2024年6月9日の説教要約 「約束を成就する神」

2024年6月9日の説教要約

     「約束を成就する神」     中道善次牧師

 

ヨシュア記 23章14節≫

 

 旧約聖書の創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記を「五書」、あるいは、モーセ5書と呼ぶ。今日はその次のヨシュア記を学ぶ。

アメリカの大学院で旧約学を学んだ時、ある学者たちは、5書と言わずに、6書と呼ぶ。それはイスラエルにとって大切なこと。何故なら、6番目の書物、ヨシュア記の中に、イスラエルが約束の地に入ったことが書かれているからである。 

イスラエルが約束の地に入る。その視点から言うと、6書をひとまとめにすることが大切である。

それはまた、捕囚後の歴史にとっても大切である。バビロンに捕囚されたユダは、再び約束の地に戻って来た。もう一度、約束の地に入る。6番目のヨシュア記は大切である。

ヨシュア記の大きな区分:

1~5章がカナン入国、6~12章はカナン占領、13~24章は土地の付与と分割。

 

1、一歩踏み出す祝福

 荒野の旅を終えたイスラエルは、ヨルダン川を渡る。その奇跡が記されているのがヨシュア記3章と4章。

ヨルダン川を渡る奇跡は、紅海を渡る奇跡と匹敵している。

偉大な指導者モーセが紅海を渡る奇跡を行ったように、後継者ヨシュアヨルダン川を渡る奇跡を行った。それによって、指導者ヨシュアは、人々から大きな信頼を得た。

しかし私は、長い間、疑問があった。川ぐらい奇跡がなくても渡れるではないか。

写真で見るヨルダン川、あるいは聖地旅行で見たヨルダン川は、わたれないほどの広くて深い河には見えなかった。

  しかし季節によって全く違う。彼らが渡ったのは4月頃。この時期、ヨルダン川には水が満ちていた。

ヨシュア3:15 春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を超えんばかりに満ちていた・・・。

ヨルダン川は、普段は幅20~30mほどだが、4月の増水期は、雨季の終わり頃、しかもヘルモン山の雪解け水が流れる時期が重なり、幅は、800mにも広がる。

ゾールという河の両側に広がる密林地帯一体(800mの幅)に、濁流が渦巻いて流れる。この増水期の川を渡るという行動にどれほどの勇気の要ることか。ある意味では、紅海を渡るよりも危険が大きかった。

  まさかそのような時に川を渡ってくるはずがないとカナン人は思っていた。彼等の常識を打ち破る行為がヨルダン川を渡ることであった。エリコの人々は、減水期まで川を渡ることはないと思い込んでいたので、慌てた。

16節のアダムという町が出てくる。

イスラエルが渡った場所から北に25kmほどの地点にある。

歴史的をさがのぼると、1267年と1927年の二度、似たような事例があった。地震の震動により、川を見下ろす位置にある断崖の岩が崩れ落ち、ヨルダン川は、全く防がれてしまった。川がふさがれていた時間は、10時間~21時間と言われる。

私たちの人生においても、信仰において一歩踏み出す時に、よいタイミングで物事が、ある自然現象が起こる。これもまた奇跡である。

  ヨルダンに足を一歩踏み出したという適用の一つとして、私どもの証詞を紹介する(内容省略)。

私たちの人生で、何かを決断することが必要なことがある。その時、信仰による一歩が大切な時がある。

 

2、プレイヤー・ウオーク(祈りの歩行)

 ヨルダン川を渡って、イスラエルが最初に奪い取った町がエリコであった。

 そこでも奇跡による勝利があった。

ヨシ 6:11 彼はこうして、主の箱を担いで町を回らせ、一周させた。その後、彼らは宿営に戻り夜を過ごした。

ヨシ 6:13~15 七人の祭司はそれぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしながら主の箱の前を進んだ。武装兵は、更にその前衛として進み、また後衛として主の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた彼らは二日目も、町を一度回って宿営に戻った。同じことを、彼らは六日間繰り返したが、七日目は朝早く、夜明けとともに起き、同じようにして町を七度回った。町を七度回ったのはこの日だけであった。

鬨の声をあげた時、城壁が崩れてエリコの城は陥落した。

ここから学びたいことは従順の大切さ。言葉を換えると、愚直なまでに主に従うということ。

 エリコの城を、黙って6日間も周ることは、ある人にとっては、ばかばかしい重労働、意味がわからない仕事であった。

 エリコの城の周りを、黙って七日間回る事は、大変なこと。兵士は、暑い中、重い鎧を着けて、刀と盾を持って歩かなければならなかった。何の為にこんな事をするのか。無駄な努力と思えた。しかしイスラエルの人々は、ヨシュアの命に従い、黙々と、この単純作業を行った。

 ここから、私たちに適用できる一つことは、プレイヤー・ウオーク「祈りの歩行」についてである。

祈って、歩いて回った場所が与えられた。それは茅ヶ崎教会でも現実となった。

 

3、約束を成就する神

 ヨシ23:14 わたしは今、この世のすべての者がたどるべき道を行こうとしている。あなたたちは心を尽くし、魂を尽くしてわきまえ知らなければならない。あなたたちの神、主があなたたちに約束されたすべての良いことは、何一つたがうことはなかった。何一つたがうことなく、すべてあなたたちに実現した。

 似た言葉が、土地分割の後に載っている。

ヨシ 21:45 主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。

 神が約束された事を、真実をもって守られた、現実とされたと言うメッセージである。

 ヨシュア記1章のところで、神はヨシュアに向って、「強く雄々しくありなさい、あなたの足の裏で踏むところはみな、あなたがたのものとなる」と言われた。

約束を実現して下さる神の真実に目を向けたい。