2019年3月31日の説教要約 「まことの主を知る者は」

2019331日の説教要約

   「まことの主を知る者は」   萩園教会 藤森知郎勧士

 

≪あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。≫

                      (ヨシュア記2章1~14節)

 

はじめに

 今日は旧約聖書ヨシュア記の中の一つの出来事を取り上げ、主なる神を知る者は信仰によってどのように行動することができるのか、そしてその信仰がどのような祝福をもたらすのか、ということを見ていきたいと思います。

 エジプトを脱出して、主の御業により葦の海を渡ったイスラエルの民は、荒野のシナイ山十戒を授けられ、その後、カナンの地の一番南の端、カデシュ・バルネアに至りました。モーセはカナンの地を探らせるために、12人を偵察に送り出しましたが、カレブとヨシュア以外の10人の斥候は、そこに住む民は皆、巨人で攻め上っていくのは不可能だと、と否定的な報告をして、イスラエルの民の心をくじきました。その不信仰により、イスラエルの民は40年間、荒野をさまよいました。

 イスラエルの民はその後、モアブの地に入り、死海の東側でアモリ人の王、シホンとオグを破り、その地を征服しました。そして、いよいよカナンの地、エリコを対岸に望むネボ山までやって来たところで、モーセも召されました。

 イスラエルの民は、モーセによって次の指導者として任命されたヨシュアのもとで、いよいよカナンの地を征服しに向かう、というのがヨシュア記の始めの部分であり、今日とりあげるエリコが最初の目的地なのです。

 

第一ポイント:我が身と家族を救ったラハブ

 ヨシュアはエリコを攻めるにあたり二人の斥候をひそかに対岸の宿営地シティムから送り出しました。しかし、彼らがエリコの町に潜入したこと、しかも遊女ラハブのところに滞在していることが、すぐさまエリコの王に知らされました。エリコの王はラハブの所に人を遣わし、「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ」と要求します。斥候は情報収集をするどころか、ヨシュアのもとに戻ることすら絶望的な状況に置かれました。

 しかし、ここでラハブは意外な行動をとります。斥候を王から遣わされた人々に突き出す代わりに、彼らを匿ったのです。ラハブは斥候たちを屋上の亜麻の束の中に隠していましたが、王から遣わされた人々は、ラハブの家を探さずに、急いで城門へと向かいました。

 ラハブはなぜ、エリコの人々の敵であるイスラエルの斥候を匿ったのでしょうか。それは同胞の民を裏切る行為でした。しかし、ラハブにはハッキリとした理由がありました。ラハブは、イスラエルのうわさを聞いて、エリコの人々はすっかり怖じ気づいていることを斥候に伝えます。その上で、ラハブは「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです」と、信仰の告白をしました。ラハブは異教の神々であふれるカナンの地のエリコにいながら、イスラエルのことを聞いて、彼らを導いている神こそ、まことの神であることを知ったのです。そして、その神に従う道を選んだのです。

 斥候たちを助けたラハブは、斥候たちと約束を取り交わします。私はあなた達に親切にしたのだから、イスラエルがエリコを攻める時、自分と一族との命を助けて欲しいと求めます。そして、斥候たちはその求めを受け入れました。実際、イスラエルがエリコを攻めたとき、斥候は、ラハブと親族を連れ出してイスラエルの宿営のそばに避難させました(ヨシュア6章)。

 まことの神への信仰を持ったラハブは、何をなすべきか分かっていました。そして、その信仰に従って行動しました。その結果、ラハブは我が身と家族とを救うことができたのです。

 私たちも日々の生活の中で行動の選択を迫られることがあるでしょう。まことの神への信仰を持つ私たちは、その神への信仰にしたがった行動をすることが求められています。そして、その信仰の行いに対して、神は必ず祝福をもって報いて下さるのです。

 

第二ポイント:イスラエルを救ったラハブ

 モーセの後継者となったヨシュアは、斥候を遣わすことに不安がありました。カデシュ・バルネアからカナンに遣わされた斥候たちのように、再び斥候が消極的な意見を持ち帰って、民が怖じ気づかないだろうか、との心配があったのです。しかし、ヨシュアは主なる神がカナンの地をイスラエルの民に与えると言われた約束を、信仰をもって力強く握りしめていましたので斥候を送り出しました。一度失敗しても諦めない。信仰にはそのような力があるのです。

 期待通り、斥候は、エリコの民がイスラエルのうわさを聞いて、すっかり怖じ気づいていることを報告します(2:24)。この報告は、イスラエルの民を大いに勇気づけました。このラハブの言葉によって、イスラエルの民は主なる神への信仰に自信をもって応え、確信をもってエリコに攻め入ることができたのです。この後、ヨルダン川を神の奇跡によって渡り、また、エリコの堅固な城壁も神の御手によって崩れ、エリコを攻め取ることができたのですが、そのように神の御手への信仰を保つことができたのは、ラハブによってもたらされた情報だったのです。その意味で、ラハブはイスラエルの民を救うことになったとも言えるのです。

 

第三ポイント:人類を救ったラハブ

 ラハブの信仰の行いは、自分自身と家族、そしてイスラエルを救うだけにとどまらず、人類を救うことにもなりました。

 新約聖書マタイの福音書は冒頭にイエス・キリスト系図が記載されています。この系図はカタカナの羅列で、読むのに苦労しますが、少し旧約聖書のことが分かっていると、とても興味深いものになります。その一例が今日の箇所との関連です。

 この系図中、15節のところに、「サルモンはラハブによってボアズを…もうけた」とあります。サルモンの奥さんはラハブであって、この夫婦はボアズという子を得たのです。ここに、今日の主人公、エリコの遊女であったラハブの名を見ることができるのです。

 そして、系図をもう少し辿っていくと、ボアズ、オベド、エッサイ、そしてダビデに行きつきます。ラハブはあのダビデのひいひいおばあさんになったのです。そして、ダビデの子孫として、救い主イエス・キリストが誕生します。イエス・キリストは、マリアが聖霊によって身ごもって生まれました。そのマリアもダビデの家系です。もしラハブが信仰をもって行動し、イスラエルの民に加えられていなかったなら、ダビデは生まれず、私たちの救い主イエス・キリストの母マリアも生まれていないことになっていました。

 このように、ラハブの信仰による行いは、救い主の先祖になるという最高の祝福をもって報いられました。

 私たちも、私たちの信仰を強めて下さり、そしてその信仰の行いに対して祝福をもって報いて下さる主に感謝しつつ、豊かに歩んでまいりたいと思います。 アーメン