2018年3月11日の説教要約 「ユダヤ人の王」

○3月11日の説教要約
ユダヤ人の王』                    中道由子牧師
《イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。》
                     (マタイによる福音書27章27〜44節)


2月の説教でマタイによる福音書は、ユダヤ人に宛てて書いたと申し上げました。
マタイによる福音書の1章の系図が王家の系図であること、2章に出てくるイエス様誕生に当たって、東方の博士たちが幼子イエスを捜し、ヘロデ王に「ユダヤで生まれた王はどこにおられるか」と聞いたとあります。そして、今日の聖書の個所37節において、十字架に架けられたイエス様の頭上に「これはユダヤ人の王である」と書いた罪状書きが掲げられています。今日は、十字架のイエスと出会った三種類の人たちを取り上げます。

1、 ローマの兵士たち
ローマ兵は退屈な毎日を刺激あるように過ごす為に「王様ごっこ」なる遊びを考え出したそうです。兵士たちがくじを引きます。くじに当たった者は、一日だけ王様になれるのです。その日は王様として威張る事ができ、仲間の兵士たちは“一日王”の言う事を何でも聞くのです。しかし王様としての快感を味わった翌日、その男は殺されたのです。なんとも残酷なゲームであるのですが、このような事してローマ兵は暇をつぶしていたというのです。イエス様が十字架を担いで出かける直前、ローマ兵はイエス様に向かい、「ユダヤ人の王、ばんざい」と敬礼をしたのです(マルコ15:18)。これはイエスユダヤ人の王という罪状書で、十字架にかけられた事によるものです。しかしながら、それと共に、ローマ兵は、イエスを王として、「王様ごっこ」を楽しんでいました。残酷なローマ兵も、その日は自分たちの仲間を王にして翌日殺さなくてもよい。死刑囚を王に仕立てて遊ぶだけなら、その一日王の命令を聞かずともよい。ただ嘲るだけでよい。ローマ兵たちはイエス様を一日王として侮辱したのです。最初は、イエス様の着ているものをはぎ取り、王様にしたてる赤い外套を着せ、いばらのかむりを編んで頭に乗せ、葦の棒を持たせて、ひざまずいて「ユダヤ人の王、万歳!」と言ったのです。そして、イエス様に唾を吐きかけ、葦の棒で頭を叩いたりして侮辱したあげく、赤い外套を脱がせて元の服を着せて連れて行った、と。
自分を暇つぶしの対象にしたローマ兵に対しても、イエス様は「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と祈られたのです。彼らがイエス様の手首と足に十字架の釘を打ったのです。そして、その十字架の下でくじ引きをしてイエス様の服を分け合い、そこに座って見張りをしていたのです。ローマ兵はずっと十字架の元でイエス様の言葉を聞いていました。
50節から書かれていますように、やがてイエス様は大声で息を引き取られます。そのときに、神殿の幕が真っ二つに分けました。地震が起こりました。岩が避けました。墓が開いて聖徒たちが生き返ったりしました。そして、イエス様は復活されたのです。イエス様の見張りをしていた百人隊長やローマ兵は、これらの出来事を見て、非常に恐れたのです。そして、「本当に、この人は神の子だった」と言ったのです。これは、立派な人だったという意味ではなく、「神の子」という呼び方は、信仰告白だったのです。伝説によると、この百人隊長(ローマ兵)はロンギネスという人物で、後に洗礼を受けて、信仰を持ち続けたようです。
エス様は、ユダヤ人の王でした。彼らがそう馬鹿にしたのです。しかし、ユダヤ人でないローマ兵のためにも主は祈られ、命を捨てられたのです。そして、ローマ兵の百人隊長がすくわれたのです。

