2023年10月8日の説教要約
「二重の確証」 中道善次牧師
≪使徒言行録 10章1~8、17~20節≫
今日は、主が出会わせてくださった素敵な出会い、コルネリウスとペトロから学びます。使徒10章であります。
コルネリウスが駐屯していたカイサリヤから、ペトロが滞在していたヤッファまで、50キロ弱の距離がありました。
最初にコルネリウスの使いがヤッファのペトロのところにやってきて、一泊しました。翌日ペトロはヤッファを出発し、カイサリヤでコルネリウスと会いました。そしてカイサリヤでコルネリウスたちの洗礼式がもたれたのであります。ユダヤ人と異邦人の間の大きな架け橋が、カイサリヤとヤッファの間でかけられたのです。
その中心になる御言葉は、使徒10章34と35節であります。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」。
日本人である私たちがイエスを信じて救われるというのは、このコルネリウスの救いの出来事抜きにありえないのです。ユダヤ人でない者がイエスを信じて救われる。その最初の出来事であったのです。
今日は、コルネリウスとペトロの出会いの物語は、宣教の神学の宝庫と呼んでもいい個所であります。ここからいくつもの宣教の考えが出てまいります。ここから学びたいと思います。
2節でコルネリウスのことを「信仰心あつく」、口語訳では「神を敬う人」と表現しています。
神を畏れていたコルネリウスは、ユダヤ教の求道者でした。ユダヤ教に改宗して、割礼を受け、ユダヤ教の清めの儀式である洗礼を受ければ、どこの国の人であっても、ユダヤ教徒になるのです。しかしまだそこまでは至っていません。それでも、信仰心あつく、いつも祈り、貧しい人々に施しをしていたのです。
ユダヤ教の神殿でいうなら、コルネリウスは、異邦人の庭と呼ばれる場所に入って、祈り、礼拝していたのです。イエス様が、両替人や犠牲の動物を売る人々を追い出されたのは、異邦人の庭がそれらの人々に占領されていたからです。
宮清めをされたイエス様のお心は、外国の人が、神を求めることができないようにしている事が許せなかったのです。
このままコルネリウスがユダヤ教を求めていっても、幾つもの民族的、文化的な壁に阻まれて、神様に近づくことが出来なかったのであります。
ペトロはコルネリウスを導き、洗礼を授けたのです。コルネリウスは、ユダヤ教を飛び越えて、クリスチャンになったのです。
コルネリウスの救いが認められたのは10章47節です。「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼(バプテスマ)を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。
神様は、神を求めている人々に遠慮しないで私のところにきなさいとおっしゃるのです。
また、ほかの人が神様に近づくことを止めてはいけないとおっしゃるのです。
2、神が出会わせた人々
私は2005年から、毎年クリスマスの時期に、白洋舎の関連会社のクリスマス集会にお招きを受けておりました。
白洋舎はクリーニングの会社で、五十嵐健二さんが創業者であります。
五十嵐健二さんのご子息の一人に有爾さんがおられます。有爾さんとは親しくさせていただきました。ウクレレ奏者です。五十嵐有爾さんから、ずいぶん前に一つのテープをプレゼントされました。ウクレレ伴奏の賛美のテープでした。そしてそこに三浦綾子さんとの対談も含まれています。
対談のテープの中で、三浦綾子さんがおっしゃった言葉に心が止まりました。「神様は、この人と他の人とを出会わせたいと思われたなら、どんなにしても出会わせてくださる」。
その言葉だけでも十分、神様の恵みを感じる言葉でありますが、三浦綾子さんが、五十嵐健二さんの人生を小説にされた「夕あり、朝あり」のあとがきを読むと、それがいっそうよくわかるのです。
小説の「あとがき」には、二人の出会いの様子が書かれています。
「人生は出会いで決まる」といわれますが、三浦綾子さんの人生は、何人かの素晴らしいクリスチャンとの出会いによって決まったのです。クリスチャンとの出会いが、彼女の人生を変えていった。祝福につながっていったのです。
私は、ペトロとコルネリウスの関係もそうだと思うのです。神様がどうしても出会わせたい二人だったのです。そしてこの出会いを通して、キリスト教は、ユダヤの一宗教から世界的な宗教へと飛躍していったのであります。
「神が出会わせたい人」があなたにもあります。この真理は、ある特別な人々だけでないのです。あなたの人生にも、神様がご計画の内に出合わせてくださった方がいるはずです。あの人との出会いが、私の人生を大きく変えた。祝福のきっかけとなった。
3、ユニークな宣教の神学
コルネリウスの出来事は、宣教の神学の宝庫であると最初に申しました。出会わせたい二人を出会わせられる。これもその一つでありますが、第三ポイントでは、フラー神学校、またトリニティ神学校で、宣教学を教えておられた教授のメッセージを紹介したいと思います。
ポール・ヒーバートという文化人類学を専門とする宣教学の教授は、コルネリウスのような人物を「隠れた求道者」と呼びました。コルネリウスは、誰かにキリスト教のことを紹介されたわけではない。ローマの兵隊ですから、クリスチャンになった人が、彼が導かれるように祈っていたというのとも違います。
これをT&M、訓練と増殖というOMSが推進している働きでいうなら、「平和の子」であります。平和の子とは、神様に心が備えられている人であります。
またOMSの元宣教師ダイヤ先生の発見した法則で言うなら、「神の三角形の法則」に通じるところがあります。
神様が直接導かれたのです。聖霊様がコルネリウスの心に働きかけ、神様に対して心が開かれていた。ペトロがしたのは、行きなさい。そして彼を導きなさいと言われて行っただけです。神様が主導権を取っておられるのです。
私たちの周りにも「隠れた求道者」「平和の子」と呼ぶことができる人がいるのです。
もう一人、私がフラー神学校で学んでいた時に教えておられたロバート・クリントン教授は、コルネリウスの物語から「ダブル・コンファーメーション」という神の働きを示されました。ダブルは二重です。コンファーメーションは、飛行機のフライトの確認で使うコンファームと同じです。二重の確証、日本語ではそのように訳せる言葉です。
ペトロとコルネリウスの出会いはスムーズでした。何故なら、神様はまずコルネリウスに語りかけ、ペトロと言う人を招きなさい。そのように言ったのです。
次にペトロに対しては、汚れた動物を食べなさいと言う幻を夢の中で見せた後で、聖霊様の語りかけを聞いているのです。19と20節です。
使徒 10:19~20 ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」
神様は、二人が出会うことができるように、それぞれの背後で働きかけて、成立させたのです。お互いが出会った時、神様が示しておられたのは「この人だ」とわかったのです。これをダブル・コンファーメーション、二重の確証、あるいは確認というのであります。
この度の日本伝道会議でも、そのような出会いを経験しました。
神様が、T先生と出会わせてくださった。その背後に、神様の御手を感じたのでした。