2020年9月27日の説教要約 「語り続けた」

2020年9月27日の説教要約

                                           「語り続けた」  照内幸代牧師

<全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。>

                     (使徒言行録28章31節)

 

この28章は使徒言行録締めくくりの章ですが、この章から分かることは、語り続けたパウロの姿です。

一つ目に、パウロは諦めることなくユダヤ人に語り続けました。

パウロが改心してクリスチャンになってから30年が経っていました。この30年間、ユダヤ人の中から救われる人も起こされましたが、ほとんどの場合は、ユダヤ人に語ったことで苦しめられてきました。殺されそうになったこともあります。こういう姿勢からも、本当にパウロユダヤ人を愛していたのだということが分かります。主イエス様も、ご自分の公生涯ではほとんどの時間をユダヤ人のために使いました。「救いはユダヤ人から来る」ということが、聖書によっても神様によっても約束されていたからです。モーセに与えられた律法は、廃止されるのではなく、成就されるという形で救いのわざが達成されるからなのです。ところがここでも、ローマのユダヤ人たちは改心まで導かれませんでした。パウロ預言者イザヤがしたように、頑ななユダヤ人たちに語ったのです。神様が、「この民に行って告げよ」とおっしゃったお言葉の通り、まず救いに与るべき約束のユダヤ人たちに語ったのです。神様もイザヤも、そしてこのパウロも分かっている通り、ユダヤ人はイエス様の話を聞いても受け入れないし信じない。心を改めない。でも語る。そうすることで、彼らは確かに預言者イスラエルにいたということを後で知るようになるのです。神様がユダヤ人を変わらず愛しており、アブラハムモーセダビデにした約束を破ることなく、今日まで忠実に彼らの神であるということを、語るということを通して神様はお示しになっているのです。

 

そしてこの使徒の働きは、30-31節の言葉で終わっています。最後まで宣教し続けたパウロの姿で終わっているのです。この丸二年間、ローマで借りた家で人々に教え続けたあと、パウロは一度釈放されたと言われています。そして、おそらくスペインへ行って伝道しただろうと言い伝えられています。そして紀元68年ごろ、ローマ皇帝がネロという過激な皇帝になったとき、迫害に遭ってローマで殉教したと言われています。パウロには伝道生活を一緒に送った仲間達が何人かいましたが、ローマの激しい迫害のもと、パウロの元を去って行ってしまった人が多くいたのです。ただこの『使徒言行録』を執筆したルカだけが、最後までパウロの元に残っていたのです。ルカは、あえてこのように書き終えていますが、その後のパウロのことも知っていたのです。なぜ、ルカはこのように『使徒言行録』を書き終えたのでしょうか。

 

理由の一つは、イエス様の御言葉が成就したことを伝えるために書いたからということです。使徒の働き1:8では、イエス様は天にお帰りになるときこのように言い残します。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」この使徒の働きでは、本当にイエス様の言葉通り、エルサレムで弟子たちに聖霊がくだったところから始まり、ユダヤサマリアの全土まで伝道旅行によってイエス様が宣べ伝えられていく様子が記録されました。イエス様は「地の果て」とおっしゃいましたが、「地の果て」とは、このときの世界の中心であったローマ帝国を意味しました。ローマ帝国は地の果てまでを治めているという認識でした。この使徒の働きがローマでの宣教で終わっていることは、確かに冒頭部分でイエス様が預言されたことが成就したことを意味したのです。

 

二つ目の理由は、この使徒の働きは、終わることなく続いているということです。ルカは勿論、このあとパウロがどうなったかということを知っていました。しかしそのことをあえて記録しませんでした。この使徒の働きの記録は、ペテロから始まり、途中ステパノやピリポの伝道記録を記しつつ、熱心なユダヤ教徒であったパウロの働きを記録して終わっています。しかし、使徒たちの働きというのは、それで失われたわけではないのです。「使徒」と呼ばれる、イエス様の時代を共に生きた直接の弟子たちは天に帰ったけれども、その後生まれた教会を通して、長老たちや預言者や執事たちや監督者を通して、今日にいたるまでその働きは失われることなく続いてきたのです。この使徒の働きは、今やこの私の働きとなって、今日までこのページは更新され続けているのです。28:30,31の御言葉は、今この私たちを通して、今日も成就し続けているのです。

 

今週も私たちは、この社会の中に、キリストの弟子として派遣されていきます。この使徒の働きにおいて、神様がペテロにゆだねられたように、パウロにゆだねられたように、今日はこのわたしを通して、キリストの救いを述べ伝えようとされています。私たちは今週も、このキリストの弟子として、隣人に仕える一週間を送りましょう。