2、 クレネ人シモン
 死刑を宣告された犯罪人は、自分で十字架をゴルゴダの丘まで運ばなければなりません。
「ビア・ドロローサ」(なげきの道)と呼ばれる道です。
徹夜の裁判、ピラトとヘロデによる尋問、激しい鞭打ちなどで、疲労困憊していたイエス様には、十字架を運ぶ力は残っていませんでした。自分の足で歩くことすら困難だったのです。
そこにクレネ人シモンが、田舎から出てきて通りがかったので、兵士たちはイエス様の十字架を彼の背に負わせたのです。シモンにとっては不意に自分の名前が呼ばれ、むりやり押しつけられてしまい、嫌々ながら十字架を背負うはめになります。
クレネは、北アフリカの海岸都市で、今のチュニジアがある所です。ユダヤ人離散の民が住んでいたところでローマの統治下にあった。シモンはそのクレネ出身のユダヤ人であった。エルサレムにはクレネ出身のユダヤ人を受け入れる会堂があり、シモンは巡礼のためにエルサレムに上ってきていたのです。
ところが突然「おい、お前が代わってこの十字架を背負え」と、引きずり込まれて、ほかの囚人と一緒に群衆が見ている中歩くのです。これは1マイル行くとき2マイル一緒に行きなさい、というお言葉の実践でした。みっともなくて恥ずかしくて、誰が好んでこのようなことをするでしょうか?
 マタイはイエス様がどんなに痛ましいお姿であったかを書かないで、このクレネ人シモンのことを書いたのです。シモンはイエス様と肩を並べて十字架を運びました。イエス様とビア・ドロローサの道を歩いたのです。彼は最後まで嫌々ながら十字架を背負ったでしょうか?
 使徒の働きの13章を見ると、アンテオケ教会のリーダーの中に「ニゲルと呼ばれるシメオン」という人物が居たことが分かります。彼がイエス様の十字架を背負ったシモンです。つまり、彼はクリスチャンになり、教会のリーダーになったのです。きっと十字架を背負ったときに信仰を持つようになったのでしょう。マルコ15:21には「アレキサンデルとルポスとの父」と書かれています。彼の二人の息子たちもクリスチャンになり、有名な指導者になったことがわかります。
 イエス様はマタイ16:25で、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」と言われました。
エス様に従うことは、自分の十字架を負うことなのです。シモンが嫌々ながら負わざるを居なかったように、始めから喜んで十字架を負えないかも知れません。しかし、嫌々ながらであっても十字架を負うと、イエス様と深い交流を持ちます。イエス様の心を知ることになります。十字架を負うことによって、失うものもあるかもしれません。しかし、真の命を見いだすことになります。十字架を負うことは、「与えることによって得、失うことによって見つける」という人生の逆説があるのです。私たちそれぞれに負う十字架があります。主の十字架を負うことは、主と肩を並べて生きていくことでもあるのです。

3、 十字架上に架けられた強盗たち
38節から通りかかるいろんな人たちがイエス様を罵りました。「お前が神の子なら自分を救ってみろ。」「十字架から降りて来い。」「他人は救ったのに自分は救えないのか。」「それでもユダヤ人の王なのか。」「神に頼っているんだから、神の御心なら、今すぐ救ってもらえ。」と暴言を吐きます。荒野において始まったサタンの誘惑は、イエス様が父なる神の御心を成し遂げようとするこの時にさえ、強烈に迫ってきます。そして、ついに44節をご覧下さい。十字架にかかっている強盗たちまでもイエス様を罵ったのです。
エス様が十字架から降りてくる奇跡を見たら、皆主を信じたでしょうか?自分自身を十字架から引きずり下ろすことができた、その力によって、自分たちも、どうされるか分からないと恐れたでしょう。主に対する信頼は生まれることはなかったでしょう。
十字架上の贖いは、父なる神のご計画であり、御子イエスは、それを実行しなければなりません。聖霊なる神はイエスに耐える力を与え、三位一体の神が力を合わせている、この時に、同じ十字架にかかっている者が主を呪ったのです。苦しみのあまり呪ったかも知れません。その呪いに対して、主は祈りをもって答えられます。十字架上の7つの祈りを通して、ひとりの強盗は変えられていきます。

 ルカによる福音書23章39〜42節
「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。『お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ。』すると、もう一人の方がたしなめた。『お前は神を恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。』そして、『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください』と言った。」

 私たちは、自分はこの祈りをした強盗の方である、と自分自身をそこに重ねます。私たちは今「あなたはわたしとともにパラダイスにいる」という恵みを受けております。
しかし、主の十字架を目の当たりにしたとき私たちの姿はどうでしょうか?
「君もそこにいたのか」と賛美しました。わたしたちがそこにいたらどうでしょうか?
主を罵らなかったでしょうか?主を裏切らなかったでしょうか?主を利用しなかったでしょうか?
 私たちは主が私たちのために十字架にかかって下さった、と信じます。しかし、私たちが主を十字架にかけたとどのくらい思っているでしょうか?
私たちは、ユダヤ人がイエスを十字架に架けたと思うでしょう。ローマ兵がイエスを殺したと思うでしょう。
しかし、私たちもまたイエス様を十字架につけたのです。
 私たちが犯した過去、現在、これからの罪もイエスを十字架上で殺さなくても済むような罪は一つもありません。そして、その最悪の罪が赦されているのです。
ルターは、「キリストを十字架につけたあの釘を、私たちは自分のポケットに入れて持ち歩いている。」と言いました。私たちも十字架の主イエス・キリストの足下にいた一人であります。