2023年7月30日の説教要約 「終わりの日の預言」

2023年7月30日の説教要約

      「終わりの日の預言」       中道善次牧師

     ≪使徒言行録  2章14~21節≫

 

1、ヨエルの厳しいメッセージ

 旧約聖書の中の小さな預言書、ヨエル書について説明します。

ヨエルとは、「主は神である」という意味であります。

ヨエルがいつどこで生まれ、どんな職業をしていたか、諸説あって、正確なところは分からないのです。

ヨエル書がいつ書かれたかについても、諸説あります。

早いものはBC9世紀:ユダの王ヨアシュの時代。 次はBC7世紀:エレミヤが活動した時代。

その次は、BC6世紀:神殿が再建された時期であります。一番遅いのは、BC5世紀:ペルシャ時代の末期。

しかしいつどこで書かれたということより大切なことがあります。それは、ヨエル書から神様のメッセージを聞き取ることであります。

ヨエル書は、神の裁きと悔い改めの勧めから始まります。

ヨエ 1:4 かみ食らういなごの残したものを 移住するいなごが食らい 移住するいなごの残したものを 若いいなごが食らい 若いいなごの残したものを 食い荒らすいなごが食らった。

4節には「かみ食らういなご」「移住するいなご」「若いいなご」「食い荒らすいなご」とあります。これは、イナゴを指すそれぞれ異なったヘブライ語の翻訳であります。これが意味するメッセージは、何も残さない。徹底的な滅びであります。

ヨエ 1:5 酒におぼれる者よ、皆泣き叫べ。泡立つ酒はおまえたちの口から断たれた。

「泣き叫べ」とは、悔い改めの勧めです

ヨエ 1:6 一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知らない民が。その歯は雄獅子の歯 牙は雌獅子の牙。

ヨエ 1:7 わたしのぶどうの木を荒らし、わたしのいちじくの木を引き裂き、皮を引きはがし、枝を白くして投げ捨てた。

6~7節は、敵が攻め上る様子を描いているのです。

またヨエル書には、世の終わりを示す黙示文学的表現があります。一番有名な個所は、次のところです。

ヨエ 3:3  天と地にしるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。

ヨエ 3:4  主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。

終わりが来る。神の裁きが来る。だから悔い改めるのだ。

たいへん厳しい預言の言葉から、ヨエル書は始まるのです。

しかし厳しい旧約の言葉を読むことで、気をつけていただきたいことがあります。

これはクリスチャンが旧約聖書を読んでいても、また、そうでない一般の人が読んでも感じることですが、旧約の神様は厳しい。新約の神様は優しい。そのように思うことです。

しかしヨエル書の厳しい預言を取り上げながら、旧約の神さまは厳しいだけではない。

むしろ優しいお方である。そこに目を留めたいのです。厳しいと思える言葉の背後に優しさがあるのです。

 

2、ヨエルの慰めのメッセージ

厳しいヨエルのメッセージの中に、よく読むといくつもの慰めがみられるのです。

ヨエ 2:25 わたしはお前たちに送った大軍、すなわち、かみ食らういなご、移住するいなご、若いいなご、食い荒らすいなごの食い荒らした幾年もの損害をわたしは償う。

神様が、辛い目に遭わせた年月を償うという言葉が出てきます。

その前には、断食と涙による悔い改めが勧められているのです

ヨエ 2:12 主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食し、泣き悲しんで。

ヨエ 2:13 衣を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。

あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み くだした災を悔いられるからだ。

ヨエ 2:14 あるいは、主が思い直され その後に祝福を残し あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を残してくださるかもしれない。

何のために、悔い改めよと神は言われるのか?

それは怒ることをとどめ、祝福を与えるためである。14節にそのように書かれています。

またつらい目に遭った年月を「償う」と25節で約束されるのです。

神が悔い改めを望まれるのは、私たちを祝福するために他ならない。

12節以降の悔い改めの勧めは、私たちに対する神の愛の呼びかけであります。           

  特に注目したいのは25節の「償い」であります。これは、払い戻すという意味であります。

受け取るはずのものを受け取ることができなかった。しかしそれを神様がきちんと支払って下さるという意味として理解出来るのです。

リビングライフでは、「いなご等によって受けた苦難を、その年数通りに見合う祝福をもって償うと約束しておられる」という説明があります。

ダラス神学校で学長をしていたスインドール先生は、これを子育てに失敗した者に適応され、親が真実に悔い改めるなら、神様は償われる、壊れた親子の関係を回復される、とメッセージを語られるのです。

同じように、神様は私たちに対しても、失ったものを返してくださる。そのような償いの神であります。

 

3、ヨエルの希望のメッセージ

ヨエ 3:1 その後 わたしは、すべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し

老人は夢を見、若者は幻を見る。

若者が幻を見ることについて、ヨセフ物語を紹介します。創世記37:5~11(引用省略)

ヨセフが夢を見たのは、ヨセフ17歳の時であります。しかし未熟な青年でした。

しかし、若者の特権を持っておりました。それは夢を見るということであります。

村上宣道先生の説教集の中に、若者の特権は、未熟だけれどもチャレンジする勇気があることだ。そのように語っておられましたが、ヨセフもそのとおりだと思います。

ヨエ 3:1で、息子、娘、老人、若者と表現しているのは、ヘブライ語では全ての人を表すときに使うのです。

また預言、夢、幻とありますが、それも区別をする必要はありません。ヨセフの見た夢は、将来の預言であり、その通りになって行きました。夢と幻は、厳密に区別されることは少なく、セットで表現されることが多いのです。

大切なことは、男性であろうが、女性であろうが、若者であろうが、老人であろうが、夢を見ることです。ビジョンが与えられることです。将来に向かって前進してゆくことであります。

将来の夢を描くことが出来なくなっている若者たちがいる反面、何歳になっても夢が与えられ、ビジョンが与えられ、神様から御言葉が与えられて前進しているご高齢の方がおられます。

一番身近なところでは、萩園教会で10年間一緒にご奉仕した菊地先生であります。

菊地先生はその言葉に従い、定年を迎え、60歳を過ぎてから、献身して聖書学院に入り、学ばれました。

64歳になって卒業され、2年目の途中から萩園教会に遣わされ、75歳まで一緒に御用をしたのです。

私たちもまた、何歳になっても、ビジョンが与えられ、夢が与えられ、前に向かって進む。そのような信仰者でありたいと思います。