2022年10月9日の説教要約
「バルナバとサウロ」 中道善次牧師
≪しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところにへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。≫
(使徒言行録 9:27)
CGNTV(24時間福音放送を届けるキリスト教の番組)の番組の中に若者が企画する「キリストーク」があります。二人の青年が、キリスト教に関連がある話題を取り上げ、語り合うトーク番組です。その番組で取り上げられた話題の一つが「あなたが聖書の中で好きな人物は誰?」でした。
「キリストーク」では、130名の牧師に「あなたが一番好きな聖書の人物は?」を聞いたのです。
第四位は、パウロとバルナバが同票です。パウロは福音を異邦人世界に伝えたことが尊敬できる大きな理由です。もう一人のバルナバは、トークする二人の青年(信徒)にとっては「誰?」という存在です。
バルナバが好きというのは、牧師ならではの答えです。
今日は、バルナバについて、特にサウロ(後のパウロ)との関係について学びたいと思います。
①励ましの言葉を語る
バルナバという名前は、バル(~の子)+ナビで、直訳では「預言の子」となります。
ナビとはヘブライ語で、旧約聖書で予言を語る人(ナビ-)のことであります。
バルナバがどういうスタイルの預言をしていたのかわかりませんが、間違いなく人々を励ます言葉を語っていたことです。それは「慰め」という言葉から分かります。ある英語の聖書には、サン・オブ・エンカレッジメントとなっています。励ましを与える人です。新改訳2017の別訳も「励ましの子」となっています。
私は、何度もコーチングを学びました。あるところではコーチングをバルナバ・ミニストリーと呼んでいました。いろいろなコーチングのスタイルがありますが、バルナバ・ミニストリーは、励ましを与える、慰めを与えるものであるからです。
使徒 4:36 たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ-「慰めの子」という意味-と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、
使徒 4:37 持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
畑を売り、その代金を献げた、とあります。ある注解書では、それはたった一区画の畑とコメントするのです。バルナバよりも、他の人の方が、金額面で言うならもっと多く献げていたはずだ。その注解書は言うのです。彼の献げた物は、多かったわけではない。Only one fieldとあるのです。
ここからは私の想像ですが、使徒言行録5章にアナニヤとサフィラが出てきます。バルナバの献げた金額よりも、彼らの土地の代金の一部は多かったように思われます。
しかし大切なことは、教会や神様のための行為が人を励まし、慰めるかどうかです。
正しいことを主張しても、人を傷つけることがあります。
献げ物をしても、そこに偽善が隠れていたら、神様が喜ばれないのです。
大切なことは、自分の言葉や行動が、誰かの励ましに、誰かの慰めに、誰かを生かし、立て上げ、強めてゆく、そのようなバルナバのような者でありたいのです。
今日の聖書箇所、使徒言行録9章26~28節をご覧下さい。
バルナバは、ここでサウロとはじめて出会ったと思われます。
多くの人々は、サウロに対する偏見があり、耳を貸そうとしなかったのです。
ところがバルナバは違いました。口語訳では、27節に「世話をして」とあります。協会共同訳や新改訳2017では「引き受けて」、文語訳では「迎えて」とあります。これらの表現から察するに、エルサレムでは、彼は、滞在する場所もなかったのです。
バルナバはこう言ったと思うのです。サウロ、うちに来て泊まりなさい。さあ、あなたの話を聞こう。
これはとても勇気のいる行動でした。そこには二つの危険がありました。
第一の危険は、自分が殺されてしまうかもしれない危険です。
第二の危険は、サウロと手を結ぶということは、エルサレムの保守的な人々にはありえないことです。もしかしたらバルナバは、自分が築いてきた立場を失ってしまうかもしれません。バルナバはエルサレム教会では、重んじられていました。自分の信頼を失う危険を省みずに、バルナバはサウロに手をさしのべたのです。
バルナバはサウロから良く話を聞いたのです。イエス様との出会いの様子を聞き、これは本物だとわかったのです。
コーチングとは、何よりも、良く人の話を聞くと言うことです。そして一緒に喜ぶことです。バルナバは、サウロの言葉に耳を傾け、そして彼になされた主のみ業を一緒に喜べる人でした。
バルナバが言うのだから、人々は耳を傾けたのです。その結果サウロは、仲間に加えてもらったのです。
ところが、使徒15章で、バルナバのいとこヨハネ・マルコが、一緒に伝道旅行に行ったのに単独行動をとって、一人でさっさとエルサレムに帰ったのです。その身勝手な行為がきっかけとなり、パウロとバルナバの関係にひびが入りました。
使徒 15:37~40を御覧下さい(引用省略)。
ヨハネ・マルコの身勝手な行動により、パウロとバルナバのチームは解散したのです。
しかし後になって、パウロとヨハネ・マルコは和解します。それがテモテ第二の手紙に書かれています。
テモ2 4:11 ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。
私は聖書を学びながら、二人には和解の必要はなかったことに気がつきました。なぜなら、パウロもバルナバもお互いのことがよく分かっていたからです。
特にパウロは、バルナバから受けた恩を決して忘れることはなかったのです。何故なら、バルナバのおかげでパウロはエルサレムの教会に受け入れてもらったのです。バルナバがリクルートしてくれたから、今の自分の働きがある。
その感謝を私は忘れていません。それをパウロは使徒言行録をルカによって書いてもらうことで、伝えたかったのです。ルカはパウロの同行者で、医者であり、パウロの弁護者であります。パウロが真の使徒であることを証明するため、パウロのことを弁護するためにルカは使徒言行録を書いたと言われます。
一つの想像ですが、パウロはルカに次のようによく言っていたと思われます。
バルナバがいなかったら今の自分はいない。ルカよ、このことをしっかり覚えていてほしい。
バルナバが自分のことを信じてくれた、受け入れてくれた、世話をしてくれた、人々に紹介してくれた、そして自分に働きの場所を備えてくれた。
偉大な使徒パウロは、慰めの人バルナバ抜きには誕生しなかったのです。
救われて、伝道者になったパウロですが、最初の頃は、そんなに活躍の機会がなかったようです。聖書が、はっきりとそう書いているわけではありませんが、以下の箇所から察することが出来るのです。
使徒 11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
バルナバは自分が今度新しく派遣されたアンティオキアというインターナショナル教会で、一緒に働く人物が必要だと感じ、わざわざパウロを探しに出かけたのです。
今で言うリクルートです。
使徒 11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。・・・
バルナバはパウロの可能性を高く評価して、パウロに活躍の場を提供したのです。
個性の強いパウロの中にある輝きを認めて、バルナバは、パウロを引っ張ってきて、その力を十分に引き出す事に成功したのです。
両者が共に働くことで、1+1=2以上の効果が現れたのです。
バルナバの特質をまとめてみました。
① 人と人との関係を上手く取り持つ、人間関係の潤滑油のような人物
② 主の働き人となる可能性のある人物を上手に見だし、用いることの出来る人物、
③ 広く世界に目が開かれ、海外に宣教をした人物
④ 自分がリーダーシップを取ることに固執しない。パートナーを組んだパウロが、チームリーダーになっていっても、共に働きつづけた。彼は、他の人が自分を超えて活躍する事を喜んだ
私たちもバルナバにならせていただきたい。