2018年12月2日の説教要約 「救い主の系図」

2018年12月2日の説教要約
   「救い主の系図」 中道由子牧師

≪こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代ダビデからバビロン移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまで十四代である。≫ 
                      (マタイによる福音書1;1〜17)
 
ユダヤには物事の意味を探る方法の一つとして、ゲメトリアという算数術があるそうです。
これはA=1、B=2、C=3とアルファベットを数値換算する方法のようです。 この方法でダビデの名を数値換算すると14となる。そして、ダビデをヘブル語子音で表すと「DWD」となります。 Dはヘブル語のアルファベットで4番目、Wは6番目の文字で、DWDは、4+6+4=14となります。マタイ福音書一章の主イエス系図は、ダビデの子孫であるイエス・キリストを強調するために、ダビデのゲメトリア「14」を鍵の思想として、系図を構成したと言われています。
マタイ1章17節では、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン捕囚まで14代、バビロン捕囚からキリストまで14代となっています。
  この系図から、マタイが福音書の中で示そうとしたのは、イエスは「ダビデの子」である、ということです。王様の子だということです。マタイ福音書ではキング、王であるキリストを強調しています。ユダヤ人がこれを欲したからです。マタイ福音書ユダヤ人に向けて書かれています。彼らが待ち望んでいたメシヤは、イエスである(一21)。そのことを証明する言葉が、「ダビデの子」です。


1、アブラハムからダビデまで
ルカによる福音書にもイエス・キリスト系図があります。ルカはイエスからさかのぼり、人類の最初の人アダムに至っています。マタイによる福音書系図アブラハムから始まっていきます。アブラハムは、ユダヤ人の歴史の始まりに立つ人物だからです。
創世記12章2節「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。」
アブラハム以来の歴史がユダヤ人にとって、神の祝福の約束の元におかれた歴史だという信仰を語っているのです。どんなにこのユダヤ人の歴史が崩れていっても、始めからアブラハムに与えられた神の約束は変わらなかったのです。「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」という言葉が、旧約聖書の至る所に、まるで宝石のようにちりばめられているのです。
 また、この系図は男性の系図です。女性は自分たちの血筋を作っていくために必要な存在でしかなかった時代に、系図には4人の女性が登場しています。
1) タマル (3節「ユダはタマルによってペレツとザラ」という双子をもうけ)
ペレツが救い主の系図を継ぎます。タマルという女性にとって、ユダは夫の父でした。言ってみれば嫁と舅の立場です。タマルはユダの長男と結婚して子どもを産む事なく夫は死にます。そして、次男と結婚し、また子どもが出来なくて夫は死んでしまいます。三男はまだ若く、ユダは三男も死んだら困ると思ってタマルとの結婚を渋っていたのです。タマルは、わざと道ばたに立つ遊女、売春婦になりすまして、道を通りかかった舅に自分の体を売ったのです。そして子どもが出来た。自分の妻としての務めは、この家の地を絶やしてはならないことにあると、その思いに捕らわれていたのです。
2)ラハブ (5節「サルモンはラハブによってボアズを」)
ラハブはヨシュア記に出てくる遊女です。ユダヤ人ではありません。イスラエルの民がカナンの地を取り戻すために、エリコの町を陥落させました。その前に偵察隊が町に入ったのです。遊女である異邦人のラハブはイスラエルの偵察隊をかくまうことにより、エリコの町が滅ぼされる時、ラハブと彼女の家族は助けてもらった、その彼女がサルモンというユダヤ人との間にもうけたのがボアズだったのです。
3)ルツ (5節「ボアズはルツによってオベドを」)
ルツはルツ記の中心人物で、正しい行いの人でありましたが、この人はモアブ人でユダヤ人ではありませんでした。モアブ人は、ユダヤ人が最も嫌う民族の一つでした。もしモアブ人がユダヤ人の仲間入りをしたいと思っても共にユダヤ人の礼拝をすることが出来るためには、10代を経なければならないと、申命記(23:4〜7)に書いてあります。10世代繰り返してユダヤ人と結婚していくことによって、モアブの血がだんだんに薄められて、残らなくなってしまうほどに清められなければ、礼拝を共にすることができないと言われたのです。そのモアブの女ルツからオべドが生まれ、オべドからエッサイ、エッサイからダビデ王が生れます。私たちの王となってくださったイエス様の系図を、異邦人の女性の血が混じったものとして誇らしく、喜びを持ってマタイ福音書は記しています。
4)ウリヤの妻バト・シェバ (6節「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」)
ウリヤの妻は、言うまでもなく、ダビデの家来であったウリヤの妻バト・シェバであります。ダビデ王の権力に任せた欲望によって、夫はわざと戦場の厳しい戦いに送り込まれ、戦死させられた、その王様の妻に納まって、ソロモン王を産んだ人です。ここでバト・シェバではなくウリヤの妻となっています。ウリヤはユダヤ人ではありませんでした。その人の妻、しかし、ダビデの妻とは書かれていません。ダビデは家来の妻を奪ったことに対して、激しい悔い改めをしています。その後に彼女を妻にしたのです。ダビデにはすでに何人も妻がいて、その妻の一人としてバト・シェバを迎え入れました。「正式な妻としました」とダビデが言っても、「あなたの妻ではなかった、それをあなたが奪ったのだ」と。マタイによる福音書は、王家の系図に最も優れた王ダビデの罪を書き記しているのです。     このように考えて見ますと、ここに登場してくる女性たちだけではない、男性もまた、世間の常識で考えれば、神の子イエス系図を飾るのにふさわしくない人たちでした。私たちの家系も、私たち自身も救われるにふさわしい、とは言えないかもしれない。しかし、主は傷や欠けがある者たちを救い主の系図に入れられたように、私たちをも選んでくださったのです。


