2023年12月31日の説教要約 「会堂長の救い」

2023年12月31日の説教要約

     「会堂長の救い」     中道善次牧師

 

使徒言行録 18章8~16節≫

 

今日は、パウロが第二次宣教旅行で1年半滞在したコリントでの出来事から人々との出会いを取り上げて学びたいと思います。

 

1、空回りしたパウロ

コリントに来る前、パウロアテネで伝道しました。

ここでは、珍しいと言っていいほど、結果は芳しくありませんでした。

使徒17:32~34 死者の復活と言うことを聞くと、ある者は嘲笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼に付いて行って信仰に入った者も、何人かいた。 

パウロのメッセージの内容がギリシア人に届かなかったということがあります。

しかしもう一つ、パウロが空回りした理由がありました。それは、ここで彼は単独でメッセージを語ったのです。

使徒17:16には パウロアテネで二人(シラスとテモテ)を待っている間に、とあります。

ほとんどの場所で、チームとして働いてきたのに、パウロはここで、一人でアテネのアレオパゴスに立ってメッセージを語ったのです。

エス様は、12弟子を集められた時、彼らを宣教に遣わしました。その時も二人一組だったのです。

私がこのことを学んだのは、ビル・ハイベルスと言う方が書いた本、「勇気あるリーダーシップ」でした。

ハイベルス先生は、チームで働くときに大切なCの一つがケミストリーだと言ったのです。直訳すれば、化学です。しかし日本語訳では、「相性」となっています。「相性」だとすんなり理解できるのですが、神さまはただ仲良しグループに働かれるのではないのです。

ケミストリーと言う言葉は、今、一般にも使われます。サッカーのようにチームで行うスポーツで使われます。それは化学反応です。1+1が2以上になる。

私たち信仰者の視点で言うなら、1+1を2以上にするのは聖霊様がおられ、主の働きがあるからです。

パウロはここでは、一人でした。1はどこまでも1です。パウロは、チームで働くことに大切なことを身にしみてわかったと思います。

 

2、良き協力者との出会い

 誰か助けてくれる人を送って下さい。主にある友と出会わせてください。一人コリントに行ったパウロは、そのような気持ちで過ごし、祈っていたと思います。

そのような時、神さまはパウロに素晴らしい友、仲間と出会わせて下さった。それはアキラとプリスキラでした。

 使徒18:1~3 その後、パウロアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が、全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。

彼らは献身的な夫婦でした。立場としては信徒でしたが、信徒伝道者と言えるほど、聖書の知識も豊富でした。パウロは、ここで新しいチームを作ったのです。

彼らは、開拓伝道をパウロと一緒に行ったのです。

もう一つ、ローマ16:3を見ると、彼らは、命がけでパウロを守ってくれたとあります。

もう一人、素晴らしい人との出会いがありました。

それは使徒18:7に出てくるティティオ・ユストであります。

この人の家は、ユダヤ教の会堂の隣にあったのです。そして彼は神を崇める人であったとあります。

彼は、生まれはユダヤ人ではなかったのですが、ユダヤ教に心を惹かれて、ユダヤ教を求めていたのです。

しかし、彼もコルネリウスと同じく、ユダヤ教を飛び越えて、クリスチャンになったのです。

 ラムゼーと言う有名な聖書学者は、ティティオ・ユストのミドルネームは、ガイオであると言うのです。

もしそうであるなら、1コリント1:14で、パウロが洗礼を授けたクリスポとガイオは、使徒18:7~8に出てくるティティオ・ユストと会堂長クリスポであったことになるのです。

ティティオ・ユストは、自分の家を提供して、ここで御言葉を語って下さいとパウロに言ったのです。

これは大変勇気のいる行動でした。テサロニケでは、パウロを泊めたヤソンの家が襲われたのです。

 

 

3、四つの家の教会

次に1年半滞在したコリント教会の姿を見たいと思います。

アメリカの大学院で学んでおりました時、次のような興味深い研究がなされていることを知りました。

学者によりますと、コリント教会は、パウロが関わった教会の中で、一番大きい教会かもしれない。

その人数は、70~80名ほどと推測されるのです。その根拠は、4つの家の教会が基礎になっていたのです。

ティティオ・ユストの家(使徒 18:7)

クロエの家(コリ1 1:11)

ステファナの家(コリ1 1:16)

アキラとプリスカの家(コリ1 16:19)

 

4、会堂長の救い

四番目に注目したいのが、クリスポとソステネという二人の会堂長です。

クリスポがクリスチャンになったことは、使徒18章8節ではっきりと書かれています。

ユダヤ人たちはクリスポ(8節)の後任の会堂長としてソスネテを招いたのでした。

ソステネの名前が出てくるのは、17節です。

使徒18:17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。

名前が出て来た時には、彼はユダヤ人たちから打ち叩かれた、とあるのです。

これはどのような背景があったのでしょうか?

それは、パウロが、ユダヤ教の会堂の隣の家で伝道をしたからです。前の会堂長クリスポもクリスチャンになってしまった。クリスポの後の会堂長ソステネが着任してからもパウロは、約一年半、コリントに腰を落ち着けて伝道したのです。それは会堂の隣のティティオ・ユストの家でなされたのです。

怒りを、自分たちの訴えを取り上げなかった総督ガリオンに向けることが出来ないので、ユダヤ人は、怒りの矛先をソステネに向けたのです。これはもう、八つ当たりです。うまく行かないのはみんな会堂長ソステネのせいだ。

学者は言うのです。ソステネはむち打たれただけでなく、解任され、コリントの町から追放された。

そのようなソステネに神様の慰めが注がれたのです。彼は、ユダヤ教に背を向け、回心して、イエス様を信じるだけでなく、パウロの弟子として一緒に伝道について行くようになったのです。

それが分かるのが、コリント人への第一の手紙です。

パウロは、一緒に伝道しているソスネテの名前をコリント人への手紙に書いたのです。

1コリント 1:1 神の御心によって召されてキリスト・イエス使徒となったパウロと、兄弟ソステネから。

コリントの人たちは、この手紙を読んでソステネの名前を見たとき、エーとびっくりしながら、神様に感謝したことを思うのです。神様のなさることは、驚き以外の何物でもないのです。