2023年2月12日の説教要約 「主の慈しみは絶えることがない」

2023年2月12日の説教要約

        「主の慈しみは絶えることがない」   中道善次牧師

 

≪「主の慈しみは決して絶えない。主の憐みは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。」「あなたの真実はそれほど深い。」≫    (哀歌3章22~23節)

 

  サムエル記上 4章4~11節

今日、取り上げる地名は「シロ」です。この場所は、最初に聖所があった場所です。

イスラエルの人々は、エジプトを出てから、荒野を旅してきました。約束の地に入って、それが定着した礼拝場所を作りました。それがシロだったのです。

それはべテルという場所より北です。エフライムという部族の領土の真ん中より少し北にあります。

士 21:19 彼らは更に言った。「そうだ。年ごとにシロで主の祭が行われる。」―シロの町はベテルの北側、ベテルからシケムに通じる大路の東側、レボナの南側にあった。

 

1、シロは最初の聖所

何故、シロに神の箱が置かれ、聖所となったのか。それはイスラエルを約束の地に導いたリーダーであるヨシュアの出身部族がエフライムだったからです。

 ヨシ 18:1 イスラエル人の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。・・・

ヨシュアが約束の地を征服し、その次に士師の時代が訪れます。最後の士師と呼ばれたのが祭司エリです。

サム上1:3 エルカナは毎年自分の町からシロに上り、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。シロには、エリの二人の息子ホフニとピネハスがおり、祭司として主に仕えていた。

 毎年礼拝する場所がシロだったのです。

年代の特定は難しいのですが、約150~200年間シロに神の幕屋は存在したと思われます。

ヨシュアによる約束の地の征服がなされたのが、BC1200前後と仮定するなら、士師の時代の終わりは、BC1050頃になります。

シロに長期間、神の箱がとどまっていなかった。そのように思っておりました。しかし150年という長い期間、シロは、聖所としてイスラエルの中心地であったのです。

しかし同時に、長い期間、イスラエルの中心地となり、聖所であったために、信仰の形骸化がシロという場所で、そして人々の心の中で起こっていたのです。

その一つが、サムエル上3章1節です。 サム上3:1 少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。

もう一つがサムエル上4章3節の後半です。 サム上 4:3 ・・・主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主は我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。

 主の言葉が臨まなかった。生きた神様との関係がなくなり、信仰が形式的になっていたのです。

 信仰が形式的だけでなく、ご利益信仰が生まれていた。神の箱を持ってきたら戦いに勝利できると思い込んでいたのです。

 ではシロは全くダメな場所だったのでしょうか?

 そうではない。サムエルの母ハンナは、涙の祈りをシロで献げて、サムエルが与えられた。ハンナは生まれたサムエルを主に献げますと祈りました。サムエルはシロの聖所で育てられたのです。そして祭司に仕える僕として立派に成長していったのです。

 エリは年を取りました。エリの息子ホフニとピネハスは強欲な人々でした。そのような中ですが、シロで育ったサムエルは、神の声を聴き、預言者となり、イスラエルの指導者になっていったのです。

 シロはダメになりかけていました。しかし、神の灯はまだ消えていなかった。

 サム上3:3 まだ神のともし火は消えておらず、

この言葉が意味する霊的メッセージ、それは、シロにはまだ神の祝福が注がれていたということです。

 ここから私たちが聞き取りたいメッセージがあります。それは、あの場所はダメだ、あの団体はダメだと、私たちは誰も言ってはならないのです。 何故なら、シロでサムエルは神の声を聴いたからです。

 主の声を聴いたサムエルは、シロを拠点に活躍するのです。

サム上 3:21 主は引き続きシロで御自身を現された。主は御言葉をもって、シロでサムエルに御自身を示された。 サム上 4:1 サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。

神様は、どのような団体からも神の器を起こすことができるのです。

 

 

2、捨てられたシロ:

シロに聖所が置かれた。それはヨシュアの属したエフライムがイスラエルのリーダーであったことと深く関連があるのです。

詩編78編には、今日の聖書箇所で読みました、サムエル上4:4~11の出来事が記されているのです

詩 78:59~61 神は聞いて憤り イスラエルを全く拒み シロの聖所、人によって張られた天幕を捨て、御力の箱がとりこになるにまかせ 栄光の輝きを敵の手に渡された。

さらに詩編78では、シロが捨てられたことは、エフライムを選ばなかったことであると結論付けるのです。

詩 78:67~68 ヨセフの天幕を拒み、 エフライム族を選ばず ユダ族と、愛するシオンの山を選び、

第一ポイントでは、シロが堕落していった二つの理由をあげました。

第一は、 信仰の形骸化が、起こっていた。第二は、神の箱を偶像のように扱ったことであります。

詩編78から、シロが捨てられたもう一つの理由が分かるのです。それはシロが位置していたエフライム部族が持っていたプライドです。

詩編78では、シロ=エフライムと理解しているのです。

エフライムは、プライドが強く、文句が多かったのです。 その主なところを三つ上げたいと思います。

ヨシュア 17:14~15 ヨセフの子らがヨシュアに、「あなたはなぜ、ただ一つのくじによる嗣業の土地、一つの割り当てしかくださらないのですか。わたしの民は、主に祝福されて、これほど数多くなりました」と言うと、ヨシュアは答えた。「あなたの民の数が多くて、エフライムの山地が手狭なら、森林地帯に入って行き、ペリジ人やレファイム人の地域を開拓するがよい。」