2、ダビデからバビロン移住まで
ダビデ王の後、王位を継承したソロモンは、神様から素晴らしい知恵をいただき、イスラレル王国の全盛期を送って行きます。国は大きくなり、貿易も盛んになり、隣国との関係も安定し、経済力もついて来ました。またダビデには許されなかった神殿建築もできたのです。このような人生が順調に行っているときに、人は傲慢になりやすく、神様の前に謙虚になる事を忘れてしまいます。ソロモンは外交のために外国からの妻を娶りました。700人の王妃と300人の側室がいた、と列王記上(11:3)には書かれています。この妻たちが彼の心をアブラハムの契約の神から離れさせ、異教の神々を拝むように迷わせたのです。そこから王がほしいと、願ったイスラエルの王家の系図は下降線をたどって行きます。
どんなにすばらしい信仰や徹底した献身を示したとしても、子どもに信仰の継承が出来なかったら、やがて恥の時代が来ます。ソロモン以後のユダの王たちの歴史を見ると、栄光と恥の二つの曲線が交差し続けます。知恵の王ソロモンの子レハブアムは、王国分裂の原因をもたらします。10節に出てくるヒゼキヤや、11節に出てくるヨシヤのような敬虔な王の子どもたちが、王国の滅法を促進しました。そこで、神様はバビロンを起こして、バビロンに降伏することによりイスラエルに神に立ち帰り、生きる道を与えようとされたのです。神様を畏れて敬って生きていく子どもたち、孫たちにこの信仰のバトンを渡せるように私たちも祈っていきましょう。

3、 バビロン移住からキリストまで
11、12節に出てきます「エコンヤ」という人はヨシヤの孫になります。エコンヤはバビロンに連れて行かれて、従順に従いました。彼の従順により、またこの救い主の系図は続いていきます。12、13節にでてくる「ゼルバベル」、この人の時代に、ペルシャのクロス王勅命によりバビロンからエルサレムに帰還できることになったのです。ゼルバベルは、4万2千人余りの帰還の民をエルサレムに連れて帰るリーダーとなり、行政の指導者、総督となった人です。そしてもう一度、神殿が建てられるのです。捕囚帰還後の神からの啓示が消えたような暗黒の時代にも、残りの者たちを通してイエス系図は保たれて行きました。すべてが終わったかのように見えても、神は救いの契約を誠実に成し遂げられます。
この系図はマリヤの夫ヨセフに至ります。実はどんなに優れた王家の血筋をひいている者であっても、14代、14代、14代と重なれば重なるほど、どこかでごまかさなくては飾り付けることができないような血筋に生きているのです。 そのように、このダビデ系図、イエス系図も血筋を示しているわけではないのです。神様が選ばれた人たちの系図であります。その最後はイエス・キリストに繋がっています。イエスは大工の子として生れ、十字架にかかって死なれます。ユダヤ人の考え方によれば、「ヨセフから生まれた、このイエスは死刑になった」と書き続けられるのです。この系図は、犯罪者と犯罪者の死を記録している歴史でもあります。そのキリストは、私たちの人生の主となり、王となってくださるお方であるとマタイはまず紹介したのです。私たちの名前もここに繋がっていきます。