2022年8月28日の説教要約 「神の御心を行う者は永遠に生きる」

2022年8月28日の説教要約
 「神の御心を行う者は永遠に生きる」  照内幸代牧師 
  《ヨハネの手紙一:2章12~17

 

 この詩のような部分において、ヨハネは語り掛ける形でクリスチャンたちに励ましの言葉を送っています。語り掛けている対象は、「子どもたち」「父たち」「若者たち」の三種類の人々です。この語り掛けから、ヨハネはやはり牧会者であったのだなぁという姿勢が良く見えて来ます。ヨハネはこの三種類の人々に対し、その世代に合った励ましの言葉を送っているからです。

 まずは、「子どもたち」です。ヨハネは、自分が信仰的に小さな子どもである、未熟である、弱いと考えている人たちに語り掛けます。自分自身が未熟である、自分は弱い、自分は取るに足りない存在だと感じるとき、私たちは自分自身がいつだって小さな子どもになったかのように思えてくるものではないでしょうか。その人たちに対してヨハネは、「あなたの罪は赦されている」ということ、そして「あなた方は父を知っているのだ」と書いています。これは自分の信仰が子どものように小さいと感じている人々にとって、大きな励ましではないでしょうか。なぜなら子どもとしての私たちは、無条件で親から受け入れられているということをこそ、心の底から望むからなのです。

 次に語り掛けているのは、「父たち」です。父たちに対してはv13とv14で二回語り掛けられていますが、その内容は同じことです。それは「初めからおられる方を知った」ということです。すなわち教会のすべての初めは神であり、すべての源も神であることを、指導的立場にいる者は忘れてはならないのだということです。

 三つ目にヨハネは、「若者たち」に呼び掛けています。「若者たち」とはどういう人か。それは「外の誘惑に弱い」「誘惑に流されやすい」者であるということです。若い人というのは仕事をしており、社会交流が活発な人たちです。そうすると、金銭、名誉、性といった誘惑を受けやすいものでした。若い人に限らず、私たちクリスチャンは、この命を救っていただいた神の御前にきよく生きたいという思いを持っています。主の御前に正しい者でありたいと願っているし、愛情深い人であって、キリストがすべての者達を愛されたように自分も愛したいという気持ちを持っています。しかしそうする力が自分にはなくて、自分ではしたくないと思う悪を行ってしまうのです。これが誘惑に負けやすい私たちの姿です。そんな私たちにヨハネは語るのです。「あなたがたは悪に打ち勝った、勝利したのだ」と言います。私達は誘惑に負けます。罪を犯します。人を恨むし、怒るし、傷つけてしまうし、自分自身も傷つけます。しかし神は、何度だって私たちを恵みのなかに招いてくださるのです。私達が自らの罪を言い表し、神様、また私は誘惑に負けました。また私は罪を犯しましたと言うとき、神様は何度だって私たちを許し、お前を愛していると言ってくださるのです。これが神様の勝利宣言です。主イエス様がもう十字架にかかられ復活された今、私たちに対して悪は敗北している。今も勝利し続けていると、神様は自分自身に失望する私たちに、何度だって言ってくださるのです。