2023年8月6日の説教要約 「教会の食事係り」

2023年8月6日の説教要約

                   「教会の食事係り」  中道由子牧師

 

《それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。》(使徒言行録6章1節~7節)

 

1、教会内の問題―その1

  まず、第一の問題は、1節「ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。」

ギリシャ語を使うユダヤ人は、ギリシャ地方で暮らしていましたが、様々な理由で故国に帰ってきた人々です。ヘブライ語を使うユダヤ人はユダヤに住み続けていた人々です。彼らの間にはもともと様々な葛藤がありました。教会の急速な成長と共に奉仕者が足りなくなり、ギリシャ語を使うユダヤ人たちへの援助が疎かになっていたのでした。

 教会の中のほとんどの問題は、人々の気質や性格、考え方や経験の違いからくる誤解や未熟さなどのゆえに起こることが多いとされています。

神の国の姿を示すべき教会に問題が起これば、多くの人々が失望するでしょう。

しかし、地上の教会は罪人たちが集まった共同体なので、当然、争いが生じることもあります。教会は、イエス様だったらどうするか、考え、一つになるために、自分の考えを主張せず、相手の言葉に耳を傾け、共に歩もうとする所でしょう。

 

2、教会内の問題―その2

もう一つの問題は、もう少し深いところにありました。

それは、教会の存亡に関わる問題と言ってもオーバーではない問題です。

もし使徒たちが性急にこの問題をだけを解決しようとしたらどういうことになるか、使徒たちはきっと「毎日の配給」のことで忙殺されるあまり、「神の言葉を後回しに」しなければならなくなるでしょう。

弟子たちすべてを呼び集めて、賢明な提案をしました。

信徒の中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選び、彼らに配給の仕事を任せることにより、使徒たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念する提案でした。

一同はこの提案に賛成し、実際に七人が選ばれました。

 新しくできた教会が最初に抱えた内側の問題は、正しく早急に対処しなければ、教会が二分しかねない問題でした。

ここで「食卓のことに仕える」ことと「御言葉に仕える」こととの区別をしていますが、これは、キリストの体なる教会の器官によって、神が召された働きが異なることを示しています。どちらが優れているかの問題ではなく、両方とも教会で大切な奉仕であり、両方とも聖霊に満たされた霊的な人を必要としています。

確かに牧師の奉仕の中心は「祈りと御言葉」です。しかし、「食卓の奉仕」というのは、「御言葉に仕える」奉仕の基本でもあります。

食卓の奉仕を嫌い、説教する奉仕だけを好む人の言葉を誰が聞けるでしょうか。

使徒たちは、忙しすぎて奉仕が出来なかったのではないのです。

異なった奉仕に精力を奪われて、彼らが召された本来の奉仕、「御言葉に仕える」奉仕が出来なくなったところに第二の問題がありました。

み言葉が弱まるとすぐ、教会には不満や不平が出てきます。イエス様は、私たちが第一に求めるべきものは神の国とその義だと言われました。

 

3、7人の執事

  初代教会の使徒たちは、自分たちがみ言葉と祈りに専念するために、人々の食事の世話をする人たちを選びました。

しかし、選ばれた7人はただ食事の世話ができる慈善事業に長けている人たちではありませんでした。この人たちを選ぶにあたって、使徒たちは関与しませんでした。

初代教会は、民主的な共同体でした。

エルサレム教会は総会を開き、自分たちの中から7人を選出しました。

そして、最終的にはその任務は使徒たちに委ねられました。

6節「使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。」

このようにして、執事、教会役員が誕生しました。

彼らは、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」でありました。

バランスがとれた対処ができる人、良い証を立てている人でした。

7人は皆ユダヤ名ではなく、ギリシャ名です。

12使徒はすべてヘブライ語を話すユダヤ人でしたが、教会はここに7人のギリシャ語を話すユダヤ人、すなわち、「ヘレニスト」を選んだのでした。

この7人の中に、ステファノとフィリポがいました。

7人は必ずしも食卓の責任を担っただけではなく、フィリポなどは熱心に伝道を開始する人でした。ステファノは、使徒たちと同じような働きを民衆の間で行い、旧約聖書から民衆の前で説教をしました。その結果、最初に殉教したのはこのステファノでした。

執事が殉教したのです。

そしてそれを近くで見ていたサウロ(後のパウロ)の回心に大きな影響を与えます。

 主イエスは、福音を伝える使命を与える時、一人ですべてを負うようにはされませんでした。弟子たちの弱さをよく知っておられた主は、チームを組み、互いに信頼し合いながら働くようにされたのです。

教会が試練に会う時に、役員の方々は霊的戦いを強いられることもあります。

神の武具をもって一人一人が守られ、その役割を果たすことができるように祈りをもってサポートしていただきたい。