2019年11月3日の説教要約 「上から賜る権威」

2019年11月3日の説教要約

                                        「上から賜る権威」  村岡貞海牧師

                                                                 <ヨハネ19:4~12>

 

今日の御言葉は18章に続く、イエスの受難の所です。

先週はイエスが自発的な愛による受難を受けることを通して、イエスが神の子の権威を持っておられる方であり、信仰の弱い弟子たちを守って、イエスは自発的に神様に従っておられることを見ました。19章の今日の御言葉を通して、罪の無いイエス様、罪人のために贖って下さるイエス様、神様から賜る権威を持っておられるイエス様であることを知ります。

 

今日の御言葉を見ます。

エスを十字架につけようとするユダヤの人々と、イエスの無罪を知りながら裁くピラトと、罪のないイエスが救いのために沈黙されることを通して、神様から賜ったイエス様の権威を見ることができます。黙想の中で与えられた御言葉はコリントの信徒への手紙一13章です。4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

神様の示された愛は、このようなものだと思いつつ、イエスの権威について深く思わされました。

ユダヤの人たちは「イエスを十字架につけろ」と叫んでいます。彼らはイエスが罪人の罪を赦し、病人を癒し、神様から賜った権威を持っておられる方であることを知っていました。

しかし、ユダヤの人たちを代表する祭司長、ファリサイ派の人は、自分たちの罪を隠すために、妬みと嫉妬と欲望によって、イエスを十字架につけろと叫んでいます。

 ピラトはイエスが無罪であることを知っていました。4・6・12節です。しかし、ピラトはユダヤの人たちが暴動を起こすことを恐れて正しい裁きをしません。

罪の無いイエスを知りながらも、18:40イエスの変わりに強盗バラバを解放します。

1~3節ではイエスを捕らえ、鞭で打たせた、茨で冠を編んで、イエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打ちます。

 ピラトはイエスが神の子であると聞いて恐れます。しかし、ユダヤの人たちをもっと恐れます。それは自分の権力が脅かされることを恐れたからです。

 イエスは罪の無い方なのに、これらのことに沈黙されます。人々の罪を贖うために沈黙されました。鞭うたれ、茨の冠をかぶり、紫の服をまとわれました。

 イエスは神の子、ユダヤの王でしたが、人々の罪を背負って、罪を贖ってくださいます。

上から賜った権威を持って、神様の権威によって、沈黙されます。

 

1、罪の無いイエス

 歴史の中でも、聖書の中でも罪の無い人が罪人とされることがありました。

ピラトはイエスが無罪であることを知っていました。4・6・12節です。しかし、ユダヤの人たちはイエスに罪があると言います。

ピラトは何回もイエスを釈放しようとします。

先ず18:40で、イエスを釈放するために強盗バラバと罪の無いイエスと、誰を釈放するかを選ばせました。しかし、イエスが罪に定められました。

そのことによって、酷い拷問を受けさせて、その姿を見れば、可哀想に思って哀れんで、釈放するだろうと思いましたが、それでも尚、イエスを十字架につけろと叫び続けます。

ピラトはユダヤの人たちの言う事を聞き受け入れなければ、暴動が起こると恐れます。

ユダヤの人たちはイエスが神の子であると、ユダヤの王であることを認めませんでした。

しかし、イエスは本当に神の子であり、ユダヤの王でした。「ピラトはイエスを釈放しようと努めた。」それはイエスの罪を捜すことができなかったからです。

サムエル上19章でダビデ王がサウロ王の嫉妬と妬みによって、殺されそうになりました。

 ユダヤの人々を代表する当時の祭司長とファリサイ派の人たちはイスラエルの人たちがイエスに従い、ホザナと讃美されることを酷く嫉妬して妬みます。無罪のイエスを罪に問われます。

罪に定めようとしますが、最高裁判官であるピラトは、イエスが無罪であり、罪に定めようとしたユダヤ人の中に妬みがあることを知っていました。

 イエスは罪のない方なのに、ユダヤ人は「妬み」ます。

 

2、罪人の為に贖ってくださるイエス

5節ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。これは、1:29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」を連想させます。

始めからバプテスマのヨハネは「見よ。世の罪を贖う救い主」と証しています。人の罪はその救いを知らず、背いています。イエス様は罪びとを赦し、病を癒し、渇く者に飲ませ、飢える者に食物を与える。悪霊を追い出し、救いの働きをされるお方でした。そしてどんな状況においてもその救いの御業を成すお方です。

今はイエスは捕えられ、鞭で打たれ、茨で冠を編んで頭に載せられ、紫の服をまとわされ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打たれています。しかしそれこそがイエスの贖いの業であります。

命をかけて行く宣教地に於いても、祈りの人々には不思議な救いの働きがあります。

モーセが両手を上げて祈る時、イスラエルは勝利しました。ヒゼキヤ王も敵に攻められている時に祈りによって、勝利しました。祈りによって病が癒され、15年も守られました。

 神様の救いの働きは、今も続いています。イエスは罪びとを贖う為に、イエスは捕えられ、鞭で打たれ、茨で編んだ冠を頭に載せられ、紫の服をまとわされ、あざ笑われ、平手で打たれました。

エスがわたしたちの罪と咎を背負ってくださった姿です。

 私たちを贖って下さったイエスは今も私たちを救う御方です。

 

3、神様から賜る権威を持っておられるイエス

19:10そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」と話しましたが、人々を恐れ、正しい判断をしませんでした。ピラトは人々の圧力によって、自分の権威がなくなることを恐れています。

人が持っていると思う権威は、一日にして変わることがあります。

 イエスの権威はいつまでも変わらない永遠に続く命の権威です。イエス・キリストの権威を黙想して、思うのは愛による権威でした。

神の子でありながら、自分を低くして、僕の姿で仕え、命も投げ捨てた愛でした。イエスは罪人が十字架につけろと叫ぶ声の前で沈黙されます。救いの働きのためです。

4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

エスの権威だけが代わらない、揺るがない権威ではないでしょうか。

 イエス・キリストの救いを信じて、どんな試練にも挫けず、祈りをもって、必ず救って下さる事を信じて、歩んで行きましょう。