自分たちは祝福されていると言っているのに、山地は狭いと不足を言い、敵は強いと弱音を吐いたのです。

士師 8:1 エフライムの人々はギデオンに、「あなたはミディアンとの戦いに行くとき、わたしたちを呼ばなかったが、それはどういうことか」と言って、激しく彼を責めた。

士師ギデオンは、必死で敵と戦い勝利したのに、「おめでとうございます」ともいわず、「どうして俺たちに声をかけなかったか」と文句を言ったのです。ここにも彼らの強いプライドがみられるのです。

士師 12:1 エフライム人が勢ぞろいして、ツァフォンに赴き、エフタに言った。「アンモン人との戦いに出向いたとき、なぜあなたは、わたしたちに同行を呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる。」

ここでは、命をかけで戦った士師エフタに対して、自分たちを重く用いなかったと文句を言ったのです。

私たちが気を付けなければならないこと、それはプライドです。高ぶりです。

エスの時代のパリサイ人、律法学者、祭司たちもそうでした。

ヤコブ 4:4 神は、高慢な者を敵とし 謙遜な者には恵みをお与えになる。

主の前に、へりくだりを身につけさせていただきたい。

 

 

3、滅びつくされなかったシロの祭司

サムエル記上4章で、ペリシテと戦うために、シロの聖所から神の箱を持ち出しました。

しかしイスラエルは戦争に敗れました。その結果、神の箱が敵ペリシテの領地に運び込まれました。

そして祭司エリの息子ホフニとピネハスも戦死しました。

主が、サムエルに語られたように、祭司エリの家に対する裁きが実現したのです。

エリの息子ホフニとピネハスがなくなりました。

また神の箱が奪われたことを聞いたエリも、ショックで亡くなりました。

サム上 4:18 その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門のそばの彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んだ。

唯一生き残ったのが、ピネハスの孫でアヒメレク(アヒドブの息子)です。

アヒメレクが出てくるのが、サムエル記上22章です。

ダビデの逃亡を手助けしたということで、祭司アヒメレクと彼の一族は、サウル王によって殺されました。

この虐殺の中で、エリの家で一人だけ生き残った者がおりました。それがアビアタルでした。

サム上 22:20 アヒトブの子アヒメレクの息子が一人、難を免れた。アビアタルという名で、彼はダビデのもとに逃れた。

アビアタルは、その後、荒野でダビデと行動を共にして、ダビデに仕えました。しかしダビデの跡継ぎ問題で、アビアタルはソロモンではなくアドニヤを支持したので、追放されてしましました。

王上 2:27 ソロモンはアビアタルが主の祭司であることをやめさせた。こうして主がシロでエリの家についてお告げになったことが実現した。

アビアタルが追放された場所がアナトト。

王上2:26王はまた祭司アビアタルにこう言った。「アナトトの自分の耕地に帰るがよい。お前は死に値する者だが、今日、わたしはお前に手を下すのを控える。お前はわたしの父ダビデの前で主なる神の箱を担いだこともあり、いつも父と辛苦を共にしてくれた

エリの家の子孫は、エルサレムと言う中央聖所から退けられたのです。そしてアナトトと言う場所で細々と生き延びていたのです。そのアナトトの祭司の息子として生まれたのがエレミヤであります。

エレミヤ1:1 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地アナトトの祭司ヒルキヤの子であった。

預言者エレミヤは、アナトトで生まれ育ったのです。エレミヤの影響を強く受けて書かれた書物が哀歌です。

哀 3:22 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。

哀 3:23 それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い。

ところが、新改訳2017の翻訳では、次のようになっているのです。

哀歌 3章22節 実に、私たちが滅び失せなかった。主の憐れみが尽きないからだ。

この翻訳の違いは、新共同訳は、シリア写本とタルグム(アラム語)写本に基づき、新改訳2017は、ヘブライ語の写本には、「我々は絶えない」に基づいているからです。

新改訳2017の「私たちが滅び失せなかったのは、主の憐れみによる」から、大切なメッセージを聞き取ることができるのです。

シロの聖所は滅びました。シロの聖所で仕えていた祭司エリとその一族は戦争に負けて殺され、その後、サウルによって虐殺されました。しかし滅び失せなかったのです。たった一人残ったアビアタルがいました。

彼もまた、祭司としては追放されて、アナトトに行きました。しかしアナトトの祭司の一族の中から、偉大な預言者エレミヤが生まれたのです。

神は、もう自分たちはダメだと思う人々に対しても、憐れみと恵みを残しておかれるのです。

主の慈しみは、朝毎に新しい。主の真実は尽きることがないのです。