2022年9月4日の説教要約 「まことの羊飼い」

2022年9月4日の説教要約
 「まことの羊飼い」  中道由子牧師 
 《わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

                   (ヨハネによる福音書10章7~18節

 

1.イエスは羊の門

 羊飼いは羊を外敵から守るために、羊が飛び越えられない高さに石垣などを積み上げて囲いを作り、夜になると羊をその囲いの中に入れました。

その囲いには門がありました。そして門番がいるのです。門番は羊がいる間はいつも番をしていなければならなかったのです。門番は、羊の世話をしに入って来る羊飼いだけに門を開きました。門から入らず囲いを乗り越えて忍び込んで来るのは、盗人や強盗です。

 どのような門に入っていくかでその人の人生が大きく左右されます。

私自身受洗直後、まだ聖書や教会のことが十分理解できていない頃に、異端と言われる教会に誘われました。人間的には心開ける方々のように思えました。

しかし、クリスチャンの友人が止めてくれました。

ここで主イエスは「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。」と言われる。

正しい門から入っていかないと人生たいへんな方向に導かれてしまいます。

主イエスは、「わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は門を出入りして牧草を見つける。」と言われました。

そしてこの門を通る者だけが良い牧草を見つけるのです。

 

2.イエスは良い羊飼い

 まず第一に、羊飼いは羊に仕えます。

真の羊飼いと偽りの羊飼いとの違いがここにあります。

偽りの羊飼いは羊を利用しているだけで、自分の利益や報酬のことばかり気にしています。この点でもイエスは、ユダヤの指導者たちが偽の教師であり、盗人や強盗であることを見破っておられました。しかし、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために」来られました(マルコによる福音書10章45節)。

 二番目に、良い羊飼いは羊を養い育てます。羊飼いはあらゆる危険と禍から羊を守り、保護します。群れの先頭に立って羊を牧草地へ導いて行くのです。

旧約のダビデ王も「主は羊飼い、わたしには何もかけることがない。」と歌っています(詩篇23篇1節) 。

羊が命を得、それを豊かに持つために牧草地に導き、いこいの水のほとりへ案内します。

この羊飼いについて行けば豊かな、命溢れる人生が約束されているのです。

 三番目によい羊飼いは羊のために命を捨てる。究極の愛です。

パレスチナの羊飼いたちが羊を守るために野獣と戦って命を落としたことが実際にあって記録されているそうです。命を懸けて羊を飼うのはユダヤでは当たり前のことでした。

来る日も来る日も身を挺して羊を守る、そんな羊飼いの姿が主イエスの言葉の中にあります。雇い主根性の羊飼いは危険が迫ってくると、羊を置き去りにして逃げ去ってしまいます。しかし、良い羊飼い、主イエスは十字架にかかって、私たちのために命を捨てられた。

迷っている羊である私たちを、命を懸けて愛してくださったのです。

それもやむなくではなく、自ら進んで十字架にかかってくださったのであります。

 四番目に、良い羊飼いは一つの群れをつくります。

主イエスは、ユダヤ人や異邦人が彼の言葉を聞いて一つの群れとなると語っておられます。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」

エス様は、この群れをご自分の血を持って贖い取られた教会を指して言われたのです。まことの羊飼いはただ一人です。そこには一つの群れしか存在しません。

それも主イエスは力や権力をもって群れを一つにするのではなく、自分から進んで命を差し出すことによって羊を生み出し、豊かに飼育し、一つの群れをつくられるのです。

 

3.羊飼いを知ること

  羊と羊飼いのたとえは、旧約聖書では神とイスラエル、或いは指導者と民の関係を現わしていますが、律法学者たちは、イエス様のたとえが自分たちの態度を改めるため言っておられることに気づきませんでした。彼らは指導者としての地位や特権だけを味わって、自分たちの姿を全く悟れないままでした。イエス様が話されているのは、ユダヤ教の指導者たちが牧者の座を占めていましたが、彼らは盗人や強盗と変わりがない、と言っておられます。

それは、彼らの心の動機と関心が羊のためではなく、自分たちの利益に集中していたからです。自分たちのために羊を搾取したので、羊は衰弱し、傷つき、危険の前に置き去りにされました。むしろ牧者がいないほうがよいほどだったのです。

羊たちも彼らを恐れているだけで、従おうとしませんでした。それが、イスラエルの指導者と民の関係でした。

羊たちは羊飼いの声をよく知っています。ですから、見知らぬ人に声をかけられても騙されてついて行くことはないのです。羊たちは自分の羊飼いの声を聞き分けるのです。

どうして聞き分けるようになるかというと、そこに「信頼」があるからです。

主イエス様を信じたその時から私たちの中に主との信頼関係が生まれます。

ヨハネの手紙一4章15節「イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。」

私たちが主を信じると告白したその時から、神様が私たちの内にとどまっておられる。

たとえ私たちの信仰が世の誘惑や試練を受けて小さくなってしまっても、主は私たちの内におられる。その主の御声を聞き分ける霊の耳が回復されていきます。