2024年1月14日の説教要約 「隣人の重荷を背負う信仰」

2024年1月14日の説教要約

 

   「隣人の重荷を背負う信仰」    中道選子神学生

 

《イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。》   (マルコによる福音書 2:5)

 

マルコによる福音書 2章1節~12節

 

1、病気の友達を代わりに運んだ信仰

このお話に出てくる4人の人たちには、中風の病気で苦しんでいる友人がいました。

彼が自分で歩いてイエス様のところに行くことができないことを、この4人の友達はよく知っていたので、代わりに彼らがこの病気の友達をイエス様のところに担いで行ってあげたのでした。

そして、担いで行ったは良いものの、入る隙がないくらいに、お家はすでに人でぎゅうぎゅうになってしまっていました。

ここで彼らは、外の階段から屋根に登り、屋根を剥がして、そこから、力を合わしてゆっくり病気の友達を、イエス様のところに降ろしてあげました。

 

「イエス様ならきっと、僕の友達を癒してくださる」と信じて、ためらわず、友達をイエス様のもとに連れてきた信仰を、イエス様はしっかりと見てくださいました。

これこそイエス様が求めておられる信仰の形です。

隣人の重荷を一緒に負って、一緒にイエス様のもとに行く信仰です。

この友達が1人で背負いきれないものは、彼の病気でした。

病気の友達の重荷を一緒に背負っていたから、彼がどれだけ苦しんでいたか、この四人の友達には分かりました。

 

 

2、イエス様が代わりに背負ってくださったもの

彼らを目の前にしてイエス様は、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。

彼らは、「子よ、あなたの体は癒される」という言葉をきっと期待していたと思います。

でも、ここでイエス様はまず最初に、罪の赦しの宣言をされたのでした。

エス様は「あなたの罪は赦される」という言葉を持って、4人の人の願いと期待以上のことをしてくださったのでした。

なぜなら、病気や死の根本的な原因は、罪にあるからです。

この中風の友人が、特別悪い罪を犯してしまったから、病気になってしまったということを言っているのではありません。

最初の人間、アダムとエバが罪を犯す前は、神様が素晴らしく造った、欠けのない世界の中に生きていて、病気も死もありませんでした。

アダムとエバが神様の言葉に背いて、罪を犯してしまったので、その罪の報酬として、人間に死が訪れ、病気がはびこるようになりました。

しかし、神はエバの子孫の中から、彼らを救う者が現れることを約束しました。

 

エス様が中風の人に語られた、「あなたの罪は赦される」という言葉は薄っぺらい言葉ではありません。イエス様は、すべての罪と、罪の報酬の呪いである病気や、痛みや、死を、その身に負われようとされていました。

そして、すべての人のために、この中風の人のためにも、完璧で正しいお方が、身代わりになって死ぬことで、彼らに罪の赦しと清めを与えようとされていました。

そして復活して、イエス様につながるものたちに、死の呪いの代わりに、永遠の命を与えるために、イエス様は来られました。

このようにイエス様は、この中風の人だけでなく、私たちの根本的な重荷を背負って下さいました。

その重荷とは私たちの罪です。

エス様が私たちの重荷を背負ってくださるお方なので、私たちにもまた、他の人の重荷を背負い、共にイエス様の元へ行く信仰を求めておられます。

 

私の高校時代からの友人は、家庭環境が複雑で、本当に苦しんでいました。

久しぶりに連絡を入れると、とても喜んでくれて、1年半ぶりに再会することができました。

エス様のことを伝えられるように祈ってから会いに行き、不思議と聖書の話をたくさん聞いてくれました。

聖書がどんな話なのか、イエス様はどんなことをしてくださったのかを、話すことができました。

彼女のために祈るように、神様が高校生の時に彼女に出会わせてくださったのだと信じているので、これからも彼女がイエス様の内に本当の愛と自由を受け取ることができるように、祈り続けたいと思っています。

誰かに連絡を入れてみるなど、これが何になるのだろうと思うようなことでも、イエス様のもとに重荷を下ろすための、少しでも小さな助けに繋がるように、祈りつつ行動していきたいと思います。

 

そして、もし誰にも共有することができていない心の重荷があるのなら、罪や苦しみがあるのなら、ぜひ牧師先生や、信頼している家族や友人に話して、罪の赦しの宣言を受けてほしいと思います。

私には、なんでも話ができる仲の良い友人がいます。

でも、その友人にも、初めて私に話せないことができたことがあり、1年ほど、自分だけで抱えて苦しんでいました。

ある時、他の友人と3人で集まった時に、同じことで悩んでいたと確信した2人は、一緒にその心の重荷を告白し合うことができました。

そして、共にイエス様からの赦しを受け取ることができました。イエス様は、2人に心の重荷から解放されて欲しかったから、罪の赦しを受け取って欲しかったから、このような場を与えてくださったのだと、その時私たちは確信しました。

その後、その友人は、牧師先生にそのことを話す機会を得ました。先生は、「あなたがそのことを話してくれた前も、後も、私に映ってるあなたは全く変わらない、清い子だよ」と言ってくれました。

その言葉は、イエス様が語ってくださっていることなんだと、友人は感じました。

そして、牧師先生は友人のために祈ってくれました。その時友人は、本当の意味で、イエス様から清めを受け取っていることを知る事ができました。

罪を告白し、祈ってもらうことで、私たちは心の重荷をイエス様の前に手放すことができます。ぜひ、心に悩みや重荷、話せないような罪があるとしたら、祈っていただくことをお勧めします。

 

また、あなたの周りに重荷を抱えている人がいるでしょうか。

その人のために祈り、共にイエス様のもとに行くことができるように、あなたにできることはなんでしょうか。

エス様のもとに重荷を下ろすことができるように、互いに助け合う私たちでありたいと思います。