は本当に生きる者になったのです。

神の息とは、神様がお与えになった魂そのものではないでしょうか。

人が息を引き取るとは、この神が吹き込まれた息がなくなる。その魂は、肉体から抜け出した瞬間、永遠の命へと導かれていきます。神の元にいっている状態です。

肉体は、土の塵に戻ります。塵は塵に、灰は灰に戻されます。

けれど、やがて復活の時に、その塵灰を用いて、神は完全なる朽ちない復活の体をくださるのです・

 私たちがこの人生を生きているのは、神の息を吹き込まれているからです。

私たちは土の器だと、コリントの信徒への手紙二4章7節に書かれています。

「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」

 

3、神の傑作品として造られた

神は、一人一人を同じ神のかたちではなく、ロボットのようにではなく、一人一人を違う存在として造られたのです。他の人とは違うということです。「たいせつなきみ」の絵本のパンチネロのようにです。

 ずいぶん前ですが、NHKで「生命・40億年はるかな旅」という番組を10回くらいやっていて、そのビデオを借りて見たことがあります。

スペースシャトルに乗った毛利さんが解説しておられました。

その中で非常に感銘を受けたのが、私たちが持っている、いえ、与えられている「個性」ということでした。この番組の中で「性」が取り扱われた時に話された内容でした。

性とは、雄と雌との出会いです。人類の生存に不可欠なものです。

2章18節から神は最初の人間アダムのために一人の女性エバを備えられる。アダムにはたくさんの友達のような動物がいましたが、彼の心を本当に満たしてくれる存在がいなかった。彼に合った助ける者とエバのことが書かれていますが、助け手というより、パートナー、自分の一部のような存在です。

神はアダムを眠らせ、彼のあばら骨から女を造ったというのです。男の足の骨から造ったならば、男は女を支配するだけです。男の頭の骨から造ったならば、女は男の上に立ったかもしれません。女は男のあばら骨から造られた。一番心臓に近いところです。大切な部分であり、心が通うところから造られた、これがパートナーが造られた由縁です。

 この解説者の毛利さんは、「ロケットのなかでも、女性が一人いると良い仕事ができる。」と言っていました。つまり、違うもの同志の結び付きが良い。

その違うもの同志が結びつくことにより、新しい一個の人間が生まれてくるのです。

 「遺伝子の配列」をDNAと言います。このDNAの選択によって個性が生まれてくるわけです。

私たちは、父親と母親からの遺伝子をもらっています。それぞれ十万もの遺伝子があるそうです。そして、父親か、母親の遺伝子のどちらか一つを受け継ぎます。

しかし、父親と母親の遺伝子の93パーセントは同じだと言うのです。そうですね。人間は手も足もふたつでこのような形をしており、目も二つ、耳も二つ、だいたいが同じです。

残りの7パーセントは同じではない。この7パーセントで個性が生まれるというのです

目の色、髪の濃さ、血液型、性格、この違いが個性を生み出します。

そしてそのDNAは、7000個あると言われています。

組み合わせの確率は、2の7000乗です。想像できますか?

2の2乗は4、2の3乗は8、2の4乗は16、2の5乗は32、2の10乗は1024。

2の7000乗は無限。 世界中の砂粒の数より多い、無限なのです。

この無限の確率から、今の私が存在しているのです。

詩篇139篇17、18節「あなたの御計らいはわたしにとっていかに貴いことか。

神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思ってもわたしはなお、あなたの中にいる。」

つまり、すべての生き物は世界でたった一つしかないのです。

 神様は私たちを一人一人特別に手を加え、心をこめて造ってくださいました。

私たちはそのように神様が心をこめて造ってくださった自分を好きでしょうか。

神様は私たちをを特別な存在として造り、特別に愛しておられます。