2018年6月10日の説教要約 「忠実な二人の僕」

2018年6月10日の説教要旨  「忠実な二人の僕」  中道善次牧師

<エゼキエル34章23〜31節>
今日は、エゼキエル書から忠実な心をもって、神を愛し、主の宮を愛して生きた二人の僕ダビデとツァドクから学びます。

①私はダビデを送る

エゼ 34:23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。
ここで、ダビデが牧者として出てきます。私たちの言葉のイメージでは、牧者=牧師でありますが、前後の関係を読むと、これは国の指導者であることが分かります。
ハムラビ法典には、次のような言葉があります。
王は自らのことを「人々の牧者」「牧場と水の提供者」と記してあるのです。古代オリエントの王の理想は、民に水と食べ物と安全を与える牧者であったのです。
エゼキエル34章2節以降で非難されている牧者は、イスラエルを崩壊させた王たちであります。
エゼ 34:2 「人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。・・・
エゼキエル34章14節は詩篇23:1「主は私の牧羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と同じであります。王が牧者であるという言葉です。
エゼ 34:14 わたしは良き牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
神様は、私の人生に時々、ユニークな方法で現れて下さいます。私は『ダビデのような心を持つ主の働き人を送って下さい』と祈りました。私は、ダビデのように忠実な心で教会を愛する人が来ると思っていました。しかし神様は、文字通りダビデという名前のアメリカ人の宣教師を送って下さったのです。

②忠実な僕ツァドク

エゼキエル書40章からは、やがて完成される世の終わりに新しい神殿の預言であります。そこには、「ツァドクの子孫」という言葉が四回出てきます。エゼ 40:46、エゼ 43:19、エゼ 44:15、エゼ 48:11
エゼキエルは、ツァドクの子孫です。神殿に仕えるツァドクの子孫は、バビロンに捕囚されました。そのツァドクの子孫が、やがてエルサレムに帰り、新しい神殿で神に仕える。エゼキエルはその確信をもって、「ツァドクの子孫」が、主に近く仕えるのだ。そう言ったのです。
そしてツァドクの子孫が用いられる大きな理由は、忠実だったのです。イスラエルの子孫が、レビの子孫が、偶像礼拝に走り、迷った時にも、ツァドクの子孫だけが真実に主に仕えたのです。
ツァドクの忠実さ、またツァドク親子の忠実さを三つあげたいと思います。

a.荒野を逃れていたダビデのもとに駆けつけたツァドク:代上 12:28〜29
ツァドクは祭司としてダビデに仕えるだけでなく、ダビデの護衛もかねて、ダビデに仕えました。
b.苦しみを共にしたツァドクと息子:サム下 15:24〜29
ダビデが息子アブサロムに反逆された時のことです。ツァドクはもう一人の祭司アビアタルと共にダビデに従って、都を出ようとしたのです。そして荒野について行こうとしたのですが、ダビデが「エルサレムに留まりなさい」と命じるのです。彼らはダビデの言葉に従いました。
ダビデには目的がありました。アブサロムに仕えるのではなく、首都で何が起こっているかという情報伝達者として仕えてほしいと命じたのです。ツァドクの息子アヒマアツは忠実にその任務を果たしたのです。
c.ツァドク親子の忠誠:サム下 18:19〜29
ツァドクの忠誠心は息子のアヒマアツに受け継がれました。アブサロムがなくなり、反乱が鎮まりました。アヒマアツは勝利を伝える伝達者となるのですが、その時の姿です。
アブサロムが死んだという事実は伝えては王がショックを受けるので行くなとヨアブが言ったのです。それでもまずこの勝利をアヒマアツに伝えさえて下さいと懇願したのです。アヒマアツは、いち早く勝利の報告をしたかったのです。愚直な姿です。
この忠実さはツァドク、息子のアヒマアツ、そして子孫へと受け継がれました。
長年教会に仕えてきた老婦人が、次のように言われました。私は長年、この教会に仕えてきた。いろいろな人が教会にやって来ます。賜物豊かな人がいます、熱心で激しい人もいます。提案する人もいます。しかしそれらの人々を見て、また教会を見て、わかることは、忠実であることが一番だとおっしゃったのです。
私たちもまた、忠実な神の僕となりましょう。忠実な僕として、主に仕え、教会に伝えたいと思います。